最終章 最後の“零” 

最後の“零” Ⅰ


……時は経ち、トリステインの魔法研究所。

 トリステインで指折りの高さの建造物である最上階、執務室で、ゴンドラン=灰色卿は一通の手紙を円卓の上に放り投げた。

手紙の差出人は、元素の兄弟の長男ダミアン。内容は報酬が釣りあわないから依頼を断る、というものだった。

 ……ゴンドラン卿は手紙を手に取ると、円卓に腰掛けた。あらかじめ呼び寄せていた円卓に座った数名の“同志”たちに回す。やはりどの貴族も、眉をひそめて唸った。

 回されて帰ってきた手紙を受け取ると、ゴンドラン卿は立ち上がり、トリステインの町を窓越しに眺めながら、手紙を燃やし、観葉植物の根本に捨てる。

「元素の兄弟め! やつら、我々をさんざん利用してから乗りかえおって! 事が終わったら、すぐに総力を挙げて駆逐してやる!」

一人の貴族が吐き捨てるように呟き、堰を切ったように他の貴族たちもがやがやと騒ぎ始める。

「あれほどの手練れをどうこうするのは不可能ですよ、ほっといておきましょう」

「それよりも灰色卿、これからどうなされるおつもりですか? 適当なメイジの傭兵でも雇い、あの薬を飲ませてかからせますか?」

「それも無理だ。“元素の兄弟”もその薬を使ってあの成り上がりに挑んだが、二度も敗北したそうだ」

 ゴンドラン卿は残念そうに呟く。

「……灰色卿、まさか、諦めるとはいいませんでしょうなあ?」

「はっはっは、ご冗談を。……すでに、ちゃんと手は打っております」

 言葉と共にゴンドラン卿は微笑むと、パン、パンと手を二回叩いた。護衛の騎士たちが直立する。ギギギ、と重苦しい音を立てドアが開き、仮面をした黒ずくめのフードが現れた。

「……かかれ」

 静かに下されたゴンドラン卿の命令に、すぐさま騎士たちは呪文を詠唱する。杖から伸びる剣が、魔法の矢が、炎の鞭や氷の礫、土の槌が次々と襲いかかるが、そのすべてを黒ずくめのフードは軽やかな足取りでかわしていく。

 ゆらりとした動作で杖を抜き、反撃しようと黒ずくめのフードは詠唱を始めたが、

「もういい、やめたまえ。・・・・・・また護衛の騎士がやられるのは見たくないとのことだ」

 ゴンドラン卿が制止の言葉を放ったので、杖を納める。

「……紹介しましょう。かの者が“地下水”です」

 ゴンドラン卿の紹介で、一同から驚愕の声が上がる。トリステインでも、北花壇騎士の姿が変わる謎の殺し屋は有名なのだ。

「で……“地下水”君、依頼だ。……サイト……とか言ったな。いま城下町で話題になっているあの平民を、陛下のために、ひいてはトリステインのために消してほしい」

「……承知しました。ですが、国を挙げて探して見つからない者をどうやって殺せと?」

男だろうか、女だろうか。その中性的な声からは性別が予測できず、その淡々とした物言いは、聞くものに冷たい何かを感じさせる。

 その佇まいに油断はなく、その態度に驕りはない。感情すらあるのか疑わしく思えるほどに、その身にまとう雰囲気は冷たい。

 元素の兄弟たちとは違う、魔法で動く人形のようなその無機質さ。ゴンドラン卿は背筋を冷やされながらも話を続ける。

「・・・・・・なに、簡単なことだ。何も命を絶つことだけが、死という訳では無い。たとえこの世に存在しなかろうと、殺せるものはある。・・・・・・たとえば、名声だ」

「・・・・・・わたしにその平民の姿となり、辻斬りでもやれというので?」

 静かに答えた地下水の声は、ゴンドラン卿の拍手の音に上書きされていく。

「説明の手間が省けたな。そう、だからどんな姿の者にもなれると評判の君を呼んだのだよ。スキルニルでは、誰かを害することなどできぬからな」

 拍手をやめ得意げに言う壮年の貴族。そのはなはだしい勘違いに、地下水はまたこの手のたぐいかとため息をついた。

 地中深くを音もなく流れ、不意に姿を現し、目的を果たして地下に消えていく年齢も性別も謎のメイジ……あまりに良すぎるその手際のせいで、裏社会でも自分の正体を知るものは少なく、様々な憶測が飛び交っている。

