「シン・ゴジラ」「けものフレンズ」思わぬ共通点

 けものフレンズは一話切りして後から考察班の出動を聞いて慌てて観たから最終二話しか観てないっていうね……。みんながワイワイ考察してんのにちっとも参戦できなくって「ぐぎぎ」てなってましたー。(二期はちゃんと見る)


 1話でさー、勝手に「ハイハイ、2話か3話でボーイミーツガールして、おままごとハーレム始まって、世界観の謎()とかやってお茶濁して、予定調和な終末戦争か悲劇ごっこやって、僕らは生きる!、とかやるんだろ。」と思ったのですよ。


 完全に大はずれ!!


 で、思ったんだけど「けもフレ」はアレだ、『初めてのおつかい』型の老若男女にウケのいい鉄板ドキュメンタリーの構造を持ってるんだよねー。

 適度な緊張感のある舞台に、中盤あたりまで悲壮感は皆無で、誰もが応援したくなる被写体。キラーコンテンツですがな。(笑


 これ、「ゴジラ」は反対側のドキュメンタリー手法なんだよね。緊張感で破裂しそうで、悲壮感がじわじわして、誰も応援したくない被写体。なんとかしろよーて気持ちしかない。これも危機感で目が離せなくなる系のキラーコンテンツ。


 両者とも、手法は「ドキュメンタリー」ですよね。


 リアル準拠、なのです。作り物ではないような錯覚を与える事に成功しているから、両者は視聴者に「危険予測」をさせる事にも成功した。次に何が起きるか、危険はどのくらいか、回避できるか、というような事から、今、考察班がやってるよーな深い世界観への推察までを引き出したんだろう、と見てます。


 どうしても創作物には「安心」がつきまとうわけで、それは「予定調和」で視聴者の受動姿勢を作り出す。なーんも考えずに情報だけ受け取ってる状態ですわ。あるいは、自分が気になった部分だけの情報をチョイスして部分的に深く楽しむっていう。

 だけど、ドキュメンタリー形式ってのは安心して見ることは出来ないんですよ、常に頭を働かせる事になる。(ドキュメンタリーも創造物であるフィルムなので、そこに意識が行っちゃうと、リアル準拠では観れなくなっちゃうけども)


 ハラハラドキドキを生み出すに最強の方法が、ドキュメンタリー方式。嫌でも頭を働かせてしまう仕組みもある。説明がない、解説がない、相手の心が見えない。心情の説明なんかしてくれないもんね、頭働かせて考えるしかない。

 だから脳みそが処理すべき情報は膨大になる。リアル準拠でない作品だったら、風景とかちょっとの演出とか挙動なんかは、スルーしてるわけっすよ。説明してくれるからね。


 いやー、ついに揺り戻しが来たか、頭からっぽで観れる楽な作品がウケた時代が終わってくれたら嬉しい!

(ただし、リアル準拠ってのは設定に穴があったらイカンので、表には出ない裏設定の分厚い資料集作ることになるけども)

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