血塗れの悪意 Ⅴ


 走る。走る。走る。式場まではもう数十メイル、近づくにつれて喧騒がはっきりと聞こえてくる。

 ・・・・・・しかし、何かがおかしい。困惑よるざわつきや怒号による喚きならば分かるが、聞こえてくるのは悲鳴や叫声ばかりだった。

 (・・・・・・きっと、暴動にまで発展してるんだわ。・・・・・・もしかしたらもう、死人も・・・・・・)

 ・・・・・・戻ってきた壇から見る光景は、もう取り返しのつかないものであるかもしれない。釈明することすら許されず、壇上に立つなり自分は凶弾に倒れてしまうかもしれない。

 しかしどんなに過酷な辛苦さえも、もうティファニアの足を止める理由になりはしない。幕を引かれた舞台裏、左手に回り、階段を駆け上がって・・・・・・


 ―――そして、混血の少女は何の比喩でもない、本当の意味での“惨劇”を目の当たりにした。


・・・・・・えっ?

最初に瞳に映るは、血だまりの中に倒れた複数名のエルフ。彼らの中にはネフテス統領の姿もあり、・・・・・・さらにその目の前には、虚ろな目をしたエルフの従姉妹が、沈む老いた体に銃を向けたままの姿勢で立ち尽くしていた。

(何があったの? どうして彼女が???)

 思わず台座に座るもう一人の従姉妹を見やるが、彼女の様子もまた普通ではなかった。自分の立つ壇の端から見てもわかるほどに、トリステインの女王は顔を蒼く染めており、その背を折り身を丸めて震えていた。まるで少女のように怯える彼女を守ろうと、機を見て割り込もうと剣を構える銃士隊隊長の姿もあった。

「ぐ、ぅううッ・・・・・・」

 呻きがあがった方を見れば、そこには膝を折る蛮人対策委員長の姿。その四肢につけられた傷は深いのか、純白だった礼服は真っ赤に染めあげられており、今でも止まることなくその両手足の先から鮮血を滴らせている。


・・・・・・そして、そんな彼の前にエルフは一人立っていた。


 壇の中央という一番目立つ位置にいながら、どういうわけか一番最後に存在を認識したのは彼。そのあまりに過剰な無意識内の忌避、そしてその背中姿からでも伝わるその異様なたたずまいが、この状況を作り出したのは彼であると語る。

(なに、なに? 一体なにがどうなっているの!?)

 唐突な邂逅にティファニアは驚くが、しかし対するエルフはそれを知っていたかのように悠々と振り向く。 ティファニアは更なる驚愕に絶句した。

 大きく見開かれた目、血走る瞳、痩せこけた頬、真っ青な肌。

 その風貌が常軌を逸しているのはわかる。しかしどういうわけだろうか、目視して得た情報が端的にしか頭に伝わってこない。

 突如起こった自らの異変。その疑問は、彼の発した罵声によって解き明かされた。

「・・・・・・来たな、面汚し」

 その語気は至って平坦で、ゆっくりとしたものだった。怒りに任せて声を荒げるでもなく、憎悪に身を委ねて襲撃してくるわけでもない。しかし混血の少女には、その言葉が何よりもおぞましく聞こえた。

 「どうして貴様は帰ってきた、・・・・・・いや、帰ってこれた? ……わたしはわたしの悪意を貴様に植え付けた。ふと思ったのだよ、汚辱にまみれた存在である貴様など、獣のように感情を剥き出しにして喚き散らしているのがお似合いだとな」

 先ほど不調は、きっと心がこれ以上傷つかないように行われた自己防衛だったのだろう。この言葉から伝わってくる禍々しさ、間違いない。ティファニアは確信する。間違いなくこのエルフが、自分の心に入り込んできた“何か”の正体だと。

「・・・・・・だというのに、わたしが送り込んだはずの悪意はどういうわけか貴様の中で変質し、自らを責めたてさせる程度になってしまった。なあ、これは一体、どういうことだ? ……三分くれてやる、わたしの納得のいく説明をしろ」

 問いかけながら威圧するようにかつりかつりと靴を鳴らし、一歩づつ、ゆっくりと近づいてくるエルフ。緩慢なその動きはさながら獲物を追い詰める蛇のようで、後ずさりすればその瞬間命を絶たれるような錯覚を覚えてしまう。