 今回どうやら自分は変装の名人か、それかフェイス・チェンジを扱えるスクウェア程度に見られて呼び出されたらしい。

「安心したまえ、貴様が捕まることは万に一つもない。なにも白昼堂々街ゆく庶民に切りつけろと言っている訳では無いのだから」

「狂った英雄の哀れな犠牲となるのは、我々の土地に住む可愛い農民達だ」

 そんな地下水の心情を知るよしもなく、貴族たちは勝手に話を進めていく。身体の持ち主がふつふつと沸かす静かな怒りに感化されたこともあってか、うんざりした地下水は、憂さ晴らしに話に水を差すことにした。

「……そんなことをして、王家が黙っているとお思いで? ……それに、その程度のことでは噂で終わるのが関の山でしょう」

 発した訝しみを帯びた問いかけと、ため息と共に放つ推測。・・・・・・今まで考えたこともなかったのか、地下水の指摘に卓上は静まりかえる。……しかし、ゴンドラン卿だけはにやりと笑っていた。

「そんなものいくらでも抜け道はあるというもの。……ほれ、このように」

そう言うとゴンドラン卿は、再度手を二度叩く。……そしてその動作を合図に、扉を開き一人のみすぼらしい姿をした少女が姿を現した。

「おい、見せてみろ」

 ゴンドラン卿の低い声にはびくりと肩をすくませ、少女は跪くなりその細い腕をまくり上げる。・・・・・・そこにある揺るがぬ奴隷の証拠、薔薇の焼き印を見て、貴族たちからどよめきがあがった。

「……まさか、完成したのか? 例のものが」

「いかにも。これぞアルビオンとの戦にて、敗走の原因となった井戸水を我がアカデミーにて分析し、精製した秘薬。量こそ少ないがこれさえあれば、複数の人心を思うがままに手繰るとまではいかずとも、何かひとつくらいは命じることが出来る……、ああ、もう下がってよいぞ」

ゴンドラン卿の命に一層頭を下げ、少女はおどおどと執務室を去る。ギギギ、という扉の閉じる音すらも意に介さず、貴族たちはゴンドラン卿の言葉を我先にと読み解こうとする。

「水の秘薬、奴隷の焼印・・・・・・? ! そういうことか!」

「成る程、烙印をその身に印する程度、造作もないというわけだ」

「人権なき奴隷と五月蝿い平民との違いは、その身の焼き印一つのみ。・・・・・・ふむ、確かにこれを利用しない手はないな」

「いくら殺しても“平民”でなければ問題ない。しかも今朝まで平民であった者が、意識無き内に突如奴隷へ身をやつしたとあれば話題にもなる。・・・・・・貴殿の目論見はそこですな、灰色卿?」

貴族たちの納得や推測の言葉に、ゴンドラン卿は満足げに頷く。

「さすが皆様、説明の手間が省けました。・・・・・・さて地下水くん、平民の立場になって考えて考えてみてくれたまえ。・・・・・・ある日突然巷で噂の英雄がやってきて、自分の家族を殺しこう言うのだ。“……その奴隷の命、これで買おう”と、一生かかっても稼げないカネが詰まった、麻袋を放り投げてな……」

 地下水に語りかけるゴンドラン卿は、話をそこで切る。途端、賞賛の声が周囲の貴族たちからあがった。

「おお、素晴らしい!これならば何の問題もない!」「奴隷は人に非ず、モノであるからな!」「いやはや流石は灰色卿、その考えには至らなんだ……」

 拍手と共に浴びせられる喝采に、ゴンドラン卿は一礼して応える。

「いやいや、褒められるほどのことではありませぬ。……さあ地下水くん、報酬の話をしようか。きみが望むものはなんだ?」

 ゴンドラン卿の返す問いに、地下水は答えない。……というのも、護衛対象である彼女が、先程から身体の主導権を渡すよう繰り返しており、答える余裕がないのであった。

“……地下水殿”

(駄目です、なりません。あなたの身に何かあれば、わたしもただでは済まされませんから)

「……どうした、言わねば用意が出来ぬぞ? いかに謎にまみれたの殺し屋といえど無欲という訳ではあるまい」

「さあ、何を欲する? その身に余る金か、我々の持つ技術か? それとも・・・・・・」

“……地下水殿、代わってください! いいから早く!”

