血濡れた悪意 Ⅰ

「……気がついたかね、ビターシャル君?」

「……ううっ、統領、閣下……」

 定まらなかった焦点が落ち着き、老エルフの姿がビターシャルの瞳にゆっくりと結ばれていく。

……どうやら自分は痛みに耐えかねて気を失っていたようで、ネフテス統領はそれを見かねて助けに来てくれたのだろう。

 少し視点をずらせば、そのこじんまりとして薄く皺のある手の上には、金属の破片がこんもりと盛られていた。どうやって取り除いたのかは知らないが、それがさきほど飛び散り、自分の身体に喰い込んだ銃身だということはわかった。

「……ありがとうございます、閣下」

「なに。この程度のこと、そう大したものではないんじゃよ……、っとと」

深い礼に軽く応じ、ネフテス統領は立ち上がろうとして、しかしふらついて片膝をつく。

「……ははは、参ったのう。どうやら思っている以上に、年を食ってしまっていたようじゃ」

「閣下……」

老いた身を自嘲して話を流そうとする最高権力者に、ビターシャルはかける言葉を見つけられない。身体に流れる精霊を緻密に制御しているのか、呼吸や顔色にこそ出してはいない。しかしその疲労は相当なもののはずだ。

あのまま数分も経てば間違いなく死んでいたであろう自分を、今こうして生かしているほどに莫大な水の力を。……それこそ長年にわたり蓄え続けてやっと得られるほどの量を、彼は行使したはずなのだから。

しかもそれだけに留まらず、治療の行程には金属片の摘出まで加わる。一つづつ取り除いて治す、とまごついていれば失血死は免れなかったであろうことを考えると、さらにいくつかの行使を並列で行わねばならなかったはず。

詠唱の破棄まで許されるほどに精霊と向き合ったからこそ出来る、匠の技。その消耗を理解することなど到底できるわけもなく、またその負担を強いたのが他ならぬ自分であるために、他人行儀に労うこともできない。かといって身体を動かすことがままならない以上、ビターシャルは本来ならば自らの目で確認せねばならないことを老エルフに委ねざるを得なかった。

「状況は、一体どうなっているのです……?」

「…………」

  高度な術式は彼の集中力を相当摩耗させていたのか、問われて老エルフははっ、と気付いた様子を見せた。しかしかといって返事はなく、沈黙と共に時間が流れる。

 伏せったままのビターシャルからはその表情はよく伺えない。だが周囲の反応もテュリュークとさして変わらなかった。

 震えていた女王も、固まっていたその腹心も。絶え間なく変わっていく状況に戸惑っていた民衆たちも。事情を知る者も知らない者も気づけばみな一様に、壇上に立ち尽くすファーティマ・ハッダードを言葉なく見つめていた。

「……ハッダード、くん」

 その身一つに何万もの視線を集める彼女に、最初に話しかけたのはネフテス統領だった。 しかしファーティマはその呼びかけを無視し、血溜まりの中に沈み動かなくなったかつての上官に近寄った。

「閣下、ご安心なさるのはまだ早計です。この男、まだなにか隠しているのやも知れません」

 年相応のあどけなさが残るその声が、エルフ水軍の厳しい環境で固められたものに戻る。前のめりに倒れたその身体を仰向けに転がし、ファーティマはその懐をまさぐる。そこで、テュリュークもまた彼の有様を確認した。

 打ち抜かれていたのは、胸部。その弾丸は寸分の違いなく心臓の中心を捉えてあり、ぽっかりと空いた風穴からは赤黒い闇が垣間見える。着こなされた軍服を透過し、したたり広がる血の量は尋常ではなく、かつての雨に濡れた石畳を彷彿とさせる。狂気を浮かべたまま見開かれた目は、瞬き一つもしない。誰がどう見ても、そこにあるのは一つの死体だった。

