思想・哲学・宗教・マニュアル、共通項

 宗教でも思想でも哲学でも、人が指針として扱う目的で作られたようなモノは何にでも、マニュアル構造につきものの、一つのロジックがついて回る。


 重用しすぎると逆に害悪になるという欠陥だ。


 人を助けるべく作られたくせに、偏重しすぎれば人を窮地へと誘うようになるのは、四者の共通に思う。また、その事実を、これらマニュアル構造を持つモノを信奉する者の中には、包み隠して決して公表しようとしない輩も多い。都合の悪いことを隠し、欠陥などないと偽って世に広めようとする、そういう態度こそがこれらに共通の罪科に思う。隠蔽などせず、欠陥は欠陥だと認めれば済む話なのだ。その程度で揺らぐような存在ではないと、自信がないということは信頼していないということだ。


 同じカテゴリにある医療や科学は、ちゃんと告げている。重用しすぎれば害になるということは基礎知識に含めて広く公表しているから、現代人はほぼ、これらを盲信などしない。それはしかし、信頼の証だ。


 フェミニズムの問題、根元はこれに尽きると思っている。


 ただのマニュアルと断じてしまえば、振り回されることもないのに、崇め奉っているヤツは何を考えているのか、疑問にすら思う。自己批判を無くしたらそこに現れてくるのは奴隷の精神だ。何事も疑ってかかれというのはそれで、疑えという、この文章さえ、鵜呑みにするなかれ、ということだ。しょせんは他人のたわごとではないか。


 表現の自由についても文句がある。


 他人に迷惑を掛けるな、というのは何事にも基本に置かれた思想だろう。思想というより、それは基準点だ。法律にも思想にも宗教にもベースにあるものはこのたった一つの理念と思う。それに反しているのが表現の自由とやらの権利だ。


 これにストッパーがないとすれば、自己中な横暴と何が違うのか。


 フェミニズムという思想の欠陥は、奴隷のように盲信してしまえば害にしかならないという点だと言った。ならば表現の自由の欠陥もまた、盲信すれば害になろう。さながら、邪智暴虐の王、という処かも知れない。走れメロスか。


 そんなもの、誰かが滅ぼしてしまえと叫ぶのは遅かれ早かれの当然だと思う。自己批判がなければ、外部から押し止めにくるのはむしろ自然な流れと思うのだ。エロく見えるか見えないかなどという問題ではとうになくなっている、出過ぎた杭を叩き潰しに来たと理解した方がいいように思うのだ。


 愛知エントリナーレの事件は、あれは象徴的だ。たった二つ、人々の嫌悪を煽る展示物があっただけで、他の作品は一切を無視してこの二つのためだけに、人々はこの展示会そのものを叩き潰したのだぞ。


 出る杭が打たれた、と捉えるのが正しいと私は思う。主権は、良くも悪くも人民にあるのが、民主主義だ。権利など何の保証にもならないし、そうでなくては民主主義とは言えない。人民の総意こそが、法よりも勝る最上のモノなのだ。


 法にもし欠陥があったなら、法が最上位であることは害になってしまう。だから、法は人々の総意の元に改正されるべきものでなければならない。(それは本来、きちんと手順を踏んだものでなければ、これまた問題と言わねばならないわけだが…)






 表現のすべてが憎まれたわけではないんだ。オタクコンテンツのみだ。さながら愛知の展示会のように、たったひとつ、オタコンテンツの萌え絵のみが憎悪されているだけなんだ。これが、まず正しく世間に認知されていないよ。フェミの運動は色々あるけど、後は普通に理解可能な女性差別問題に向けられている。

 なのに、さも表現物すべてが槍玉に挙げられているかのように言うのは違うだろう。事情を知らぬ第三者には、オタク側が主語を大きくして騒いでいるとしか受け取られていないかも知れない。それが、フェミの指摘は正しいという印象に繋がっている可能性さえある。


 オタクコンテンツのみ、正確には男性向けアニメ調の絵柄一枚絵のみが彼女らの標的だ。表紙、看板、ポスター、大炎上したのはいずれも一枚絵だ。他はあっても散発的で、多くのフェミニストはスルーしているはずだ。(実在モデルさんの炎上は、むしろ延長させているのはオタク側で、沈静化を阻止している)


 こう言えば、そこに何らかの誤解が働いているのは明白ではないか。他はスルーされているんだぞ。宇崎ちゃんの第二弾は何のクレームも付かなかった。こんなに解りやすい現象も珍しいと私などは思ったものだけどなぁ。


 一枚絵だから、燃やされた。そう考えるなら、何かその原因となる方程式が隠されているはずなんだ。それを探るのは……それはもっと絵の知識がある人間のやることだと思うから、パスしたい。



 フェミニストは、表現物全般でこう、モヤモヤしたものを感じているのだろうかと思っている。それはバランスの悪さというか。女性搾取だ男性搾取だ、ではなく、そういうものを肯定する表現物ばかりで、否定する表現物があまりに少なく、著しくバランスが悪いというか、道徳がない時代に見えるのかも知れない。


 だが、それを世間が求めるのだったら仕方がない部分はある。けれどそれもはっきりしないのが本当のところで、実際にTVでウケているのは教養ネタのバラエティなのだから、結局、出版社含む業界の怠慢に見られてしまっても仕方ないかも知れない。搾取を否定するテーマを持つ作品は売れません、と言ったところで、信用できないんだろうなぁ、と、思考をぐるぐる回し続け、じっと手を見る…


 なし崩しにおわり。

 


 あー……、もしかして……、


 ほれ、オタクたちは特に説教臭いモンが嫌いだからさ、余計に道徳推奨作品じみた、フェミが好みそうな作品ってのは好きじゃないと思うんだな。説教臭くて。

 それで、オタクコミュニティを見たら、一般世間以上にそういうモンが少ないと感じとれる、とか? それがまた、表紙とかの一枚絵になると濃縮されるから、カチーンと来ちゃう…? (参ったね)





【追記(2023/01/31):はい、関連の全ページに貼り付けてくよー。

 このフェミニズムの問題は、要点が現状でははっきりしている。


「フェミが持ち出した基準は、フェミという「いち学派」の創作造語でしかない。」

「ギルティの判定を下す基準を、どういう理屈でフェミが主導していいことになるのか。何を根拠にその権利を得ていると言えるのか。」

「フェミ理論の正当性は一切証明されていない。どこに物事の決定権を持てる余地があるのか。」


 この三つ。


 声の大きい者が、「嘘でも言い続ければ本当になる」を実践しているだけだと言い切れてしまうところが問題の本質を見るに大事な視点。感情以外に補強材料を何も持たないのがフェミニズム理論。理論とは呼べない、ただの主義。それが誰かの権利を制限する法律を制定させようと働きかけていることが一番の問題点。権利と権利の衝突に際し、既存の権利の方が優勢なのをひっくり返そうとして詭弁が用いられているに過ぎない。(不快感情を理由に表現規制を正当化している)


搾取というのは、誰が被害者で、何の苦痛を持ったのか。非実在の存在は文字通り。すなわち苦痛を感じているのは、表現された対象を見る視聴者の中だけにある想像上の表現対象者であり、その苦痛は視聴者が付与したものである。のである。(表現の再構築)

 女性全般だとするなら、その思想は。一つの解釈以外、他を圧殺する弾圧だ。


(面倒になってきたんで、以後決定打を貼り付けて終わらせる。)

 追加分がさらに増えたなぁ…

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