フェミをイチから考え直してみる試み③

 さて、セクハラってのはどういう定義ってのも独自にやり直してみる。


 まず女性がセクシーさを表出することは自由の範疇。それをセクシーだと男性が感じるのも自由の範疇。そんで、それを表明しちゃうのもたぶん自由の範疇でなければならないんだ……。「君、セクシーだね、」は褒め言葉。


 だが、注意すべき状態がひとつある。前のページで宇崎ちゃんの分類で出したけど、「無自覚エロ」という状態は要注意なのだ。これが、正確にはセクハラに該当する危険が高い状態の女性だと思う。無自覚!


 まず、自己のイメージは本人が決めていい。これは当然と思う。他者が決めるべきじゃないから、誰それって○○よね~、は影でこそこそ囁かれねばならないわけだし。だから、セクシー自認のある女性に、褒め言葉のセクシー表明は問題ない。


 ただし、自己イメージにセクシーを含んでいないと類推される場合には、それを表明したらフツーにセクハラになる……の、かな? どういう理屈だ??? これ。


 ああ、強要に繋がる、という一点でアウトなんだ。本人が望まないイメージを表明することで広めてしまうわけだからねぇ。フェミさんが言う、エロ表象の問題点ってのもコレのことだね。女性全体で捉えて、望まないイメージの流布だ、と。


 流布がイカンので、実在女性であるかどうかは関係ないのだ。


 この場合、しかし、限定で考えねばならないね。「おそらくは」全女性が望むことはないであろうイメージに限って、このフェミ思想は正当性を持つ。


「冷蔵庫の女」とかあの類いだねぇ、たぶんね。





ちょい疲れたので中断… (;´ρ`)







【追記(2023/01/31):コピペぺた☆

 このフェミニズムの問題は、要点が現状でははっきりしている。


「フェミが持ち出した基準は、フェミという「いち学派」の創作造語でしかない。」

「ギルティの判定を下す基準を、どういう理屈でフェミが主導していいことになるのか。何を根拠にその権利を得ていると言えるのか。」

「フェミ理論の正当性は一切証明されていない。どこに物事の決定権を持てる余地があるのか。」


 この三つ。


 声の大きい者が、「嘘でも言い続ければ本当になる」を実践しているだけだと言い切れてしまうところが問題の本質を見るに大事な視点。感情以外に補強材料を何も持たないのがフェミニズム理論。理論とは呼べない、ただの主義。


(面倒になってきたんで、以後決定打を貼り付けて終わらせる。)

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