第290話 「沈黙 -サイレンス-」
マーティン・スコセッシ監督の「沈黙 -サイレンス-」を観てきた。
原作は遠藤周作の「沈黙」。徳川幕府の治世下、長崎における過酷なキリシタン弾圧と、布教のため日本に密航してきたポルトガル人宣教師の殉教と棄教、日本という沼で根が腐り得体の知れない何かになってしまった信仰の物語。
私が今までの人生で読んだ本の中で、ベスト10に入る傑作である。
初めて読んだのは中学生の時だったと思うが、感動のあまり胸がいっぱいになり、布団に入っても目が冴えて眠れなかったことを覚えている。詳細は省くが、自分はキチジローにしかなれないと思った。
なので「沈黙」のハリウッド映画化を知った時は正直戸惑ったし、不安を覚えた。
スコセッシ監督を信じたかったが、ハリウッドに氾濫する単純明快な善悪の話にされたらどうしようかと恐れた。そんなことになったら、激憤し泣くしかない。原作を愛するがゆえに、(これもファンの名を借りた傲慢な表現ではあるが)穢されたくなかった。
映画は観るつもりでいたが、大絶賛か沈黙するかどちらかだろうと思っていた。
(ちなみに私は人の影響を受けたくないので鑑賞前にネタバレや批評を絶対に見ない)
そして、先日恐る恐るながら「沈黙 -サイレンス-」を観に行った。
結果として、私は泣いた。途中から涙がボロボロ出て止まらなかった。
悲しかったのではない。嬉しくて泣いた。素晴らしい出来栄えだった。ラストシーン以外は原作に大変忠実であり、遠藤周作が伝えたかったテーマをきちんと理解し、一切の妥協なく表現していた。原作への深い愛情と尊敬をひしひし感じた。そこらへんの時代劇よりもよほどしっかりとした時代考証と徹底したセット。海外映画にありがちな間違った日本観は微塵もなく、特に日本人役者さんたちの演技の鬼気迫ること。イッセー尾形氏の静かなる凄み。
ラストシーンのみに、スコセッシ監督の解釈というか物語のわかりやすい救いみたいなものを持たせているが、それも非常に好感が持てた。
スコセッシ監督と制作スタッフを信じて良かった。観て良かった。
今の日本映画界には作れない映画を作ってくれたと思う。心から感謝したい。
テーマがテーマなだけに西欧社会にはなかなか受け入れられず、ヒットは難しいだろう。
その分、日本人に観て欲しい。日本人こそが観るべき映画だと思う。
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