血濡れた悪意 Ⅱ


「かはっ!? ……ぐっ、うぅううううッ……!!」

呻きをあげて転がるテュリューク。伏せったままのビターシャルからでは、一体何が起こったかなどわかりはしない。しかし状況は赤子でも分かるほどに単純明快であった。

彼女の手に握られた銃、その口から吐き出される煙……。片手で銃創を押さえつつ、それでもなお立ち上がろうと片膝を立てる老エルフの額に、ファーティマは再度、黒々と輝く冷鋼を突きつける。

しかしビターシャルの視線は、危機的状況のネフテス統領には向かない。いや、向けることが、できない。

「やれやれ、やっと隙を見せたか。……気付かれやしないかと内心恐々としていたのだが、どうやら私にも役者の才はあったらしい。なあ、そうであろう?」

寝ている場合ではない、と激痛に身を震わせつつも立ち上がったビターシャルに合わせて、対照的に悠々と膝の誇りを払って起き上がる彼……エスマーイルに、再び観衆たちからざわめきが漏れ出す。

「んん? そんな身体で急に立ち上がって、一体何をどうするというのかね蛮人対策委員長殿? まあその心意気と先程見せてくれた滑稽な呆け顔に敬意を表し、面白いものを見せてやろう」

笑身を浮かべながらも嘲りの言葉を朗々と紡ぎ上げ、エスマーイルは自らの血塗られた軍服を捲りあげた。

カラン、という何かが跳ねる音。テュリュークは目を剥いた。

エスマーイルの懐から排出されたのは、確かに薬莢。そしてその胸に空いていた赤黒い風穴は、最初から存在していなかったかのように塞がっていた。

(どういうことじゃ!? 確かに死んでおったのに、わしの今見ているものは幻想だとでもいうのか!?)

「……何だ、何が一体、どうなっている!?」

「その説明は、残念だが省かせてもらおうか。愚凡に教えても、この高尚な理論はどうせ解されぬだろうからな。蛮人対策委員長ビターシャル。……可哀想に、貴様は何も分からずに死んでいくのだよ」

ビターシャルは叫び、エスマーイルはそれを嗤う。悠長に構えている場合ではない。しかしだからこそ、テュリュークは焦らない。目の前の銃口がいつでも自分に死を与えうるという事実を認識しつつも、その視線を逸らさない。

溢れ出そうとする驚愕と動揺をすぐさま深呼吸と共に押し留め、思考を深めていく。自分が揺らげば、民は容易く恐慌に陥ってしまうことをテュリュークは知っていた。

(そういえば、彼女が気をつけるように言っていた“黒い結晶”を持っておらぬな。……いや、待て、よ? 何かが記憶の底に引っかかっておる。……確か……、!!)

少女が寝返り自分の眼前で銃を構えるまでの顛末、選りすぐりの手練れをあっさりと殺したその手段、自分の結界を破ることなく透過した目の前の銃弾。

聞き出さなければならないことは山のようにあり、さらに聴衆が逃げる時間までも稼がねばならない。それでも眉間に感じる死を意識し、覚悟を決めてテュリュークは口を開く。

「……惜しい才能だと思ってはいたが、そうか……。きみこそが本当に“精霊に愛された者”だったのだな」

「……ほう。そう言う閣下もやはり老害の一言で片付けるには、少し頭が回り過ぎるようで。一体どこまで見当をつけられているのですかな? 是非お聞かせ願いたい」

確認するような問いかけに答えると、エスマーイルは満足げに笑みを浮かべた。それを肯定の意と受け取ったテュリュークは、状況がわからずに困惑している蛮人対策委員長にも分かるよう説明を織り交ぜつつも、さらに言葉を続ける。

「……きみが作り上げた禁忌の品……“黒い結晶”は、並外れた才ある者にしか、作れはしない……」

……考えながら言葉と言葉を繋いでいるようなたどたどしい話し方で、テュリュークは聴衆が退避する時間を作る。被弾の際、距離を取るべく激痛に苦しんだ振りをして後方に転がったのが幸を奏し、銃を構えるファーティマと蘇ったエスマーイル、そして逃げ惑う聴衆たちのすべてをテュリュークは視野に収めることができた。

(何をしておる!? これだけの非常事態に、どうして誰も動こうとせぬのだ!)

