第44話 一文字も書かない日




 一文字も書かなかった(書けなかった)日は辛い。

 ここでいう「一文字も」というのは、「人に見せるための創作、あるいはエッセイ」という意味である。

 走り書きや、SNSへの投稿、日記などは該当しない。


 そういう日は、布団に横になってから、「ああ、今日は一文字も書かなかったなあ……」とぼんやり思う。

 それからしきりに書けなかった言い訳を考え始める。

「忙しかったから」「低気圧で頭が痛かったから」「休日だから」「気が乗らなかったから」「天気がよくて外出してしまった」「ドラマを観てしまったから」「トラブルがあってそれどころじゃなかった」「お客があって……」などなど。

 他人に対しての言い訳も聞き苦しいのに、自分に対しての言い訳なんて何の解決にもならず本当に虚しい。

 言い訳しているうちにじわじわと後悔がこみ上げてきて、何度も寝返りを打って「一日の終わりにこんな気持ちになるのは嫌だ。明日は絶対に書こう。一文字でも」と思う。

 しかし、大体朝になると昨日の反省を忘れている。


 最も毎日書き続けるというのは、仕事や習慣でない限りは無理だろうとも思っている。

 このエッセイを書き始めてからは「書けなかった後悔」を覚える日は減ったものの、それでも毎日のように書いているわけではない。時間がある時に幾つも書き溜めて、まとめて予約投稿しているだけである。

 自宅を離れた外出先でもまず書けない。

 旅行へ行くと緊張するし、出先のことでいっぱいいっぱいになってしまう。

 せいぜいメモくらいのもので、文章にはならない。



 反対に、書けた日の満足感たるや半端ない。

 全てを書ききって最後の句読点「。」を打った時の、恍惚ともいえる快悦ときたら……。この喜びは書く人間でなければわかるまい。

 見直すには明日にして、とりあえず完了したことを祝いたくなる。

 妙に浮かれてしまって、普段お酒は飲まないくせに居酒屋へ行ってみたり。梅酒のお湯割りを飲んでキュウリの漬物をかじって、「終わった……」としみじみ思う。

 この瞬間のために自分は生きている。書き始めた物の、終わりの句読点を打つ瞬間のために。「この喜びをまた味わうために、明日からも頑張って書こう」と決心する。

 友人らにもラインやメールでそのことを熱く伝える。

 しかし、大体朝になると昨日の幸福を忘れている。

 人間そんなものである。



 忘れては感動し、反省しては忘れての繰り返しなのだなあ……。

 けれど書く苦しみをも「喉元過ぎれば熱さを忘れる」で忘れてくれるから、また性懲りもなく書き始める。そのことはありがたいかも!?

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