血塗れた悪意 Ⅲ


身体の持ち主であるファーティマの意に反し、銃口は弾を吐き続ける。その細い腕が抵抗に震えるが、止まってはくれない。何度も繰り返される破裂音とともに、老エルフの身体が、血が、跳ねる。跳ねる。跳ねる。

ガチン、ガチン、ガチンガチン……

「……遺憾だ。実に、実に遺憾極まりない。薄汚い反逆者に与えるには、あまりに生ぬるい仕打ちになってしまった……」

放つ鉄の塊を見失った撃鉄がむなしく弾倉の空薬莢の底を叩く中、悲しげに呟かれた嘆き。それが意味するのは妥協や諦観などではなく、自分に対する更なる罰の思案。……気付けば、ファーティマは泣いていた。我が身愛しさに恐怖に囚われたのではない。抵抗することすら許されず、良いように自らの身体を弄ばれた悔しさが、足元に横たわる無惨な光景をこの手で繰り広げてしまった悲しみが抑えきれなくなったのだ。

(散々救ってみせると、止めてみせると意気込んでいて、結果はこの有様……)

とめどなく溢れる涙が視界を埋めていく。拭うことは、もちろんできない。できるくらいならばあの時既に、引き金にかかったこの指を折り砕いてでも外していた。

(……きっと仕掛けられたのは、水軍基地で協力を拒んだあの時……)

先程まで確かに、この身体は自らの意思の元に動いていた。しかし、このエルフの心臓に銃口を向けた時からは違う。自分の中に潜んでいた何かが目覚め、意思を身体に伝えて動かす指揮系統を次々と乗っ取っていったのだ。

勝手に身体を動かされ、思ってもいないことを喋らされる。

混乱する自分に、骸と成り果てた自らの血肉を漁るという奇行をしながらも、動揺の欠片もない声で元上官は語り始めた。

自分が眠っている間に身体を操り、火石を地脈に流し込んでいたこと。

自分の銃に仕掛けを施し、蛮人対策委員長に手渡したこと。

他にもネフテス統領に告げたはずの“黒い結晶”に関する情報を、実際には自分に口に出させていないことなど……。

無意識の内に行っていたというこの和議への背信行為、自らの記憶と食い違う口述。ファーティマは衝撃を受けたが、すぐに気を立て直し説得を試みた。自分の身の内に居るのだから、言葉ではなくこの気持ちをそのまま伝えられるはずだと。

……しかし、その考えは裏目に出た。届けようとする言葉に絡みつきなだれ込んでくる黒い感情。ファーティマは悟ってしまった。このエルフの心の闇は、自分の言葉で鎮めるにはあまりにも深く、黒すぎると。思い知ってしまった。もうこの男は、誰にも止められないことを。

「これは困った。さて、どうすべきか…… この場でその身を剥き辱めてやるのはどうだろうか? ……いや、いや待て。……!? なんということだ、わたしともあろうものがまたもや失念していた! ちゃんとここにいるではないか! 彼女より愚かな咎人たちがッ!」

恐怖に駆られたエウメネスやガリアの者たちが背を向け一目散に走り出す中、それでも観客の半数は逃げようとしない。残った彼らをどうしてやろうかと画策する元鉄血団結党党首に楯突こうと、狂気を振り切った細身のエルフが立ち上がる。

「……エスマーイル、貴様は許されぬことをした! 閣下を殺めたその罪 、死をもって償えッ!!!」

「フハハハハッ、怒りに歪んだいい顔をしているなビターシャル! いいぞ、わたしは貴様のその澄まし顔が、昔からずっと気に食わなかったッ!」

手のひらに風を纏い始める蛮人対策委員長、その右腕をエスマーイルは懐から更に取り出した銃で打ち抜く。雑多な狂騒を甲高い銃声が切り裂き、激痛に漏れ出す声が静寂の中に響く。

「……ぐ、ぅうううううっ!!!」

「……さて、よく聞け愚凡どもと言って始めたいところだが、こうも騒々しいと呼びかけすらままならんな。どうしたものか……」

(エスマーイル……、貴、様、きさまだけは何としてでもッ……!!)