しかし、だというのにファーティマはためらう素振りを見せない。指先を生暖かい血に濡らし、守られるべきその尊厳を淡々と冒していく。

……顔色一つ変えず、果たすべき責務を全うしようとするその態度は、軍人としては優秀かもしれない。だがこうして横たわる彼を撃ち殺したのが他ならぬ彼女であるということ、そして彼と彼女がかつて上官と部下という間柄だったという事実を鑑みると、この光景はあまりにも忍びないものだった。

 そしてそれを見るテュリュークにとって、朱に染まった指先を震わせる彼女は、自分が初めて裏切った少女であり、横たわる骸は、自分を裏切るように仕向けた“彼”の末路だった。

(……本当に。本当に皮肉過ぎて、笑えぬよ……)

……こんな自分にできるというならば、このネフテスを、エルフという種族の未来を明るく照らしたい。自分を育ててくれたこの国に、その恩を返したい。

思い始めたのはいつだっただろうか。……とにかくその心のままに、自分は軍に入った。

しかしいくら腕を磨こうとも全く“行使”の腕は上がらず、それでも貴様は誇り高きエルフかと誰からも蔑み罵られ、邪魔者扱いの末に衛兵という名目で各地を転々と廻された。

それでもいつかは機会があるだろうと思い鍛錬を続けていれば、いつしか戦士として戦える齢ではなくなってしまい、退役を命じられた。

もちろん当然拒める訳もないので従うしかなかった。……のだが、村から街へ、街から村へ赴任する度に一から取り組み続けた自分を“大いなる意思”はきちんと見ていてくれたようで、“あれだけ人々の為に働いていた彼を辞めさせるとは一体何事か!”とその地その地の民衆がいきり立って軍を問い質し、その結果、民衆たちを宥める落とし所として、大した実績もないのに自分は“評議会”に入れられてしまった。

完全に受身で成り行きに身を任せてはいたが、もちろんこれは自分にとっては願ったり叶ったりのことだった。これならさらに国のために働けると、年甲斐なく心を震わせて臨んだ。


 ……しかし、それからそう時を待たずに、あの事件があった。


言葉通りの意味で評議会の末席を汚していた自分では彼の処刑を止められず、またその残された姪に何一つしてやれなかった。

……いや、あの時でもやはり自分は“やらなかった”だけなのであろう。

 我が身を省みることなく、腐臭すら漂わせる古びた法に声高らかに異を唱えていれば、彼の命を救うことはできたのだ。ただ1人残された悲しみを抱え込む少女に声をかけ、その憎しみを溶かして復讐の道を歩ませないようにすることだって、……きっと。

 ……しかし、実際自分はそうしなかった。騒ぎを聞きつけた野次馬の1人としてただそこに立ち尽くし、呆然とその一部始終を眺めるだけだった。

 ……もちろん、それまでに幾度も処刑を目の当たりにしてきたことはあった。だが彼らは、どれも自らの罪がどういうものであるかを理解し、覚悟して、それでも行動してきた者たちであった。彼のように罪に濡れた衣を自ら被る者はいなかった。少女のように、命を賭して処刑を止めようとする者も。

確かにあの時、二人はうす汚い犯罪者と気の違った子供なんかではなく、自分が応え、幸せにすると誓ったネフテスの国民であった。

 ……だというのに、動けなかった。国のために血を燃やし、民のために骨を削る。そう意気込んでいておいて、しかし「仕方が無い犠牲」と割り切ってしまった。これは秩序を保つために必要なことであると、何も罰せずにいれば示しがつかないと言い聞かせ、理不尽の暴虐を許してしまった。

 そしてその結果、ネフテスに多大な貢献をした男の命は失われ、救われなかった少女は人知れずに消え、狂気に身を沈めていった。

 ……戦士は戦場に立つ覚悟があり、犯罪者は処刑台の上に立つ覚悟がある。

しかし、自分には為政者としての覚悟がなかった。いつかは必ずやってくるであろう理不尽に対し、受け止めるわけでも、立ち向かうわけでもなく、ただ見ないようにしてやってきた愚か者だった。

 自分で自分が情けなかったし、赦せなかった。……だからこそ理不尽に流されず、立ち向かうことを決めた。易い道を選ばず、敢えて険しい道を往く。……自分が見捨てた彼らに対する、謝意と誠意のつもりだった。