(……まったく、わかりましたよ。ただし“あれ”を使うのをお忘れなきよう・・・・・・)

 そういって、地下水は身体の制御を持ち主に返す。直後、地下水・・・・・黒フードは、一つの問いを円卓に投げかけた。

「……失礼、ならばよろしいでしょうか? 教えて頂きたいことが、一つだけあるのですが……」

「なんだ? 言ってみたまえ」

一つ音を飛ばし、高くなる声。対する者の雰囲気がガラリと変わったことに、余裕げに答えるゴンドラン卿も、熱にうかれた貴族たちも気づかない。

「……貴族として、恥ずかしいとはおもわないのですか? そもそもあなたがたに、貴族を名乗る資格が、あるのですか?」

 しかし続く黒フードの一言に、円卓に着座する全員が顔色を変えた。

「貴様ッ!」

「殺し屋風情が、先ほどからふざけおってッ・・・・・・」

「薄汚いガリアのネズミが、身の程を知れッ!!」

激昂のあまり勢いよく立ち上がる者、唾を飛ばして罵りの言葉をまくし立てる者。漂い始める険悪な雰囲気。

しかしそれを霧散させたのもまた、ゴンドラン卿であった。

「まあ待たれよ皆の衆、怒り昂ればそれこそ彼の言葉を肯定しているようなものでははないか。……いいかね地下水君、我々にはガリアの者である君には分からないかもしれないが、今この国は非常に不安定なのだ」

「それが一体、何の関係が? 自らの武勲にて築き上げたその功績を妬み、勝ち取ったその名声を呪う。ついには自分の手を汚そうともせず、わたしのようなものに頼る。一体あなたがたのどこに、貴族足り得る誇りがあるというのです?」

「……それも陛下のためとあらば詮無きことよ。あの成り上がりが世界を救った英雄と呼ばれ、閣下の近衛の副隊長であるという理由を鑑みても、捜索の規模の大きさ、期間の長さはありえない。民衆からの支持は得ているが、平民ごときを優遇し、盲目になって捜索隊を西へ東へ動かし回る閣下の挙動を快く思わない者がいる。国を支えるは民草ではない、陛下の盾となり杖となる我ら貴族。我々は王を支える臣下として、閣下の目を醒まさせねばならぬのだよ」

「……」

 黒フードは言葉なく、悲しそうに首を振る。……そしてゆっくりとした動作で外した仮面を、床へと投げ捨てた。

 カラン、カラァン……

 静寂の中、繰り返し次第に小さくなっていく仮面の残響。

 現れたその素顔……他ならぬアンリエッタ・ド・トリステインの姿を、誰もが唖然としてただ見つめていた。

「……は、は、はははっ」

 驚愕に見開いた目をすぐさま訝しみに細め、ゴンドラン卿は笑う。しかしその乾き、掠れた声は誤魔化せない。

「面白い冗談だな。あんなに陛下が猿のように、飛んだり跳ねたり出来るわけがなかろう?」

 そう言いながらディテクト・マジックを唱えたが、黒フード……アンリエッタの姿は変わらなかった。

「あ、あなた様、は……」

その場にいた全員は蒼白になり、床に平れ伏す。・・・・・・しかし、ゴンドラン卿だけはその頭を下げない。彼はこの集まりの中心人物。目の前に立つ王の存在を、何としても認めるわけにはいかなかった。

「……そんな、そんなわけがない! ふざけるなっ、卑しき分際で陛下の姿を語りおって……っ!」

 自分を肯定するかのごとく次第に語気を強め、ゴンドラン卿は円卓をつたい、つかつかと女王へと詰め寄る。今にも掴みかかろうとするゴンドラン卿を前に、黒フードはどこからか取り出した指輪を、既に指輪を嵌めたもう一方の手に近づけた。……途端、指輪が虹色の光を振りまく。風のルビーと水のルビーが織り成す虹。……王家であることの絶対的な証明に、ゴンドラン卿は足を止め、膝から崩れ落ちた。

「・・・・・・そんな、・・・・・・ばかな、っ・・・・・・」

 ……言い逃れはできない。なにせ他ならぬ陛下の前で、陛下の近衛の副隊長の暗殺計画を語り、禁忌である水の秘薬の存在をも明かしてしまったのだ。……しかも、罪状はそれだけに留まらない。疑われ、問いただされれば最後、今まで行ってきた数々の企てや密会がズルズルと連なり、白日の元に晒されることは想像に難くない。