ぶらり、と垂れ下がり動かなくなった右腕を左腕で支え、気取られぬよう再びその手に風を集わせるビターシャル。彼の決死の覚悟を知ってか知らずか、エスマーイルはため息一つとともに______

「……まあいい、考えるのにはもう疲れた。たまには思うがままにやってみるとしよう」

そう言って、エルフを型どった狂気の塊はすべてを破壊に誘い始めた。

「……先の戦いで起きた“大災厄”で、貴様らは大きなものを失った……」

荒ぶる語気を落とし静かに話し始めたエスマーイルによからぬものを感じ、ビターシャルは全力を振り絞って更に風の集積を早める。

先程投げつけられた黒い結晶は自分に彼の強さの秘訣を教えてくれたが、同時にこの身体にも何らかの影響を及ぼしているはず。そんな自分がこの行使するこの“風”が何の干渉も受けず、自分の思うままに放てるわけがない。

……だからこそ、ビターシャルは求める。たとえ軌道を逸らされようとも絶対に逃れられないだけの速度を、また、どこに当たっても確実に致命傷を負わせられるだけの威力を。

「その秀でた頭脳が知る何よりも尊くものであり、確固たる医師と覚悟の元に死力を尽くして守り通さねばならぬもの。家族や帰る家、親しき友の命? そんな替えなどいくらでもきくような取るに足らないものなど比べるのもおこがましい! それはあまりに、あまりに大きすぎた……」

……朗々と紡いでいくエスマーイルの言葉に、観衆の一人が立ち止まった。拳を血が出るほどに握り込んだ、人でいうと年の頃三十ほどの男のエルフだった。

「ふざけるな、貴様のような輩に何が分かる!おれの妻は死んだ、生まれたばかりの子供を瓦礫から庇った怪我でな! 医者を探して走るおれの腕の中で、抱きかかえられた妻は冷たくなっていった! ……後で知ったよ、貴様の命令で軍が治癒の魔道具を独占していたとな!」

「……そうだが、それがどうかしたのか? あの時戦いに負けていれば何もかもが終わっていたのだ。感謝されこそすれ、文句を言われる筋合いなどない」

「ふざけるな、貴様が殺したも同然だ! ……それをッ、それをあろうことか替えがきくだと!? おれの素晴らしい妻を愚弄して、……許してはおけぬッ!!!」

あからさまな挑発を聞き捨てることができず、エルフの男は激しい怒りに身体をわななかせ叫ぶ。すると幾人もの観衆が同様に立ち止まり、ネフテス軍を率いた総司令に罵声を浴びせ始めた。民族的にエルフは高いプライドを持つ。少しでも自らを侮辱されれば怒りをあらわにする彼らが、身内や友達を貶されて黙って逃げれる訳もない。困るのは興味を抱いて見ていたガリアの商工業者たちや、エウメネスの人々だ。まばらに止まる彼らのせいで退路を塞がれ、市街への道が実際の距離の何倍も遠のいてしまう。

「……ほう、許さないだと?」

剥き出しの憎悪を受けた当のエスマーイルは、楽しげに笑った。その言葉に少しずつ怒気が絡み付いていくが、持ち上げた口角を下げはしない。

「ならばどうして貴様はこの男のように、心身を賭してわたしに向かってこない!? 他の者にしてもそうだ、何だその体たらくは! 戦え、闘わねばネフテスに明日はない! だというのに貴様らは目の前にいる怨敵を見て見ぬふりをし見過ごす!」

発言の半ば知人を紹介するかのように広げた手のひらを向けられ、気付かれたか、と焦るビターシャル。しかしエスマーイルは意に介した様子もなく、自分の発する言葉に酔いしれていく。

「なぜだ!? 武器を持たないからか、大いなる意思に力を貸してもらえないからか? それがどうした、わたしはこの身一つでここに戻ってきたぞ! そうだ、貴様らが失ったのは歴史ある砂漠の民としての自覚だ! さあいまこそ取り戻せ、先祖代々その血とともに受け継いできた誇りを! 裁くのだ、目の前にいる怨敵を! 粛清するのだ、この身に流れる気高き血を汚した裏切り者どもを、……このようにな!」

直後に轟く、鼓膜を破るかのような爆音。見れば先程激昂していたエルフが立っていた地面が弾け、禍々しいほどに黒い煙を辺りに撒き散らしていた。吹き飛ばされた何か細長いものが宙を舞い、人もエルフも悲鳴をあげてその落下点を避ける。逃げようと背を向け走らずその姿勢のまま後ずさりしていく様子を見れば、傍目に見ているビターシャルでもわかる。爆発物の残滓などではない、あれは……