しかし、思うにしても易くないことを行うのは、思った以上に難いことであった。

苔むした制度や認識に抗うことが、1人でできるわけがない。そこには集団の力が必要不可欠であり、それを動かすには強い権力が必要だった。だからこそ自分はこのネフテスを統べる長となることを願い、そして情けないことに“彼ら”に叶えてもらった。駄々をこねる幼子のように、あれをしてくれ、これが欲しいと口には出さずとも、心では望んでいたのだ。

ネフテスの統領。その唯一の条件である、“詠唱破棄”。これはまれにいる、いわゆる“精霊に愛される者”にしかできない。

しかし退役してもなお毎日欠かさず鍛錬を続けていた自分は、ある時ふと何かが違う、と感じた。そこで自分の感性のままに彼らへのアプローチを変えてみたところ、詠唱無しで行使が出来てしまった。

“偉大なる“大いなる意思”から恩恵を賜り、我らは魔を手繰ることが出来る”

誰もが幼き頃からこう教えられ精霊魔法の扱いを学んでいくが、しかし実際には精霊たちを理論的に把握し、その力を定められた言葉に半ば強制的に押し込んでいるだけだと彼らを行使しているうちに気づいてしまう。

 その結果、行使に慣れれば慣れるほどに、行使者としての認識は否応なしに“儀式”というものから、“単なる作業“へと零落していった。

……当然それを良しとせず、“行使手”の信念として感謝を忘れぬ者や、行使させてもらっているのだ、と敬意を心の片隅にきちんと留めている者もいる。

 だがそんな彼らとて、なにかの目的の為に彼らを行使する。誰かを害するために、あるいは自らの利のために行使する。

 そして自分たちエルフが長命である以上、彼ら精霊に付き合えば付き合うほどに、どうしても彼らではなく彼らの生み出す利害の方に目がいってしまい、そこに“慣れ”が生じてしまう。そうしていつしか純粋な気持ちは薄れ、色褪せてしまうのだ。

 しかしそうした点において、思い返してみれば自分は相当異常だった。兵士としての鍛錬とはいえ、ただひたすらに何十年と、精霊たちに1度も何かを求めることなく向かい合ったのだ。

 ……だからこそ精霊たちは自分に、自らの扱い方を教えてくれた。

必要なのはただひとつ。心の底から紡ぎ出す、感謝だけ。

都合の良い便利な道具として蔑ろに扱うのではなく、どうせ構っても無駄だろう、と彼らを物や単なる世界の機構であるとみなしいい加減に接するでもなく、過度な畏敬を抱き、恐れ戦いて距離を置くのでもない。

そこにあるのは行使するもされるもない、完全に対等な関係。彼らを自分と同じ一つの生命体とみなし語りかけ、誠実な心で助力を請うのだ。そうやって自分は彼らに甘え、彼らは応えてくれた……

(……沢山の人々に押し上げられてもらって、この国の真実を知ることができた。“彼ら”に力を借りて、この地位まで上り詰めることが出来た……)

……いつだって、考えていた。こんなにも助けられてきたというのに、自分はそれに見合うだけの働きが出来ているのだろうか、と……

……努力はしてきた、つもりだった。いくつか成果もあげてきた。

自分のような年寄りでも何かできることはあるだろうと、老齢による軍人や職業の退役制度を撤廃した。肉体的には及ばずとも知識で勝る彼らによって、業務の効率化が成された。

貧しい者たちの助けになるよう、仕事を求める者と人手を求める者が集う施設も各地に作り、子供たちが満足に学ぶことができるよう、学業にかかる費用の何割かを国で負担する、という案も通した。労働者が増え経済の潤滑は驚くほど良くなり、優秀な人材も多く育成することができた。

 もちろんそれだけに留めず、自分は他にも様々な取り組みを行った。人との交易の緩和もしたし、彼らとの交流を求める者達の集落を、自由都市エウメネスとして認めた。非常時という建前でかつて“知る者”であった者を悪魔研究機関として集結させはしたが、既にその制度も廃止している。“評議会”の認可を受けずにネフテスを出ることは未だ違法ではあるが、それで死罪になる者も、その親族が罰される事例ももう無くなった。