 逃れられない破滅、訪れる一巻の終わり。……だから、だからこそ。ゴンドラン卿はその心に燻る激情を、この場にいる大貴族たちを代表して訴える。

「なぜ……、なぜ陛下は平民などをあんなに優遇するのですか! あの者のせいで我々の名誉は地に落ちるばかりです! 我々の名誉を保証してくれるのは陛下なのに、どうして陛下の穢れ、あの平民を除くことがかなわぬのですか!」

 憤怒と嫉妬を隠すことなくぶつけてくるゴンドラン卿に、黒フード……アンリエッタは静かに問いかける。

「……あなたは七万の軍を止めることができますか?」

「え?」

唐突な問いに、固まるゴンドラン卿。アンリエッタは呆けた彼らの答えを待つことなく、質問を続ける。

「竜騎士数十騎を打ち破ったことは? 体長二十メイルのゴーレム十数体を破壊したことは? ……彼は、サイト殿はそれをやってのけ、幾千、幾万もの人々の命を救いました。 あなた方はあの戦争で何をなさったのですか? 民を、兵を、どれだけ救ったのですか?」

「……それ、は……」

 ゴンドラン卿は言葉に詰まり、観念したようにうなだれた。

 反論するほど、ここにいる名のある貴族たちはあの戦争で活躍してはいない。ヴァリエール家のように、戦争に莫大な軍資金を出資するのが嫌で軍務に就き、危険からは程遠く、どう転んでも自分たちに責任は降りかからない、名前ばかりの立場に収まった者ばかりだった。

 アンリエッタはため息をつきながら言葉を続ける。

「成果には、それに見合った報酬を与えねばなりません……あなた方の言い分もわかりますが、もしサイト殿を殺めるなら、それ相応の民の命を救ってからにしてください」

アンリエッタはそう言うと、……深々と頭を下げた。

「……此度の件は、わたくしのあなた方に対する説明の不十分もありました、深くお詫び申し上げます」

「……え?」

 ゴンドラン卿が再度漏れる驚きの声を、アンリエッタは気にする風もなく続ける。

「……あなたがたの所業は、到底許されることはありません。しかしあなたたちはわたしの口を封じようと、襲いかかろうとはしなかった。そのわずかに残った忠義に免じ、此度の企てに関しては不問とします」

「……そ、それでは……」

「……しかし、わたしの騎士隊の副長に牙を剥いたことと、罪無き民を操り、奴隷へと陥れたのも事実。……よって、今回の件は今まで奴隷の烙印を付けた者たちを保護し、罰として彼らを生涯扶養すること。……そして、今までの倍の年貢を王家に収めること。この二つを命じます。 ……もちろん、領地の農家たちに負荷をかけることは許しません。不足分はあなたたちの懐から出しなさい」

「か、閣下! ……本当に許してくださるのですか、我々の罪深き行いを!?」

 跳ねるように顔をあげ、ゴンドラン卿は食いつくように問う。本来であれば爵位剥奪や領地没収されても、なんらおかしくはないのだから。

「ええ、しかしもし再びこのようなことを行うならば、今度は首を飛ばします。この場にきていない他の貴族たちにも、しっかりと伝えておくように」

アンリエッタはそう言い残し、踵を返して執務室を後にする。

「……ありがとうございます、ありがとうございますッ……」

 去りゆくその背にゴンドラン卿は何度も何度も頭を下げる。・・・・・・しかしその心中で浮かべるは笑み。

 窮地を脱した安堵が半分、もう半分は、主を出し抜いたことに対する愉悦。

(……不問ということは、追及する気がない、ということ。王は過去に起こした企てに関しては知らないのだ!)

そうと来ればしめたもの。たとえ取り立てが何倍になろうと、アカデミーの研究を裏ルートで横流しして稼いだ金があれば何も問題は無い。何事も金さえあれば後はどうにでもなる。少しずつ、

(・・・・・・ふっ、まだまだお若いですな、閣下・・・・・・)

 ニヤリ、と口元を歪めようとするが、緊張で強張っている。仕方が無いので声無く肩を震わせるに留め、ゴンドラン卿はアンリエッタが投げ捨てた仮面を拾おうとして・・・・・・その二秒後、そこに羅列してある自分たちの数々の裏取引と、請求されたその法外な税を見て、ぎこちない笑顔を一層引きつらせたのであった。