「さあ、さあ。なぜだ? なぜだ? 答えよ、応えろ」

 そう考えている間にも、硬直する自分とエルフの距離は縮んでいく。ティファニアにはその距離が、自分に残された命の残量のように思えてならなかった。

 

 ……けれどもその時、一際大きい少女の悲鳴が聞こえた。


 先ほどトリステインにいる孤児院の子供たちの話を聞いたこともあって、ティファニアの意識は否応無しに壇の下、観客たちのほうへと引きずられた。

 深紅に染められた壇の上も凄惨であったが、視線を降ろした先の苛烈さもそれに引けを取らない。そこで繰り広げられていたのは、紛うことなき命の奪い合い。

 石工が持つ道具を、商人が持っていた武器を人もエルフも関係なく奪い、争って……

 しかし、その先を見届けることはできなかった。

「……ほぅ、余所見をするとはずいぶんと余裕だな。……それとも、もしやわたしは軽んじられているのか?」

 呼びかける声に背中が凍りつき、思考が止まる。はっ、と視線を戻せばエルフの手には拳銃があった。

「ならぬ、ならぬなぁ。もし貴様にそのつもりがなかろうとも、貴様を待ってやっているわたしに対して、あまりにも礼を逸してはいないだろうか? ……いかに寛大なわたしでも、それは流石に許してやることはできんなぁ……」

 ぐにゃりと歪むその頬から狂気が滲み出す。甲高い破裂音が鳴り響き、ティファニアは反射的に目をつぶる。


 ……しかし、予想していた激痛が襲い掛かってくることはなかった。


「……ふむ。命拾いしたな出来損ない」

 エルフの言葉が耳に入り、何が起こったのかを確認するべくティファニアは恐る恐る目を開ける。自分の身体は、どうにもなっていない。対するエルフの手中からは拳銃が消えて……、

「……ッ!?」

 見てはいけない。認識が理解に追いつく前に、視線を逸らす。……真っ赤に染まった腕。その先には銃どころか、あるべきはずである手首そのものが存在しなかった。

「まったく、折角回復してきたというのに……」

 だというのに、当のエルフは動揺する様子を欠片も見せない。そして彼が取った行動は、もう片方の手でゆっくりと指を弾いただけだった。

 たったそれだけの動作、何の意味も為さないはずの行為。しかし変化は劇的で、千切れた手の断面からは血肉が盛りあがり、その先にこぶし大の塊を作った。塊の中ほどから五本の筋が入ると裂け、……そして、まるで何事もなかったかのようにエルフの手は元通りになる。

「……まあ、こんなものか」

 “出来上がった”ばかりの手のひらを開閉し、感触を確かめるエルフ。眼前で彼が起こした信じられない事象に、ティファニアは思わず指に嵌まった台座だけの指輪を見る。母の形見であり、才人の命を救ったこの指輪でも、あれほどの損傷を回復することは叶わない。

 ……治癒ではなく再生、「治す」ではなく「生やす」。彼の一連の行動は不気味なその風貌も合わさり、見る者に爬虫類じみた印象を与え、本能的な嫌悪と畏怖をその心から引きずり出した。

「それで先ほどの質問だが、考えてみれば簡単なことであったな。貴様は貴様自身を憎み、恨んだのだろう? エルフの血を辱め、生きているだけでその恥を晒している身なのだ。どこに行こうが誰に会おうが、高貴なるエルフでも、低劣なる蛮人でもない貴様が嫌悪されるのも至極当然のことか。……わたしが貴様ならばとうに命を絶っているだろうに、まだ生に縋るとは。なんと憐れで惨めな生き物よ」 

 酷薄を極めるエルフの言葉に、黒い感情が再び胸の内で渦巻き始める。……しかし、それをティファニアは深呼吸一つで退けた。さっきの自分と今の自分は違う。もう逃げない、怖くない。「大丈夫」と、自分はそう言ったのだから。「行ってきな」と、あの義姉に送り出してもらったのだから。

「……そうだな、その滑稽さに免じて、寛大なわたしは先ほどの無礼を許すことにしてやろう。貴様の自責も聞いていてなかなかに愉しいものだったからな。 ……それにしても……、くくっ、自ら塞いでいた傷を、わざわざ抉り出して悶え苦しむとは!! いやはや、実に面白い見世物・・・・・・いや、聞き物であったよ!!!」

 自身の損傷を道具が壊れた、といった程度のことのように捉えていた瞳が、突如として爛々とした黒に変わる。二人の従姉妹は動けない。自分が動かないと、この状況は切り抜けられない。  

(なにがなんでも止めないと! ……でも、こんなの一体どうすればっ……!)