「おっといかん、興奮しすぎて手元が狂ってしまった。……それにしても情けない、もげた四肢が降ってきた程度で騒ぐとは……」

灼熱の太陽に炙られる砂のように、煮え滾る狂気が徐々に殺意へと熱を移す。凍りついていた時がその熱気に溶かされていき、自由になった彼らの喉は本能のままに恐怖に満ちた絶叫を撒き散らす。

「うわぁああああッ!?」「逃げろ、逃げるんだっ!!」「邪魔だどけぇッ!」「母さま、母さまっ、どこなのッ??」

この場にいては死ぬ。間違いなく、殺される。

本能的に感じた命の危険に、人もエルフも身を隠そうと一心不乱に街中を目指し始める。

しかし、地獄はまだ始まったばかりだった。

地面から炎が唐突に吹き上がったかと思うと瞬く間に広がり、大通りを逃げ惑う観衆たちを呑み込んだ。勢いは収まらず、立ち並ぶ周囲の建物、路地裏をも紅蓮は包み込む。断末魔の悲鳴を聞きながら、ビターシャルは繰り返された惨劇をただただ眺めることしかできなかった。

炎の間から時折顔を出す煙が、海から来た潮風に煽られて開ける。そこにあったはずの復興に活気づく街並みは、“大災厄”の直後に時を戻したかのように瓦礫の山と化していた。所々に赤黒い何かが見える。あれが先程まで働いていたガリアの職人たちや何の罪もない民だったと思うと、ビターシャルは胸の内から湧き出す自己嫌悪を抑えきれない。黒い結晶からエスマーイルの知識を得た時点で、こうなるかもしれないとは考えていたのだ。

(切り替えろ、諦めろ、忘れろ! あれは仕方の無いことだった。あの時わたしが声を上げていれば、警戒され不意をつけなくなっていた! 忘れるな、なんとしてでもわたしはこの化物を仕留めねばならぬのだ!)

「おいおい、少しは考えたまえよ。わたしがこういった以上、貴様らをみすみす逃がすわけがなかろう?」

たしなめるようなエスマーイルの語り口に、観衆たちは固まる。先程爆ぜたエルフのことも相まって、彼らは壇上の異常者がこの殺戮を起こしたと思い込んでしまった。

「くそっ……なら、これでどうだ!?」

そう言ってガリアの石工が運河に飛び込んだが、水に入るや否や途端に絶叫してもがき苦しみ、遂には力尽きたのかぷかりと浮かびあがる。見ればその水面は泡が立つほどに煮立って蒸気を吹き出しており、茹だった魚が次々と浮かび上がってきていた。

「……まったく、なんと能がないのだ蛮人という種族は。愚かな貴様らを憐れみ、高貴なる我らと意思疎通ができるままにしてやったが無駄に終わったようだな。驚いたよ、まさか話すらろくに通じぬとは……」

エスマーイルが指を弾く。すると、その左足の先から炎が生まれた。炎は見えない糸を辿るかのように弧を描き、壇を飛び出して石畳の上をも走る。その動きは速いが、決して反応できないほどではない。しかし完全に恐怖に呑まれた観衆たちは、その軌跡を目で追うことしかできない。放たれた炎が右足に帰った時になってようやく、彼らは自分たちが巨大な炎の円に取り囲まれたことに気づいた。

「……しかし、これならば流石にわかるだろう? 」

発する言葉と同時に炎は爆発的に勢いを増し、線はごうごうと燃え盛りそびえ立つ壁と化す。すると円の近くにいた観衆が身体を小刻みに震わせ、かと思うと途端に次々と倒れていく。メイジの扱う“爆炎”の魔法と同様に、急激な燃焼に酸素を奪われ窒息したのだった。

「どうした、惚けているひまなどないぞ!? さあ殺せ、殺すのだ! いま足元に転がった者たちの仲間入りをしたくなければなぁッ! 」

逃げることを封じられた彼らエルフの不安や危機感は、逃げ遅れたが故に炎を逃れたエウメネスの者やガリアの商工者を鋭い視線となり貫く。漂い始める険悪な雰囲気に、焦燥にかられながらも懸命にビターシャルは行使を続ける。

(今から和議を結ぼうとする相手と殺し合うだと? なんとおぞましいことを考えるのだこの男は!? )

しかし何より恐ろしいのは、人心を巧みに操るその手腕だ。

黒い結晶はビターシャルに教えてくれた。先程あがった大通りの爆炎、あれは大量の火石を流し込まれ不安定になった地脈が、一斉に走る民衆により生じた地響きに反応して起こっただけだと。

