「設定」の指す意味は以外と幅広くて、齟齬を生んでいる…
以前に紹介した東京ネームタンクさんトコで読んだ記事と、昨日の記事、それに賞の選考なんかでよく見る文言の「よくあるストーリーだから減点」の類いね、あれって私も勘違いしてたけど、設定といいつつ設定の話じゃないのかも知れない。
設定がよくあるような話だから減点なんだと思ってて、もっと尖った斬新な舞台設定をもってこいって意味かと思ってたけど、違うのかも。
ネームタンクさんの記事では、同じ設定を使っても、感情の表出とか展開の仕方は人それぞれで違うものです、て話だったでしょ。
テンプレ嫌いの人がよく棘とかで吹き上がってんのも、同じことを苦言で言ってて、設定が異世界となるとそこから派生するストーリーのざっくりした流れまでほぼ同じなのはなんでじゃ、ってトコを指摘してたりするけど、アレのことだわな。
何かで死んで、何かで異世界に生きることになって、ボーイミーツガールして…ってヤツ。個別でみたら割とカラフルで違いも多いと思うんだけど、群体になるとなんでかしら「似たり寄ったり」のイメージ一色になる、あの不思議さだよね。あれはなんでだろと常々思ってるけど。(漫画化アニメ化はサンプリングマジックで小説ほどグラデーションが密ではないから、比較するとテンプレ小説界隈が、全体での色相に統一感ある異様さが殊更浮き彫りになってくる)
「異世界に生きる」の部分でもそれ、スチームパンク風異世界でも中華風でも和風でもアフリカンでもいいはずなのに、という不思議。密な場所は決まってんのな。
「なろう系」というジャンルが確立されて、このテンプレ型の作品がすごく盛り上がってるわけだけど、これがもう先に挙げた「設定が他と違ってないとダメ」というのを覆してしまうじゃん。ぜんぜん尖った設定とか斬新なわけじゃないよね。
設定、とひと口に片付けているけど、それは世界観を指すばかりじゃないわけで、だけど書き手は講評における設定と聞くとソレと限定して捉えてしまいがちなんじゃないか、と。「他では見たことない斬新な設定を付加しろ」という具合に。
ほんとはソレを指しているんじゃないかも。指摘をした人と、指摘を受けた書き手との間で、「設定」という言葉の意味合いに齟齬があるのかも知れない。(あるいは、指摘する側ですら、市場のニーズにおける設定の意味合いを誤解している)
もっというと、テンプレに苦言を出す人と反論する人の間でも「設定」という言葉には、ずいぶんと齟齬がありそうだなぁと思いまする。
テンプレ擁護の言論には、「別に斬新さなんか求めてない、」に類する意見がチラホラみえるよね。「面白ければいいんだ、」て。
「マンネリでなければいい、」という言葉の意味が違うかも、ということです。彼らの言うマンネリは舞台のことではなく、そこで繰り広げられる人間関係の機微を指すんだろう、ということですよ。
いや、彼らはもっと優しくて、主人公の行動や思考は似通ってても、ヒロインたちさえマンネリを打破していればOK! という感じさえ見受けられる気がします。
そういや、今、タピオカミルクティーが流行っているけど、そのトッピングとか店舗とか、よくよく考えたら「何が違うの?」という程度でしかないじゃないすか。
それと同じような、微妙なトコだけで、人は楽しめてしまうということかも。(笑
「いやぁ、タピオカっていいモンですね、」みたいな終わり方をしたらダメだわ。思い切りズレてしまった。
えー、作話の上で求められている「他作品との違い」というものが、世界観や舞台装置、特殊設定というような大掛かりなモノばかりを指しているわけじゃない、ということを言いたかったわけです。
むしろ、他作品と同じにタピオカを茹で、ミルクをティーに注ぎ、冷やして、ぶっこんだところのコールドとホットの加減をああだこうだ言い合う時の、その会話の妙さえ違えばそれでヨシ、という具合ではなかろうか、ということです。
昨今の読者が求めるのは、着ているお洋服やスポットライト、舞台装置の派手さではなく、中身のモデルそのものであるのに、ここをマネキンにしてしまうと…
そりゃ、どれだけ努力を重ねても報われない、ということですわな。
(最近はマネキンですら大量生産ではなく個性重視の個別生産だそうです)
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