血塗れた悪意 Ⅵ

 

 舞い散る血飛沫、次々と奪われていく命。とめどなく流れ落ちる悲哀の涙、絶えず響き渡る怨嗟の怒号。

 突如現れたエルフが繰り広げる血の宴を目の当たりにしながらも、しかしトリステイン女王はその惨劇をただ見ていることしか出来ずにいた。……恐怖に体が竦んでしまった訳でも、わが身の命が惜しくなった訳でもない。目が合った瞬間エルフが見せ付けてきた「力」にアンリエッタは望みを絶たれ、すべてを諦めてしまったのだった。


 (まさか、あんなッ……、……始祖よ、わたしたちが一体、一体何をしたと言うのですか……)


 見ることができたのは一瞬だったが、鮮明に覚えている。エルフの足元から何かが木の根のように伸び、そのまま地の底に溜まる莫大な力へと繋がっていた。そしてその力の正体を、アンリエッタは知っていた。

 (間違いない、あれは火石だった。……あれだけの量があれば広場、いや、それどころかこの街ごと……ッ!!)

 脳裏にガリアの上空、フリゲート艦で見た煌々とした巨大な火の玉が蘇る。あの時に匹敵するような地獄がこの場で起きる、そう思うだけで震えが止まらない。しかも幸か不幸か、アンリエッタはこのエルフのように、狂気を纏い全てを灰燼へと帰した男を知っていた。


“俺はただ単に地獄が見たいだけなのだ。耐えようの無い地獄が。誰も見たことのない地獄が。この胸を蝕んでやまぬ地獄が見たいだけなのだ”


 暗愚と揶揄されたガリアの王の言葉が思い出される。だがその破壊にあげる熱は、爆発の規模と同じく比べ物にならない。

 彼はその言葉通りに大艦隊に乗る十万人の命を一瞬にして屠ったが、何一つ心を動かされた様子もなく、ただただ無表情に地獄絵図を眺めるだけだった。それに対し眼前のエルフは明らかに破壊を楽しみ、殺傷することに喜びを覚えている。


“・・・・・・どうせなら、おれは狂いたかったよ。せめて狂えれば、まだしも幸せだったろうに”


 理解しがたいその精神のあり方に、答えをくれたのもまた狂王の言葉だった。彼の言葉にはどこか自嘲の響きが含まれていて、その笑みから悲しみの色が落ちることはなかった。きっと彼はこのエルフのように狂おうとして、しかし狂い切ることが出来なかったのだろう。

 …・・・いや、だからこそ死ぬ間際に彼は、あれほど清々しい表情を浮かべることが出来たのかもしれない。しきりに弟の名を繰り返していたあの王は、ただその思い出だけを胸に抱いていたのだから。その嫉妬という名のわだかまりが溶けさえしていれば、彼はただの弟思いの兄になり、彼らがただの仲の良い兄弟になる未来も、きっとあったはずなのだ。

  ・・・・・・だがしかし、このエルフは違う。その異常を意識し、その衝動を理解し、それらを飼い慣らした上で敢えて身を委ねている。彼の瞳から狂気が消える光景が、どうしてもアンリエッタには想像できなかった。

 空っぽの心を埋めるために暴虐に手を染めているのではなく、怒りと憎しみで満ちた心を解き放つために力を振るっている彼を一体誰が止めることができるというのだ? いや、誰にもできはしない。幾千、幾万もの屍を築きその上に立とうとも、何百、何千という家屋を焼き焦がそうとも、その殺意が潰えることはないだろう。

 一度そう思わされてしまえば、抵抗の意思など湧き上がるはずも無い。エルフに過剰に与えられた恐怖に動悸が加速させられ、息が詰まってむせ返ってしまう。アンリエッタの心は、もはや完全に屈服してしまっていた。

 

・・・・・・・そう。金髪の妖精が、壇上に再び姿を現すまでは。


 (ッ、ティファニア!? ・・・・・ああ、なんてこと・・・・・・)