 恐怖に竦む身体を、絶望に崩れそうになる心を奮い立て、ティファニアは必死に打開策を模索する。

 ……するとその時、ふと指先に何かが触れた。震える手を滑らせ、握り締めて、それが服に挿さった愛杖と分かる。……“制御”をかけてもらい自分の罪を、才人を使い魔として呼び出したことを思い出せないようにしていたのに、それでも。それでも自分は、この杖をお守り代わりに持ってきていたのだ。

(……そうだわ。わたしの“虚無”なら、何とかできるかもしれない!)

 自分の“忘却”ならば彼の記憶を、狂気に囚われるきっかけとなった出来事を忘れさせられるかもしれない。

 しかしそう思い杖を引き抜こうとした矢先、いまの自分に虚無は使えないことをティファニアは思い出した。……“大災厄”が起きてから、虚無の力は自分の中から消滅していたのだ。

「・・・・・・しかし、しかしだ! まがりなりにも貴様はわたしの意を受け取ったのだ! 抗うことは許されず、容易くその心を折られ、思いを挫かれ、願いを潰されたはずなのだ! 当然だ、いまのわたしほどに強固な意思を持つ者など誰一人としていないのだから! ・・・・・・なのに、なぜ貴様はここに戻ってきた!? 高潔なるわたしがこの国を思う心よりも、卑しい蛮人の血が混じる貴様が心のほうが勝っているとでも言うのか!?」

目の前のエルフは笑みを消し、今度は憤怒を浮かべている。先ほどは運が良かったが、きっと次は無い。次にこのエルフの気に触れば、自分の命はない。それにもし“忘却”を使えたとしても、ファーティマと同様にこのエルフにも精神操作の類は効かないだろう。

 ……しかし現実として、ティファニアは杖を抜き、眼前のエルフに突きつけていた。

「……哀れで憐れな混血よ、貴様の虚仮威しはわたしには通じぬ。それでも貴様は、わたしに杖を向けるというのか?」

 自分の意図を計りかねているのか、エルフが投げかけてきたのは純粋な疑問の声だった。しかし、自分がこれから取る行動は呪文が効く、効かないといった次元の話ではない。

 あるかどうかも分からない虚無の残滓を、精霊から力を貸してもらう先住魔法のように行使し、ティファニアは集めようとしていた。

 (……出来るかどうかなんて分からない。でもエルフとメイジの血を引くわたしになら、もしかしたらっ……!)

 ……これは無謀極まりない賭けだ。きっと自分は何一つ出来ずに、このエルフに殺される。でもそんなことは分かった上で、自分はいまルーンを紡ごうとしているのだ。銃も魔法も効かないであろう彼を止めるには、この一縷の望みにかけるしかないのだから。


 ……ナウシド……イサ……


 詠唱を始めて、その手応えに愕然とした。幸い大気には“大災厄”の際に散った虚無が残っており、自分の身体に半分流れるエルフの血もあってか、奇跡的に力を集めることもできた。……だが、足りない。集まったのはせいぜい、いつも自分が使っていた程度の力。しかしこの程度では、このエルフの意思を、思いを消し去ることなど出来はしない。

「うむ、塵芥に等しい身で、抗おうとするその心意気は評価してやる。……褒美だ。貴様の息の根は、他ならぬこの裏切り者に止めさせてやろう」

 エルフがにやりと笑い、転がる兵士の懐を探るとそこから銃弾を取り出し、自らの意識を分け与えた傀儡へと放った。しかしファーティマは、それを受け取る以外の行動には出なかった。


 ……アルシーズ…………ハガラズ……


「……無駄な足掻きだ、やめろ。いかに卑しい裏切り者とはとはいえ、元同志の見苦しい真似など見たくはない」

 自分に向けようとする銃を、その握る銃弾を手放そうと必死に抵抗してくれているのだろう。せめぎあうエルフの意識と彼女の意識の様子を表すかのように、その両腕はまるで別の生き物のように激しく振動していた。


 ……ユル……ベオグ……


(……っ、だめ、このペースじゃ足りない、間に合わない! ……何とか、しないとっ……)

