明智光秀、私が考える新説!(笑

 ぶらタモリだったかで、以前、信長をやったんだよね。安土桃山城で。そん時に、二つ、気になるポイントを見つけていたわけよ。


1,敵に対して盾にされるよーな配置の家臣屋敷へ無抵抗に家臣は入っている。

2,安土城自体は、まるで諸葛亮が警告したよーな、宦官ハーレム状態だった。


 この二点ですよ!


 これが、明智が謀反を起こさざるを得なかった直接原因であろう、という説だよ。


 たぶんね、番組でも言ってたけど信長ってのは当時のレベルじゃとんでもねーKYなのよ。空気読めないっていうより、「常識知らず」の意味で。

 だけど、本人も自覚あって周囲に意見を聞いてたんじゃないかと思うんよな。それが、1,の結果から見えると思うんよ。すごく素直な”御館様”ってヤツで、これは当時にはありえなかったタイプだったのかもと思うんだわ。納得が行きさえすれば、どんな下の家臣の意見でも聞き入れて、憚ることない人だったんじゃないか、と。それはまた美点だったんだろう、と。


 ところがだ、ここで2,だよ。


 それまではたぶん、ものすごいレベルで明智を重用していて、ほとんど明智の傀儡とか陰口叩かれるレベルと思うんだ。そんくらい明智自身がものすごい才覚あったからね。いわゆる最強タッグ、てヤツ。

 それが、安土城以降に変化しちゃった。宦官だよー!! クソ宦官!!!


 臣下たちはたぶん、聞こえていても明智の傀儡とかは信長には聞かせなかったと思うんよ。それをクソボケ宦官どもが、ほとんど安土城に引き籠もりだった信長にさんざっぱら聞かせたんだと思うわ。悔しくないのか!とかと。ヤツらたぶんアホウだからね、明智がどんだけ本当は才人で、信長に無くてはならないか理解せんのよ。


 なぜかって、その後の歴史で生き残りの宦官どもが活躍して武将になってとか聞かんもん。その程度の、埋もれる程度のヤツらだったという如実な証拠だ。それと、前半生がまったく不明にも関わらず一国一城の主になった男とじゃ比較にならんのよ。


 タッグ組んでいた頃を知る臣下たちは、それがあるからあんな丸裸としか思えない配置の自分たちの屋敷にも住んだと思うんよ。明智が付いてるし大丈夫だろ、と。むしろ本丸はあっちだし、みたいなもんだよ。

 だから、安土城は燃やされたということも言えるかも知れない。誰が火を付けたかって、信長の親族だけど、なんで付けたかって、明智の謀反と聞いて、守ってくれるはずの武将達があっちゅう間にもぬけのカラになったからじゃないか、と。


 さらに、天海僧正は明智だったと思うんよ。これは、家康がさっさと押さえちゃったんだよ、ところが首を取るまえに秀吉がウルトラCで、家康が明智の首を取っても、「でかした家康殿、」みたいなさ、秀吉が上にしかならない状況を先に作られちゃったんだと思うんよな。だから、いつかの切り札にするつもりで生かしておいた。


 そもそも、農民が殺したとかいうのが明智生存を裏付けていると思うんよな。ちゃんとした武士がやったんなら報償はすごいことになって、世間が知らんわけがないんだ。それが誰も知らんのを誤魔化すために、農民がやったというコトにしちゃったんだろう、と思うんだよ。


 信長の首は、こないだ科学的にシミュレーションして、あの場にあった死体はほぼ1分かそこらで黒焦げに炭化して判別不能までいったはず、と結論出てるからね、信長の生死は解らん、明智の生死も解らん、で秀吉の天下取りはほとんどドサクサだったと思うんだ、本当の意味で情報戦に勝った、という感じで。(私の説が正しけりゃ信長の家臣団もすでに崩壊してるし)


 だけど、そうなると明智にも家康にも共通の敵として秀吉が浮上するんだわ。「おのれ、秀吉、」てな感じで新たなタッグですよ。もうこの瞬間から二人の策略は始まってるよね、いかにして豊臣滅亡さすか、て。(例の鐘にしたって、東国の武将である家康があの鐘の字を知ってたとは思えんから、明智が知ってて、難癖を考えついたんじゃないかと思う)


 秀吉のこの辺りの巧さってさ、淀君を押さえつつ、片方で信長を貶めて権威を落として、信長直系が出てきた時にも備えるっつー、強かさなんだわな。


 ついでに言うと、信長がやられた本能寺ですが、あれ、京の都の城壁の外だったっての、これも光秀の根回しでそうなったと思うんだな。もう、信長はクソ宦官の意見入れて光秀粛正ヤル気満々で、二人の間柄はヤルかヤラれるか、て感じに緊張してたと思うんよ、家臣団の中では見え見えの空気で。だから朝廷のちょっとキレるのが居たら、すぐ理解したんだと思うんだ。でも、どっちが勝つかまでは解らんから、せいぜいが城壁から閉め出す、がギリギリの工作だった?


 だけど結果的には、どの家臣も信長に行かなかった、が正解と思うんだな。

(地図出てたけど、あの寺の敷地は、決戦覚悟で兵が参集するの待ってたよね)


 まさしく、諸葛亮の忠告通りの事例が、遠く時代も国も超えた未来で起きた、という感じだったんじゃないかと思うわけです。


 秀吉の毛利攻めからの大返しのあの素早さも、それならすんなり納得いくし。一触即発になってる最強タッグの情報に耳済ませてたとしか思えんもん。(その後の秀吉の歴史的行動を観るに、彼絡みの資料には信憑性がない。平気で塗り替えるぞ、コイツ)


 むしろ、秀吉や家康は危険な大勢力ってコトで、光秀との決戦見込みで遠くに飛ばされていたんじゃないか、とさえ思うわ。


 さらに、さらに、新資料ってんで信長が比叡山に充てた手紙とかも観たけども、くそ丁寧に交渉やってんだよね、そのくせ片方じゃどこだったかの処断はえらく短絡。

 この落差こそが、光秀がブレインとして深く信長のやり方に口を挟んでいた証拠だと思う!!


 と、まぁ、そういうワケで。





 …信じるか信じないかは、あなた次第です!(笑


 

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