 そのしきりに上下する肩を見るに、この騒ぎを暴動が起こったのではないかと危惧し駆けつけてきてくれたのだろう。 

 従姉妹の帰還は純粋に嬉しかったが、今のアンリエッタにはそれを素直に喜ぶことが出来ない。きっと苦しみ悩んで考え抜いた末に、自らの使命を果たすことを望んで彼女はこの場に戻ってきてくれたのだろう。

 ・・・・・・しかし、状況は彼女が場を発った時から、あまりに変わり果ててしまっていた。もはやたかが少女一人に、どうこうできるような状況ではない。現にティファニアは壇上に広がる光景に唖然としてその身を固まらせている。絶対絶命であったが幸いなことに、エルフは彼女の出現にまだ気づいていない。

(・・・・・・せめて、せめてティファニアだけでも逃げさせなくては!)

 アンリエッタは身振り手振りで必死に退避を訴えるが、従姉妹が察知した様子は無い。しかしこちらを注目させようにも、呼吸をするだけでいっぱいいっぱいの喉に声を出す余裕などあるはずもない。

(早く、早く気付かせないと! ・・・・・・そうだ、これを投げれば!)

なすすべなく焦燥に駆られていた女王の目に入ったのは、先ほどの銃撃で衛士たちの額を貫通した銃弾だった。

 (彼らの命を奪った凶器を使うのは心苦しいけど……、でもこれを投げれば、このエルフに気付かれることなくティファニアにこちらを向かせられる!)

 助けたいという想いが、助かってほしいという願いが恐怖に打ち勝ったのか、体の震えは収まっていた。転がる血塗れの鉛を、アンリエッタは拾おうとして……

 ……そして突如流れ込んできた禍々しい感情に、全身を刺し貫かれたかのような錯覚に襲われた。 

(……えっ……?)

 体が動かない、いや、動かせない。何が起こったか分からずに、従姉妹と同様にアンリエッタは唖然としてしまう。だがこの酷悪極まる狂気は、眼前のエルフのもの。かつてガリアの上空で、恐怖を染みこませられた肌が感じている、間違い、ない。

 “……ふん、やはり面倒だな。あの混血についていた鎖のように、目印になるようなものが予めついている訳ではないのか”

“まあいい。わたしがいま求めている情報は、この干渉が本当に正しく作用しているのかどうかを知ること。実験体として一匹二匹いじってもそう時間は食わん、惜しむような手間ではないな”

 “……さあ蛮人の王よ、その空虚で無様な半生をさらし出せ”

 問いを投げる間もなく、次々と並び立てられる言葉。……直後に、頭の中で何かが弾けた。

(!? !!! ・・・・・・!?)

 言葉にならない呻きをあげるが、エルフは躊躇無く自分の記憶を弄り回し始める。身体の硬直が一瞬溶け、瞬時に元凶である銃弾を投げ捨てるがもう遅い、指先から伝うエルフの支配から逃れられない!

“……さあ、恨み、妬み、呪うがいい。貴様が認めず、忌避するものを。

 心温まる大切な思い出も、気持ちが沈む忘れたい思い出も、関係なしに掘り返され暴かれる。誰とも知れない他人によって汚れていく、穢されていく。荒らされる際に生じる追憶が、地べたを引きずり回されるような屈辱をアンリエッタに味わわせる。

“さあ、貴様はなにを壊したい、なにを潰したい? 己が欲望のまま、衝動のままに言うがいい。貴様の醜い憎しみを、わたしが肥大させてやろう。さあ、どうなるだろうか? どうなるだろうか? あの薄汚い混血でもあれほどまでにわたしを笑わせてくれたのだ、理智無き蛮人ならばさぞかし面白かろうなあ”

(・・・・・・っ! ティファニア、あなたもこのヘドロのような悪意に囚われていたの・・・・・・?)

