第101話 映画館を出て空を見上げたらゴジラ
少し前の話になるが、品川のIMAXシアターで「シン・ゴジラ」を観てきた。
どうして品川なんだろうと思っていたら、誘ってくれた友人が樋口真嗣監督と懇意にしている人で、監督から品川のシアターを勧められたのだという。
なるほどと思い、6人でシアターのど真ん中の席で鑑賞した。
ネタバレは避けるが、「シン・ゴジラ」は、本当にとてつもなく面白い作品だった。
庵野節が存分に効いたファンは垂涎の、ファンでなくても十二分に楽しめるストーリーだった。
私は、ゴジラは怪獣というよりは日本を襲う天災そのものだと思った。
大地震、火山噴火、台風、土砂災害、津波等々……天災列島・日本を襲うかつてない試練に日本国が総力を上げて立ち向かう話だと感じた。
ゴジラに対して恐怖は覚えなかった。
人は自然(天災)の前ではひたすらに無力な存在だから、ゴジラに対しても「しゃーない、自然には勝てない」と諦めの気持ちしか涌いてこない。見知った東京の街を無残に破壊されても、怒りや悲しみはない。だってゴジラを憎んでも仕方ない。地震や台風は誰のせいにもできない。人は結局人しか憎めないし、恨みようがない。もしゴジラを憎めるとすれば、それは物語の登場人物のみである。
ただ、破壊の後の再生を諦めるわけではない。
この国が古来よりそうであったように、敗戦後もそうであったように、私たちは壊されても壊されても立ち上がるのみ。粛々と復興するのみと思えば、映画の最後に確かな希望が湧いてくる。
だから、開き直って首都破壊と蹂躙を楽しめた。
終わってみれば、ゴジラは国民を一致団結させるために舞い降りた神の使い、使徒だったのだ。
上映終了後は、皆で興奮気味に感想を述べあった。
誰もが「(ゴジラから逃げる)エキストラをやれば良かった」と悔しがっていた。
(画面に映るのかどうかは置いておいて)ツテはあるので、私も今更だがゴジラから逃げてみたかったな……と思った。
映画館を出て、品川駅北口前の交差点まで来た時、思わず空を見上げた。
駅の向こうに、黒岩の山のようなゴジラが見えたような気がした。
人類が造りだしておきながら、人類を超越した存在が傲然と、しかし一切の理性なき本能の瞳で我々を俯瞰している。
そうだ、自分が今立っている場所もゴジラの舞台なのだった。
現実なのか、映画の世界なのかわからなくなるくらいのリアリティに圧倒された。
誰かが空を指差し、掠れた声で「あそこにゴジラが見えるよ」と言った。
皆、同じものが見えていた。私たちは「シン・ゴジラ」の世界に取り残され、そして逃げ遅れてしまったのだ。
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