魔法研究所から出た途端、強風が吹き付けた。

アンリエッタは風の出所・・・・・・頭上で羽ばたく竜たちと、その間に括り付けられた籠を見上げる。ゆっくりとこちらに向けて竜籠は降りてくるが、その窓から顔をのぞかせる銃士隊隊長はまどろっこしいとばかりに扉を開け飛び降り、アンリエッタの目の前に現れた。

「陛下、お怪我は御座いませんでしたか!?」

 自分の姿を食い入るように上から下まで凝視し、なにも外傷がないことを確認し安堵のため息をつく腹心。しかし安堵のため息をついた直後、その目は自分の行いを非難するように鋭く光り、軍人特有の張り上げられた声による詰問が飛ぶ。

「・・・・・・陛下、なぜお一人で行こうと思われたのですか!? 御身に何かあれば、この国は一体どうなるとお思いですかっ! もう少しご自身の立場を考慮されてください!」

 その言葉の圧は凄まじく、聞けば誰もが気圧されていただろう。しかしその臣下の忠言を、アンリエッタは真っ向から受け止める。自分の身を心から案じていたからこそ、この腹心はこうして自分を諌めてくれていると理解しているからだ。

「為政者とは自分の身を省みず、民を導くべく敢えて矢面に立つ者のこと。・・・・・・わたくしがあのネフテス統領から学んだことです。・・・・・・それに、此度はわたくし一人ではありませんでしたもの」

そう言ってアンリエッタは腰に挿した短刀をハンカチでくるみ、アニエスのてのひらに乗せて、短刀に一礼する。

「地下水殿、ご協力いただきありがとうございました。すぐに頭に血がのぼる、わたくしのような野蛮な王のお守りはさぞや大変だったことでしょう?」

 名前を呼ばれた“地下水”・・・・・・インテリジェンス・ナイフは愉快そうに答えた。

「ええ、確かに大変でしたが面白くもありました。特に殿下が素顔をさらした際の、あの貴族たちの表情! 自分の地位や立場に安心しきっている者たちの狼狽ほど、見ていて楽しいものはございません! ああ、あれほど間の抜けた顔を見たのはいつ以来でしょう、この地下水が高慢ちきな王女の身体を借り、楽しい楽しい舞踏会を行った時以来・・・・・・」

 話していくうちに徐々にテンションが上がったのか、ガチャガチャと音を鳴らし始める短刀。・・・・・・しかし、その言葉もそこまで。竜籠から遅れて出てきた人物がアニエスの背後から手を伸ばし、その手のひらに置かれた短刀を掴み取る。

「失礼しました、アニエス殿。このナマクラの無礼を見かね、つい手を出してしまいました」

 鞘と柄を強く握りナイフのお喋りを封じ、頭を垂れる青髪の少女イザベラ。・・・・・・ガリアの裏組織、北花壇騎士隊を統べる彼女に調査を依頼し、地下水を借すよう頼んだことは内密にと伝えてあったが、どうやらこの腹心に質問攻めにあったらしい。顔を上げた彼女の瞳には、銃士隊隊長に対する怯えが見て取れたのでアンリエッタにはすぐにわかった。

「・・・・・・まったく、今後このようなことが無いようにされてください・・・・・・」

話の腰をぽっきりと折られたアニエスがっくりと肩を落とし、同時にその語気も勢いを落とす。すっかり意気消沈してしまった臣下を宥めるように、アンリエッタは今回の出来事を謝罪する。

「確かに此度の件は独行が過ぎました、以後二度としないと始祖ブリミルの名に懸けて誓います。・・・・・・しかしもう大丈夫ですわ、もうこのようなこと起こす必要などありませんもの。・・・・・・このトリステインに、わたくしと知りながらも飛びかかってくる不届き者はおりませんでしたから」

「おやおや、その言い方ですとまるで大立ち回りを望んでいたように聞こえますが?」 

「ええ、それが出来たらよかったのですけれど。わたくしに直訴しに来る気概もなく、こそこそと陰口をたたくような彼らには、その犯した業に相応しい賠償金を命じるしかありませんでした」

 横から飛んできた地下水の声に応じるも、既にそこには短刀の姿も、それを持つイザベラの姿も見当たらない。見ればいつのまにかアカデミーの柱の影に身を寄せ、一人と一振りはこそこそと会話をしていた。

“この無礼者、陛下になにふざけたことを言ってるの、取り消しなさい!”