 ・・・・・・いやあれほど傷つき、悲しみに暮れていた従姉妹が受けた痛みはこんなものではないのだろう。きっと自分には想像もつかないほどの苦しみに、苛まれたに違いない。

 (でも、あの子は乗り越えた。ここにこうして、戻ってきてくれた! ・・・・・・だというのに民を率い、導く王たる自分が屈するわけにはいけないっ!)

 諦めの果てに死に絶えた心が、再び脈を打ち始め息を吹き返す。大事な記憶を辱められたという悔しさや、心折れた自分の不甲斐さに湧き上がった羞恥が相まり、エルフの暴虐への叛意はみるみる固まっていく。

 (たとえ一矢報いることが出来なくても、せめて今しがた倒れたあの細身のエルフを助けるくらいならば出来るはず!)

 思い立ったアンリエッタは、台座に立てかけた杖を取ろうとする。

 ・・・・・・しかしその僅かな間すらも、身の内に巣食う狂気は与えてはくれなかった。

“ほほう、これが貴様の一番大切なものか”


 『・・・・・・アンリエッタ。最後のお願いがあるんだ』


 そう言ってエルフが取り出したものは、自分の奥の奥に仕舞い込んでいた記憶だった。


 『誓ってくれ、アンリエッタ』

(・・・・・・あっ、い、やッ・・・・・・) 

それは忘れようにも忘れられなかった思い。自分たちが出会い、別れたあの湖畔で、沈みゆく彼の亡骸と一緒に、葬り去ったはずの願い。


 『誓うとも。ぼくを水辺へ運んでくれ』


(やめて、やめて! それだけは、それ、だけは・・・・・・っ!!) 

 

 血を吐くような懇願に、しかしエルフは耳を貸してはくれない。湧水のように清らかな思い出に、どろりとした害意が流れ込む。


“許せなかったのだろう? 愛する男を死地へと赴かせたすべてが。無辜の民を使って戦を起こすほどに。親友とやらを道具にし、使い潰そうとするほどに”


 身体どころか魂まで凍り付いていくような錯覚が、指の腹からじわりじわりと上っていく。エルフの言葉だけがぐるぐると頭の中で回り、思考を蝕んでいく。


“『国』という漠然としたものに対してですらそれほどの怨恨を向けたのだ。・・・・・・ならば貴様が信じて送り出し、思い人を討った者であればさぞかし憎かろうなぁ?”

 抵抗の余地なく、呻きを上げることすらできずに蹂躙される記憶。次第に大きくなる声はその輪を狭め思考に絡み付き、最も憎悪するあの男の記憶を無理矢理引きずり出す。


『あなたは貴族の鑑のように、立派でございますわね』

『殿下のいやしきしもべに過ぎませぬ』


 精悍な顔立ちに、鍛え抜かれた屈強な身体。初めて見た印象からその男を自分は見誤り、そして男も平然と嘘をついた。

 

“解き放つのだ、その憎しみを。貴様の心は煮えたぎっているぞ、燃え盛りたいと願っているぞ?” 


『貴方の忠誠には、期待してよろしいのでしょうか? もし、わたくしが困ったときには・・・・・・・』

『そのような際には、戦の最中であろうが、空の上であろうが、なにをおいても駆けつける所存でございます』


 真意を問う自分の言葉に、男は嘘を上塗りしてまで自らの忠心を主張した。自分の信用を勝ち取るためだけに、あの男は栄光極まる魔法騎士隊の隊長まで上り詰めたのだろう。・・・・・・並大抵の、努力ではない、きっと彼にも叶えたい願いが、思いがあったのだろう。

 しかしあの男は自分を欺き、あの人の命を奪った。それだけで十分だ。許す道理など何一つ無い。たとえ刺し違えようともその命を絶ち、その罪を償わせる。


“何を我慢する必要がある? 貴様は正しいというのに、何を躊躇っている? 忘れられないのだろう? 水の精にその想いを捨てることを誓っておきながら!”

 

 許すわけにはいかない。絶対に、あの男だけは・・・・・・


“さあ言ってみろ、貴様が誰よりも憎む、その者の名を!!”