 しかしその時、ふと脳裏を言葉が掠めた。

〈……シャジャル……、いや、その娘……か? ……よく、似ているな……。ああ、まるで瓜二つだ……〉  

 誰だろう? 分からない。しかし、この場にいる誰かに話しかけられた感覚はなかった。そう、まるで自分の立つこの壇そのものに、話しかけられているような気がするのだ。


 ……ニード……イス……


「貴様も逆らうのか、……まあそれも一興だ。己の無力を噛み締め、打ちひしがれるがよい」

 エルフの言葉と共に、ファーティマの全身を淡い闇が包んだ。闇は徐々に動き出し、両腕へと流れ出していく。……一箇所に集めた分だけ身体の支配は弱まったのか、感情を失った瞳には色が戻り、結ばれていたその唇が開かれる。 


 ……アルジーズ…………ベルカナ……


「……やめろ、やめて、くれっ……」

悲哀に満ちた嘆願は、聞き届けられることは無い。腕のわななきが、次第にやんでいく。

「わたしはこいつに救われたんだ! こいつのおかげでわたしは、あの灰色の世界から抜け出せたんだ!! 殺すなら私を殺せ! あの子は関係ないッ!」

 緩慢な動作で弾倉に銃弾が込められる。自分を殺めるための準備が、いま終わってしまった。

(あと、ちょっと……、……できた!)


 ……マン……ラグー……!


 間一髪で詠唱が間に合い、ティファニアは呪文を解き放つ。それをエルフは避けることもせず、まともに受けた。エルフの額が蜃気楼のように揺らめき、

 ……そして、何事も無かったかのようにエルフはニタリと笑ってみせる。

「だから無駄だといっただろうが。わたしの打ち勝つものなど、もはやこの世に存在せぬのだ。……さて、貴様に撃たせた以上、わたしにも撃ち返す権利があるはずだ。そうだろう? でなければ不公平というものだからなぁ?」

 言葉と共に銃口が自分の心臓へと定められ、引き金が無慈悲に絞られていく。

「待て、やめろ、撃つな」

「さて、お楽しみの時間だ」

 自分はもう、助からない。悟ってしまえば単純なもので、心は落ち着き、死への覚悟がゆっくりと固まっていく。今ではもう自分の命のことよりも、ティファニアは自分に銃を放つ従姉妹の心情を案じていた。

「・・・・・・いやだ、やめて、撃ちたくない。・・・・・・頼む、それだけ、はぁッ……」

「いいぞ、もっと喚け、もっと嘆け! それすらもわたしにとっては甘美な蜜となる!! ・・・・・・っく、はははは、ハハハハハハハぁッ!!!」

 少女のように悲鳴をあげ滂沱の涙を流すファーティマに、エルフは高らかな嗤い声をあげる。

(お願いファーティマ、どうか自分を責めないで……)

 ティファニアは従姉妹が罪の意識を抱かないことを祈り、轟く二度目の破裂音を聞きながらも、自分に向かってくる銃弾を見つめる。


 ……しかし、ハーフエルフの少女の命が絶たれることは無かった。唐突に一枚の岩が壇上から隆起し弾道上に現れ、その身体に到達する前に銃弾を阻んだのだ。


「……え、っ……?」

「……大いなる意志の力、だと? ふざけるなッ、早くわたしの決めた通りにその命を散らさぬか! 興が冷めてしまうであろうが!!」

 戸惑いの声を上げるティファニアに対し、予想外な遮蔽物の出現にエルフは激昂したようだった。その語気は荒くなり、何度も何度も同じ箇所に撃ち込み続け、岩盤の破壊を試みてくる。次第に近づく銃弾、大きくなっていく掘削音の中、再び声が聞こえた。

〈……ファー、ティマ? ……少女よ、君はいま確かにファーティマ、と言ったね? ……そうか。わたしはそのためにいま、ここにいるのだな……〉

(……誰なの? さっきから一体、何の話をしているの???)

〈少女よ、シャジャルの娘よ。……どうかあの子を、助けてやってくれ。弟を見捨てたばかりか、その罪を重くし、救いようの無い咎人に仕立て上げてしまった不甲斐ないわたしにとって、あの子は救いだったんだ。……わたしはあの子を引き取り育てたが、血縁上ではわたしとあの子は姪だ。幼いといえど、父である弟やその妻である母との記憶だってあっただろう。……なのに、あの子は自分の親のことを一度も聞かずわたしを慕ってくれた、あの子は、わたしの娘でいてくれたのだ……〉

(!! ……もしかして、あなたは……!)