しかしどれだけ視線を飛ばし退避を訴えようとも、観衆たちは銅像であるかのように固まっていた。

 こうして壇上を血に染め、瞬く間に兵士たちを骸へと変えた狂気を目の当たりにしようとも、彼らの半数を占める兵士たちは動き出そうとはしなかったのだ。

先ほどの後方の爆発に驚き、直後に叫ばれた連合軍の女王の退避の声に混乱し、思わず逃げに走ってしまったことを彼らは恥じ入っていた。

 式典ということで日ごろ身に纏う高度な武装を解き、精霊たちの力を借り受けられないといえども、自分たちは思考と知識に長け、何年も戦士として研鑽を積んできたエルフ。

そう自覚していたというのに、いざとなれば非力な人間や、密かに心中で蔑視していたエウメネスの者達と何も変わらず、彼らは蜘蛛の子を散らすように逃げ惑ってしまった。

そしてその結果、砕かれた自信と誇りの残滓は再びこの場から離れようとする彼らの本能に待ったをかけた。

かいた大恥についてはもう取り返しはつかないが、背さえ見せなければこれ以上の愚を晒すことは避けられる。前方にかつて腕利きの行使手であった議員が控えているのだ、自分たちが動かずとも彼らがどうにかしてくれるだろう。

実際には次は我が身か、と恐怖に身体を強ばらせ固まっている彼らに、そのように考えてしまった兵士たちは自らの身を委ねてしまった。

……こうして何が出来るわけもないは己が誇りを損なわぬようにと、高をくくって意地の入り混じった見栄を張り始めた兵士たち。そうした彼らの根拠の無い虚勢に惑わされ、女王の悲鳴に素直に従っていた者たちも足を止め始めてしまう。

(……ッ、議員たちが正気に還るのを待つしかない、か……)

状況の打開は困難。瞬時にテュリュークはそう判断し、油断を誘うべく小細工に取り掛かり、その間隙を突くべく仕掛けを施しつつも、状況の進行を必死に食い止める。

「しかしそれが破壊をもたらすというならば、それは四元素が互いに反発しあっている未完成品であり、それを作ったきみは“詠唱破棄”には至っていなかった。……しかしきみはどういうことかこうして生き返り、ここに立っている……。……肩書きを捨て、行方をくらまし何をしていた? その境地はたった数日で到っていいものではない。……一体何を捧げ、何を得てきた……?」

言葉のやりとりを絶やさぬよう、老エルフは敢えて問いかける。会話の主導権を渡すというリスクは伴うが、無理に言葉を続けて訝しまれては意味がない。

伊達にネフテス統領を続けていた訳ではない。このような手合いの扱い方は知っている。

  今までの様子を見るに、恐らく彼は調子良くスラスラと手がかりとなる情報を零してくれるだろう。テュリュークはそう踏んでいた。


……しかし、その読みは変わり果てた男の行動を、老エルフの経験に押し込めるには至らない。


「……いやはや、これは驚かされました。訂正しましょう、わたしが見誤っておりました。 この状況の一瞬でここまで正解に近づけるとは、閣下の頭の中は一体どうなっているのでしょうか? ははは、いかに我々が優れた種族であろうとも常軌を逸しておりますぞ?」

彼の様子は一変した。今にも舞い上がりそうに昂った感情はなりを潜め、自分の良く知る軍師としての冷静が顔を出す。予想外の反応に、テュリュークの中でもう何度目になるか分からない警鐘が鳴り響く。それでも絶対に、動揺だけはおくびにも出さない。

「……賞賛や世辞などいらぬよ、それより幾つか残る疑問に答えをくれたまえ」

本能的な気味の悪さを醸す男の言葉に、テュリュークは何の躊躇もなく応じる。エスマーイルも物怖じしないその態度を気に入り、要望を叶えることにした。

「そうですか、ではお教えします。……その代わり、呑まれぬよう注意なされるのですぞ?」

その言葉に疑問を投げる前に、テュリュークは頭の中で何者かの囁きを感じた。

“燃えろ、壊れろ。焼け崩れて灰になれ”

