第323話 これくらい私でも書ける
「これくらい私でも書ける」
こういう文言を、アマゾンの小説レビューなどでたびたび見かける。
まず100%と言っていいほど批判、酷評する意図で使われている。
どれもあれこれ批判の理由を述べてはいるが、
「たいした文章力もないのに、〇〇賞を取るなんて許せない」
「自分が書いた方が面白くなる。本にするほどのものではない」
という意味が込められていると思われる。
おそらくは、レビューした人も小説を書く人なのだろう。
期待して買ったのに面白くなかった不満、なのに世間で持て囃されていることへの疑念、嫉妬、焦燥など諸々の暗い感情が滲み出ている。
私は「これくらい私でも書ける」を見るたびに思う。
……まあ、そう思うなら書いてみるといいよ。
絶対に書けないから。
なぜ、こんな上から目線で意地の悪いことを思うかというと、私もかつて「自分にも書けるかも」と思って書いてみて挫折したことがあるからだ。
それは小学生の時、志賀直哉の「暗夜行路」を読んだ時だった。
志賀直哉の文体は、当時見ても簡潔明瞭だった。特に難しい漢字や表現もなく読みやすかった。
なので、そこは子供らしい浅はかさで「私にも書けるかも」と思ったのである。
しかし、書けなかった。頑張って真似して書いてみたけど、全くもって違う、甚だ不可解で稚拙な文章が並んだだけだった。
そもそも、小説の神様と呼ばれる志賀直哉である。
かの芥川龍之介が夏目漱石に
「志賀さんの文章みたいなのは書きたくても書けない。どうしたらああいう文章が書けるんでしょう」
と、尋ねたら漱石は
「文章を書こうと思わずに、思うまま書くからああいう風に書けるんだろう。俺もああいうのは書けない」
と答えた志賀直哉である。
夏目漱石が「俺にも無理」といった作家の文章を書けると思うなんて、凡俗の貴様が神に向かって何たわけたこと言ってんだ……と今の私は当時の私を叱りたい。
(とはいっても公言はしなかったので、恥はかかなかったけど)
アホやな~! アホやね~! ほんと10歳くらいで気づいて良かったよ。
これがもし高校生・大学生かそれ以上の歳で言っていたら、「頭大丈夫か?」と心配されるところだった。
ただその件があったおかげで、私はすっかり懲りてしまい、以後何を読んでも「これくらい私でも書ける」とは思わなくなった。
なので、現在は他人の「これくらい私でも書ける」を、フーンと生温かい目で見ているのである。
うん、もっかい言うけど、せいぜいやってみるがいいよ。
書けないから。
もし批判した本と同じレベルかそれ以上のものが書けるのなら、とっくの昔にプロになっているはずだし、書くことの大変な苦しみを身を以って知っているはずだから、他人の本に「これくらい私でも書ける」とは思わないし、思ってもわざわざ書かないから。
批評は、それを仕事とする批評家に任せておけばいいと知っているから。
「これくらい私でも書ける」
という文言が、嫌いとか憎いわけではない。
しかし、読むたびに、必死にいきがる昔の自分を見せつけられるようで、どうにもいたたまれなくなる。
恥ずかしい。恥ずかしいよキミ。その気持ち自体は、とってもよくわかるよ?
わかるけど、心の中で思うだけにしておいた方がいいよ。
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