 声の主である“彼”の正体を理解すると共に、ティファニアは違和感を覚える。見れば握り締めていた手の内から、光が漏れ出していた。

〈……これはわたしの弟の形見、歴代の『知る者』たちが身に付け、悪魔の業への抑止力とするために力を込め続けていた二つの秘石、……その片割れだ。これを君に託す〉

(っ!? これって……)

 手のひらを開き、ティファニアは驚愕に頬を染める。かつて才人の命を助けるために、力を使い果たしてしまった母の形見の指輪。だがその台座にはいま、失われたはずの宝玉が存在していた。

〈まあわたしでさえ生きている間知らなかったのだから、そのしきたりはここ数百年形骸化していたのだろう。シャジャルが知らずに持っていったのも仕方の無いことか。……あいつのことだ、大方“水”を練りこんで誰かを癒すのにでも使っていたのだろうが、それはまあいい。使い方を教えよう……〉

 そこで“彼”は言葉を切った。ピシリ、という亀裂音、気づいたときにはもう遅い。自分の身を守ってくれていた岩盤は、瞬く間に崩れ落ちてしまう。

「……ッははははァ! 命運尽きたな、これで終わり……だ?」

 ……しかし、訪れた危機もまた束の間のこと。視界に現れた銃を構える従姉妹の姿は、再度隆起した岩盤によって遮られた。一瞬遅れて放たれた狂弾が標的を捉えることなく、またしても鈍い音を立てて岩盤に埋まる。

(……守って、くれているの? 誰かが、わたしを?)

〈ああそうだ、見てみるといい、指輪にその答えが映っている。そしてそれこそが、その宝玉の効力の引き出し方だ〉

 その言葉を待っていたかのように“彼”は答え、ティファニアは手のひらに視線を落とす。そこには、自分が慕う一人の女性の姿があった。

「マチルダ、姉さん……」

 思わず言葉に出してその名を呟く。彼女が背中を押してくれなければ、自分はこの場に立つことさえできなかった。そして今もまだ、こうして自分を守ってくれている……

 ……すると、その言葉に反応したかのように宝玉が光り出した。

〈“悪魔の業”に対抗するため、生まれたその力の根源もまた対極。きみが縋るのは諦観にまみれた絶望ではない、抗い耐え抜いた末に見出した希望だ! 思い出せ、きみを助けてくれた者たちを、支えてくれた者たちを! そして望むのだ、きみが自身がどうありたいのかを! 心に浮かべた想いの数だけ、その力は増大する! きみが求めれば求める分だけ、宝玉はきみの願いに応えてくれるッ!!〉

 光は徐々に光度を増していき、“彼”に言われるがまま、ティファニアは記憶を呼び起こす。


 ……ナウシド・イサ・エイワーズ……


 口が自然と呪文を紡ぐ。力は膨れ上がり、高まっていく。そのあまりの大きさに、不安な気持ちも込みあがってくる。こんなに強大な力を、自分に制御できるのだろうか?


“いつもこうして自分の背中を押してくれるこの人が、誇れるような妹分に”


 

“自分を前に進めるようにしてくれたあの子たちに、恥ずかしくないようなお姉ちゃんに” 

 

 ハガラズ・ユル・ベオグ……


 …いいや、出来るかどうかじゃない、やるのだ。きっと、いや、絶対に出来る。そう言い切れるだけの人たちに支えられて、いま自分はここに立っているのだから。 


“自分の身を挺してわたしを庇ってくれたお母さんみたいに、大事なものを守れる強い人に”


“たくさんの命を背負って玉座に座る一国の王女、自分の国を心から想って戦える誇り高き軍人。…そんな従姉妹たちに負けないような、立派な人に”


 ニード・イス・アルシーズ…… 


 体中を駆け巡る力を練り上げ、杖の先に集わせる。視界に広がるこの強固な石の盾が、壇の玉座から向けられる視線が、こんな自分でもちゃんと信じてくれる人がいる、という安心をくれる。


“……そして。どんなときでも諦めないで、前を向くことをやめなかった、あの男の子みたいにまっすぐな人に!”


 迸る魔力を堪え、杖を大きく振りかぶり……、 


“わたしは、なりたいッ!!”


 ベルカナ・マン・ラグー…………! 


 石壁が崩れると同時に、少女は呪文を開放した。

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