「……なんだ、これは……ッ!?」

怨嗟や憎悪、そんな陳腐な言葉では到底表せない黒いものが思考を埋め尽くしていく。

「ああ失礼、閣下には聞き苦しいものかもしれませぬが、なにせ知識よりも感情の方が伝わりやすいのですよ。……願わくば我が同士ファーティマにしたようにわたしの意識も送り込みたかったのですが、これ以上“わたし”を削ってはこの身が持たないのでね」

答えるエスマーイルの声は、まるでドア越しに話しかけられたかのようにくぐもっている。殺意と狂気だけが荒れ狂い、自分の口から訳の分からない言葉を垂れ流しているのが喉の感覚で分かってしまう。視界の端で叫ぶビターシャルの声だけが、絶えることなく頭の中で繰り返される。

「か、閣下、閣下ッ……!!」

「……おっとすまぬな、貴様のことをすっかり忘れていたぞビターシャル。…………ふむ、そうだな。よし、貴様にもこれをくれてやる」

言うなり、エスマーイルは自分の時と同じく指を鳴らした。細身のエルフは自らを侵していく何かに抗おうと、声にならない声を上げてその身体をのたうち回らせる。

 何故だ、どうやって? 飛び散った銃身は全て取り除いたはず。

 ……しかし、そんな彼の身を案ずることすらテュリュークはできなかった。自分の意思とは無関係に声が意識の外に弾き出される。その理由は、乱雑とした思考の中にさらなる声が入り混じり始めたからだった。

 “……この悪意は、先ほど撃たれた腹部の銃弾から染み出ている。ただの銃弾ではない、その「才」により四の元素を調律した結晶、その中に「感謝」を以て、己そのものを切り離し第五の精霊として行使し、練り混ぜたものと融合させている。その濃さを問わず、この壇上にいるエルフ全ての体内に埋め込んであり、さらに地脈を通してアディール全域に広がっている”

 これが彼の言う“知識”とやらなのだろうか? 膨大な情報が頭の中に留まることなくなだれ込んでいき、次々と疑問の芽が摘まれていく。

 “「才」により詠唱破棄へと至った者は、水を基調とした複数の精霊に命じて血液や細胞を作らせるといった、精霊に「行使」では不可能なことを強いることができるようになる”

 “それに対して「感謝」により至った者は、より複雑な行使を行うことが可能になり、例えば自らの血管などに対しても干渉し簡単に治してしまう”

 “……万物を構築する四の元素に、この二つの絶対的な力、さらには行使手自らをも加えて作られた結晶。対象に押し当てればどんな物にでも溶けて作り変え、意のままに手繰ることができる”

 “水すらも油のように燃やすことが可能になり、込める「己」を増やして他者へと投じれば、その意思を乗っ取ることすらも不可能ではない。どれだけ離れようと、例え行使者の命が失われようとも、切り離した「己」そのものが行使を発動させるのだ”


“予め少量でも銃弾に溶かしこんでおけば、指先一つで止めることも結界の無力化も容易い。多量に溶かしこんだものを撃たせれば、死んだ後にでも蘇生できる”


“……大量の火石に溶かし乱れた地脈へと流し込めば、このアディールを一瞬で更地に変える”


 “……結晶自体を直接手渡せば、精神訓練を受けた軍人の意思ですら捻じ伏せ意のままに操ることも、その身そのものを爆弾として作り変えることすら可能である……”


テュリュークの中でいま、すべてが繋がった。不可避の銃弾、眼前の少女の発砲、そして先程の爆発。その全てに説明がついたいま、これ以上この声に耳を傾ける必要はない。

「ぐ……ッ!!!」

食いしばった歯から漏れ出す呻きと共に、テュリュークは身の内に埋まる弾を抉り出そうとする。


しかし、それを見過ごされることは無かった。


身体の自由を奪われた目の前の少女。引き金にかけられたその指がビクリ、と震える。

次の瞬間、甲高い破裂音が再度鳴り響き、無慈悲な弾丸は容赦なく彼の額へと潜り込んでいった。

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