第329話 「帰途」




 つくづく、ことばとは救済であり凶器であり、人を生かしもすれば殺しもすると思う。

 良きにせよ、悪きにせよ、ことばの鋭利さに驚くとき、田村隆一氏の詩「帰途」を思い出す。


 ***


 言葉なんかおぼえるんじゃなかった

 言葉のない世界

 意味が意味にならない世界に生きてたら

 どんなによかったか


 あなたが美しい言葉に復讐されても

 そいつは ぼくとは無関係だ

 きみが静かな意味に血を流したところで

 そいつも無関係だ


 あなたのやさしい眼のなかにある涙

 きみの沈黙の舌からおちてくる痛苦

 ぼくたちの世界にもし言葉がなかったら

 ぼくはただそれを眺めて立ち去るだろう


 あなたの涙に 果実の核ほどの意味があるか

 きみの一滴の血に この世界の夕暮れの

 ふるえるような夕焼けのひびきがあるか


 言葉なんかおぼえるんじゃなかった

 日本語とほんのすこしの外国語をおぼえたおかげで

 ぼくはあなたの涙のなかに立ちどまる

 ぼくはきみの血のなかにたったひとりで掃ってくる


 ***


 でもことばを知らなくては、「言葉なんかおぼえるんじゃなかった」と思うこともできないのだよね。

 悲しみも後悔も、ことばを知ってこそなんぼ。


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