“おお、あの高慢ちきだった姫殿下が、敬いの言葉を誰かに注意できるように成長したとは! この地下水感動を覚えております・・・・・。・・・・・・しかしいやはや、それにしても女性というものは実に恐ろしいですな。そうは思いませんか、イザベラ殿・・・・・・・”

“・・・・・・ッ、いい加減にしないと重石つけて海に沈めるわよ! あの時の屈辱、忘れた訳じゃ・・・・・・”

怒った様子で話すイザベラに、笑っているのかカチャカチャと音を鳴らす地下水。インテリジェンス・ナイフが言葉を放つたびに、ガリアの元王女の顔はみるみる憤怒の赤に染まっていく。声量が次第に大きくなり、隠れる意味はあったのか、と首をかしげるアンリエッタにわざとらしい咳払いを聞かせ、アニエスは話を戻す。

「・・・・・・して陛下、彼らに請求された金額はおいくらほどになるのですか?」

「聖地遠征の出費ほぼすべてですわ。貴族としての振る舞いをなんとか保てる程度の財は残るようにしてありますわ」

 そう言うとアンリエッタはどこからともなく、書面を取り出しアニエスに渡す。そこに記載された悪事の数々と、その隣に列記された桁を数え、アニエスは眉をひそめた。自分が百年働いても届かない金額だった。

「・・・・・・莫大な額ですな。しかし“払えない”と言われたらどうなされるおつもりですか? 謀反など起こされてはひとたまりもありませんぞ?」

「そんなことできませんわ、彼らには。・・・・・・彼らが自分の立場を、命を賭し、何かを守ろうとも変えようともしなかったからこそ、今回わたくしがこうして出向き処罰を与えているのですから。・・・・・・いっそこの指輪を見せつけず、地下水殿の言うように大立ち回りをやったほうがよかったかもしれませんわね・・・・・・」

 アンリエッタは言いながら、その指に嵌まる青い指輪を見つめる。今回の密会に潜入する準備として、自分がトリステイン国王であるという証拠にするために、アンリエッタは水のルビーをルイズから返してもらっていたのであった。 

「・・・・・・それにしても以外でした。以前の陛下でしたら今回の集会はともかく、今までの彼らの悪事をも見逃すなどありえないと思っていたのですが・・・・・・」

「・・・・・・サイト殿の探索に力を入れるあまり、貴族たちの扱いがぞんざいになっているのも事実です。・・・・・・この国全体が遠征の出資に喘いでいるいま、ゴンドラン卿のような名のある貴族を罰せば、いかなる理由であろうと反感を買うことは避けられません。・・・・・・ならば弱みを握りながら、搾れる分だけ搾り取った方が効率的でしょう?」

「・・・・・・驚きました。この半年で随分としたたかになられたようで」

「・・・・・・ええ、いつまでも何も知らない小娘でいられませんから」

 アンリエッタは言いながら、水のルビーの指輪を外す。用が済んだいま、このルビーもルイズの元に返さなければならない。

 ・・・・・・元々は自分の物だった、この水のルビー。今は亡きアルビオンの王子を思い出すために手元に置いておきたいとの思いはあったが、この指輪をルイズが嵌めると、始祖の祈祷書が読めるとなれば話は変わる。・・・・・・“彼”がこの世界に帰って来れる唯一の希望は、親友の持つ伝説の力なのである。もう既に使えなくなっているとしても、可能性の芽を潰したくはない。

(・・・・・・サイト、殿・・・・・・)

 ここにはいない彼の名前を心で呼び、アンリエッタはつまんだ水のルビーを、指に嵌まったままの風のルビーに近づける。強い日差しに照らされた二つの指輪は、七色の光を普段より一層きらびやかに振りまいて、王家の間に虹を架ける。

(あなたが安心して帰って来れる国になるよう、わたくしは頑張ります。・・・・・・ですから、どうか。どうかご無事で・・・・・・)

 そう思い、アンリエッタは空を見上げた。今日はよく晴れていると思ってはいたが、見上げた空には本当に曇り一つなくて、視界一杯にどこまでもおなじ蒼が続いている。

 ――――これは幸運の兆しか、それとも不運の前触れだろうか。

 脳裏にふと過ぎったそんな占いじみた考えを、トリステイン国王は頭の中から追い出して、アニエスに促されるまま用意された竜籠に乗るのであった。

 

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