従来の文章スタイルの難しさ

 文章のうちでも最高にイかしてるのが、なごり雪形式だということはわかっている。ひたすら作者が本当に言いたいことは伏せながらその周囲をなぞるように書き出して読者に気付いてもらおうという遠まわしな書き方だ。


 多く、文学も文芸も真に言いたいことは隠して行動とか会話とか何気ない様から滲み出るように場面を作っていく書き方を選択する作家が多い。だが、それはハードルが高く、例えば何気ない一文の僅かな瑕疵だけで、たった一箇所の無関係な気付きに邪魔をされて、本来の滲み出る余韻の邪魔をされてしまう、まったく意図しない感情を引き出してしまったりもする、文章力が非常に高くなければ出来ない手法だ。


 完璧な作話力と文章力、完全に読者を引き込みうるだけの力量、それが揃っていないと使えない手法だ。読者はいちいち引っ掛かり、意図を隠すこの手法ゆえのあざとさ、底意地の悪さ、バカにする意志を、勝手に読み取ってしまう。


 ものすごく難しい。この手法を使っていると悟られた時点で負けるからだ。

 難しいな、と思う。ちょっと捻った、この手法独特の言い回し、比喩、それらも何だかいけ好かないと感じられてしまう危険を孕む。読者は敏感だし敵意もある。


 片方に、なにもかも取っ払ってしまった依存そのものな文体があり、その対極はといえばやけに高飛車でカッコつけな思わせ文だ、というのも、なんだかなと思う。


 テンプレや二次の端折った内輪ウケな文体は、読者への依存症的な感じがする。

 高尚さを目指した文学調の文体は、読者をバカにした慇懃無礼と映ってしまう。


 読者に媚るなら、どのみち碌なことにはならないのだ、ということだねぇ。

(解かってるけどね。)


 読者を信じろ、と書かれてある。本当に名著として後世に残った書き方指南には、読者を信じろと書かれてあるが、その意図はおそらく、読者を信頼しきってその存在を忘れてしまえということだ。少しでも視線を感じれば、読者は計算でなんとかしようとしている、とその本質を看破してしまう。なんとかしようとしているのは、作品そのものであるべきで、読者ウケではないわけだから。

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