「・・・・・・ジャン・ジャック・・・・・・・・・・・・、ワル、ド・・・・・・」


その瞬間、エルフに流しこまれた泥がアンリエッタの中で弾けた。 


“・・・・・・憎、い。憎い。憎い。憎い。憎い”


 溶け出し混ざり、濁り澱んでいく。真っ黒に染め上げられた記憶は温床となり、負の感情を芽吹かせ育む。


“許さない許さない許さない許さない絶対絶対絶対絶対あの男のせいだあの男のせいだあの男のせいだあの男のせいだウェールズさまウェールズさまウェールズさまウェールズさまどうしてどうしてどうしてどうして約束したのに約束したのに約束したのに約束したのに”


(ああ、あ、・・・・・・・あああ・・・・・・)


 成熟した憎悪は瞬く間にはびこり、少女の心を絡め取る。・・・・・しかし悲運は、それだけに留まらない。荒れ狂う感情の濁流に呑まれ溺れるアンリエッタの元に、エルフの本体が近づいてきた。

「・・・・・・ッ、止まれッ!! それ以上近づくならばその首、即刻切って落とすッ!!」

 ふらふらとした足取りでにじり寄ってくるエルフに、その身を震わせながらもアニエスは自分の前に立つ。しかし、その意地も覚悟も意味を為しはしない。羽虫でも相手にするかのように虚空を払うだけで彼女を壇の端まで吹き飛ばし、エルフはアンリエッタの前に立つ。その血走る瞳を見れば言葉はいらない。このエルフは、自分を殺しに来たのだ。

(・・・・・・でも、どうしてわざわざここに? わたしを殺したければ、わたしの中にいる分け身に殺させればいいだけなのに・・・・・・)

 “・・・・・ん? なぜだ? この王は最後の仕上げに取っておくはずであろうが、なのにどうして『わたし』がここに来るッ!? 貴様は本当に『わたし』”

いまわの際に生じたかすかなその疑惑は、内から響くエルフの動揺に上書きされた・・・・・・が、うわずるその声は、あっけなく途絶えてしまう。顔を上げクリアになった思考で視界を見渡すと、銃を構えていたファーティマも自分と同様にエルフの支配から開放されたようだった。

(チャンスだわ、今なら魔法を使える! 今すぐ駆け寄ったなら、ビターシャル殿であれば・・・・・・!!) 

眼前のエルフの隙を見て、戦える者を戦線復帰させようとアンリエッタは画策する。・・・・・・しかしその希望は、束の間のことでしかなかった。

 突如としてエルフから流れ出す邪気によって、身を焦がすような憎悪が再び目を覚ます。しかもそれは先ほどの比ではない。一瞬でも気を抜けば狂わされそうなその衝動に、アンリエッタは身を屈め必死に耐えるが、・・・・・・持ち応えられない。

 笑い声をあげるエルフ、少しずつ消えていく自分の意識。ふと見上げれば、襲いかかってくる研ぎ澄まされた風があった。

(……ああ。死ぬのね、わたし)

(・・・・・・ならばせめて、最後の時くらいは。・・・・・・貴方を、貴方を心に抱いて・・・・・・)

 すべてが黒へと変わってしまった心の中、アンリエッタはただそれだけを念じ探し求める。……しかしかき分けた汚泥の底から浮かんできたのは、今は亡き思い人ではなかった。幾度となく自分の窮地を救ってくれた、異世界の少年だった。


(……ああ。やっぱり貴方は最後まで、わたくしの愛に応えてはくださらないのですね……)


迫り来る凶刃から、アンリエッタは目を背けない。このやり場のない悲しみから、抑えようのない憎しみから解き放たれるのならば、この死も救いのように思えてならなかった。


……しかし膨れ上がった怨恨は、アンリエッタをどこまでも追いかけて逃がさない。

眼前にある死との間に1本の軍杖が割り入り、その刃を止める。


……そこには、真っ白な仮面をつけた男が立っていた。

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