……しかし、どれだけ民に、国に尽くそうとも、自分の心は満たされなかった。だが今ならその理由がわかる。

 ……自分は十数年前、この広場で泣いていた少女に謝りたかったのだ。見て見ぬふりをして済まなかった、と。

(……そうか。わしはただただ、あの涙を忘れられなかったのじゃな……)

言伝で話すことではないと、ファーティマはエスマーイルの狂言を直々に報告しに来た。とはいえ彼女は人を忌み嫌う“鉄血団結党”の党員であり、その事実はまた、彼女が党首である彼を慕い従う、忠実な部下であったということも意味していた。

……監視対象の身で逃げ出したという以上、当然疑惑の目は向けられた。呼び出しに応じて情報を得てきた、と言うのはいいものの、実際には唆されている可能性もある。それに、不審な点もいくつかあった。

彼のものである“党”に育てられて、彼を裏切るような真似が出来るのだろうか?

 呼び出しに素直に応じる理由は果たしてあったのか?

 彼女を追っていた戦士イドリスは、どこへ消えた?

……考え出せば限りがなく、この情報を丸呑みするリスクは計り知れない。注意に従い壇上に警護を集わせれば、彼の思惑に嵌ってしまっていた、……ということも十分に有り得る話であった。

だがしかし驚いたことに、自分はすんなりと彼女を信じられた。

 強い意思をたたえたその瞳に、あの時から差し続けていた暗い影はもうなかったから。長い時を経て、己の心を締め付ける負の呪縛から彼女はやっと解き放たれたのだ。


 ……だというのに、歴史は繰り返そうとしている。彼女は再び深い闇に絡め取られ、囚われようとしている……。

(……あの雨の日から、十と数年が経った……)

……後悔しなかった日はない。悔やんで悔やんで悔やみ抜いて、自分はここに立つことを決意した。

(……今からでも、間に合ってくれるのだろうか……)

 自分が統領となるきっかけになった、少女。……歳を取った今と幼き頃では面影もわずかにしか残っていない。

 血溜まりに倒れ伏すのは、大事なものを守るために殉じた叔父ではなく、自我に狂わされすべてを壊さんと欲した上官。

 あの時に流していた大粒の涙はその瞳にはなく、わななく両手が代わりに赤い雫を振り撒いている。

 どれもこれもが、変わっていた。先の見えない曇天は、雲一つない空に。天気ですらこうも違う。

 ……だというのに、彼女の心に宿る感情は何一つ変わらない。自分があの日から抱き続けた以上の苦しみを伴い、彼女を苛み続けている……

(あの時動かなかったこの骨ばった手は、今伸ばせばこの心を守ることが、出来るのだろうか……)

 考える間にも体は自然と動き出し、気付けば彼女と向かい合わせになっていた。ゆっくりとその肩に手を置き、何かしら言葉をかけようとして……


そこでテュリュークは、かつてよく耳にした破裂音と同時に、焼けつくような痛みに襲われた。


「……なっ、は?」

 覗き込んだ脇腹は、紅く染まっていた。血濡れた少女の手に握られているのは、先ほど使われた、自分が執務室の引き出しに入れていた筈の銃。

 撃ったのか、彼女が? 自分を? なぜ?

 いや、というかそもそもどうして自分に銃撃が通用している?

 この身体には防衛策として、事前に精霊たちに何重にも結界を張ってもらっている。単純な魔法や魔道具などは通らないし、ましてや魔力の無い攻撃など効くわけがない。たとえそれが異世界の銃だとしてもそう結果は変わらないはず……

しかしどれだけ必死に考えようとも、ほんの数秒では錯綜する情報は纏まらない。逃れる隙一つ与えられず銃口は懐に押し当てられ、バスン、という鈍い発砲音と共に、テュリュークの思考は更なる激痛に消し飛ばされた。

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