第26話 九州縦断特急旅~特急『いさぶろう・しんぺい』乗車編

 人吉駅、そこは昭和のまま時間が止まってしまったような古風な駅だった。駅舎そのものも懐かしさを感じる作りだが、それ以上に人吉駅の雰囲気を作り上げていたのは『日本で最後』と言われる駅弁売りのおじさんであろう。私が物心ついた時には既に神奈川の駅には存在していなかった駅弁売りのおじさんだが、人吉駅ではまだまだ現役だ。そして彼が駅弁を売り歩いているホームに止まっていたのが、私達が次に乗車する『いさぶろう・しんぺい』だった。

 特急としては一風変わった名称だが、『いさぶろう』は人吉駅 - 吉松駅間が建設された当時の逓信大臣・山縣伊三郎に、『しんぺい』は同区間開業当時の鉄道院総裁であった後藤新平に由来するものだとの事である。普通なら地元由来の名前や公募で付けられた覚えやすい名前を付けがちな特急だ。それなのに敢えて当時の大臣の名前を付けた特急を走らせるということは、それだけ当時の鉄道開設が大変だったのだろう。

 また矢岳第一トンネルの矢岳方入口に山縣の『天険若夷』、吉松方に後藤の『引重致遠』の扁額が残っているらしい。電車内から見ることができるか判らないが、日本の列車史上でも貴重な扁額、できることなら見てみたいものである。

 車体の色は『くまかわ』と同じような赤い車体だが、黒い縁取りは無い。九州レッドとでも言ったら良いのだろうか、郷愁を感じさせるこっくりした赤は癒やしを感じさせる。そして窓から中を覗くと座席や床が木で作られていた。これもまた懐かしさを感じさせる作りである。

 レトロの再現もここまで徹底されると潔い。私は遠目に駅弁売りのおじさんを眺めながら車内へと入った。本当ならば駅弁売りのおじさんから直接駅弁を購入したかったのだが、それは叶わなかった。何故なら私達のお昼ご飯は鹿児島中央駅で、とすでに決まっていたからである。

 ここでも旦那の『興味のないモノはとことんケチる』という部分が出ていた。旦那の興味は日本最後の駅弁売りのおじさんの駅弁ではなく、鹿児島の『さぼんラーメン』に向いている。私だけ駅弁を購入するという選択肢もあると思うのだが、そんな時間的余裕も与えられなかった。


(あ~あ、駅弁食べたかったな~。日本でもうここにしかいない駅弁のおじさんなのにな~)


 心の中で愚痴を零したが、『いさぶろう・しんぺい』に夢中な乗り鉄はそんな嫁など見向きもせず車内をうろちょろ歩きまわっている。駅弁には未練はあったがこればかりは仕方がない。私は諦め自分の席に重たい荷物をドサリ、と置いた。

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