結局、イメージでしかない「ミステリ」枠

 まーだ拘ってるんだけども、「首長竜」ね、あれ、ミステリと言われると首を捻るのだ。「アルジャーノンに花束を」とか「バナナフィッシュの日」とかをミステリと言われると尻が痒いのと似ている。


 小説と哲学は相性がいいなぁとは思ったが、けれどモヤッとしてしまうよね、概念的に抽象化してしまうというか。けどミステリは論理でカチッとしてないと納得いかないのである。


 江戸川乱歩からの伝統で、ミステリってのはモヤッとした抽象的な概念的なモヤッとを、理論でガッチリ凝り固めてスッキリーにするジャンルなので、結末は哲学から唯物論へ変換されねばならないと思ってんです、ハイ。物理学ね。だから、綺麗にオチがついたとは思えないのよ、首長竜。カテゴリが違えばオチてるんだけど。


 高尚から凡愚の凡俗へと引き摺り下ろす、幻想や怪異をどれだけ徹底的にススキのはっぱにしてしまうか、の美学。それが本格。そう思ってて。だから「首長竜」はモヤッとしたままなのがどうにも心地が悪い。

 アルジャーノンとかバナナフィッシュの日と同カテゴリにしといてくれ、同じなんだから!と強く、強く思ってしまうのでした。

 このミス大賞なのが気に食わんってことよー、要するに。モヤモヤすんのは仕方ないよね、理屈じゃないもん。カテゴリって。積み重ねだもん。


 ミステリーという言葉のイメージは、オカルトも入るんだけど、だからこそオカルト主軸にしてしまうと、推理物と銘打つのは遠慮したくなるじゃん、て。

 怪異現象やら超常能力を主軸に据えたら、推理物と名乗っちゃいかんでしょ、て。オマケとかちょっとした添え物ならいいけどさ。と、そう思うんだけどこれも個人差なのでしょうねぇ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る