運河も同じ。本来地中深くに蓄えられている火石が地脈を伝って広がり、アディールに張り巡らされている水路に熱を移してしまっただけに過ぎない。

そう。先程のエルフを爆発させたこと以外、この狂人は何の行使もやってはいなかった。

流し込んだ火石を媒体にアディール全域へ意識を走らせているエスマーイルにとって、遠く離れた広大な範囲を灰燼へと帰すこと自体は不可能ではない。 ところが彼は己が身を地脈に流し込むばかりではなくさらに削り、様々な物や人に植え付けた。当然尋常ではない負荷がかかるため、思うようには力を制御できなくなる。今の彼にはせいぜい先程のエルフのように個別に爆殺し数人仕留め、しかし結果として彼らのほとんどを逃してしまう。……その程度のことしか、できないはずだった。

だが現実は異なった。彼は場を完全に掌握していた。恐怖を煽り観客の心をあえて逃走に傾け起爆を誘発し、類まれな才である持ち前の弁舌で包み、語るこけおどしでしかなかった嘘を真実だと思い込ませた。この炎の円もなんてことはない、ただ地中で荒れ狂う炎を空気に晒しただけのこと。

前々からネフテス統領が彼のことを買っていたのは知っていたし、自分も相応に評価していたつもりだった。しかしそれでもまだ足りなかった。敵に回したことでようやく、ビターシャルは彼の並外れた才覚を思い知ることが出来たのだった。

(しかし、その暴挙ももはやここまで。覚悟を決めろエスマーイル。次にわたしに隙を見せた時、……それが貴様の最後だッ!!!)

溜めに溜めただけあって威力は充分、あとは放つだけ。慎重に機を窺い、満を持して放った

一撃。……しかし、一瞬。ほんの刹那だけ早く、銃弾はビターシャルの右腕を支えていた左腕の筋をを引き裂いた。

「っ、がぁッ!?」

体制が崩れ、再度だらりと放られる行使中の腕。一瞬遅れて手中から飛び出した風が壇を削り、大きな傷痕を刻む。毒されたエルフはニタリと笑い叫ぶ。

「むっ、やるではないかビターシャル! その有様でそれほどの行使、本当に大したものだよ貴様は! そんな貴様に敬意を表そう! 」

三度目の発砲、右足に喰い込む鉛。もはやその言葉は、理不尽な暴虐を説明するの役目すらも放棄する。ついに脈略すらも失ってしまった凶行を受け、ビターシャルは痛みに零れそうになる呻きを噛み殺す。ここで観衆に不安を与えれば殺し合いが起きるのは必定。……だがしかしも虚しく、事態は悪化の一途を辿る。

「……悪いな。許してくれとは言わねえ。俺はこんな所で死ぬ訳にはいかねえんだ、カミさんとガキがうちで待ってんだよッ!」

ガリアから来た大工が、そう言って突然肩に担いでいた木材を振り回し始めた。こうなってしまえばもう止まらない。観衆たちは狂人の思い通りに互いを傷つけ合い始める。

「ねえやめて、こんなの絶対間違ってる! せっかく人とエルフが分かり合えるところだったのに! 壇上のあの気狂いを倒せばいいだけの話じゃない、なのになんでッ……」

エウメネスから来たエルフの女性がこの不毛極まりない争いを阻止しようと声を上げるが、しかしその腹部に殴打を受けて転がる。彼女を殴ったアディールの戦士は、その選択肢がもう存在しないことを知っていた。ごくわずかに行使できる風を操りエスマーイルに立ち向かっていった者や、無謀にも炎の壁を突破しようとした者は既にいた。しかし彼らは次の瞬間には石畳を黒と赤に染め上げるだけの絵の具と成り果てていた。狂気と絶望を象徴するかのようなその禍々しい色にあてられ、戦士は冷静な判断が出来なくなっていた。

「助けてください、誰か助けてくださいッ! お願いです子供が、子供がぁっ……」

ハーフエルフの幼子が荒い呼吸を繰り返し、その母親らしき人間が助けを乞う。しかしそんな親子の救いを求める姿にすらも狂乱は忍び寄る。もはや人間もエルフも関係ない。原始的な暴力が場の全てを支配する中__________


金髪の妖精は、再び壇上へと舞い戻ってきた。


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