柒ノ七、強敵《とも》と書いて修羅《こいがたき》と読む!
地鳴りと同時に白煙が広がった。閃光が煙の奥で瞬く。
「刀が!」
悲鳴をあげかけた兵之進を、恋町が強く引き戻した。腕に抱いてかばう。
「危ない。近づくんじゃねェ。崩れるぞ」
「でも……!」
本勝手の書院から差し込む斜光もじかには届かぬ、暗がりの床の間。誰彼の闇から漏れ出るヒトガタめいた煙がひとすじ、ふたすじ。隠微にくゆる煙の条を、あでやかな紅色ふちどる白手甲の爪先が引き払う。たたずむ白い影。
「そのお姿、まさか……!」
兵之進は声をうわずらせ、感極まる息を吸い込んだ。笑顔が顔を照らす。
「まさか……兄様……?」
まぼろしに吸い寄せられてゆくかのように、一歩、二歩と。
「兄様!」
引き止める恋町の手を振り切って駆け寄ろうとした、瞬間。
「悪!」
「霊!」
「退!」
「散!」
いくつもの声が重なった。
「成敗ーーーッ!!!」
背後に無数の殺気。鋭く尖る切っ先が白刃の軌条を曳いて飛来する。
「何やつ!」
なぎ払うべく反射的に腰へと手を走らせる。だが掴んだのは空気だけだった。そこに妖刀はない。
兵之進は射線を躱し、斜め後ろに跳びのいた。恋町はわずかに眉を吊り上げるだけで微動だにしない。
床の間の壁にクナイが突き立った。連続した硬い音を立て、見えない人の形を射抜いて次々と刺さる。壁はそのまま人型にくり抜かれ、反対側へと倒れ込んだ。
振動とともに、廊下を土煙が吹き抜ける。
「ふわっはっはーーぁっ! 抜かったな我が永遠の
だん、と床を蹴って。
ピンクの
板戸を蹴り倒して侵入したピンクは、重力を無視した横っ走りで壁を斜めに駆け上がり、天井の梁でとんぼ返り。くるくる後ろ宙返りしながら、音もなく床脇へと着地。おこそ頭巾の帯が、煙にまぎれる背中にふわりと降りた。
「
覆面をしたピンクのくノ一が、両手をびしぃっ! と揃えて頭上に回転させた。名乗りの口上を上げながら、荒ぶる鷹の型を取る。
「我らが絡繰忍者党のかしら! 一磨! 様の! 純真な恋心をみだりに惑わす悪女の怨霊! その出現を、正義のくノ一
足を交差させ、胸の前で両手の指を丸めて合わせハートマーク。
「絡繰党忍術奥義! 分身の術!」
ピンクの帯が電撃のようにたなびく背後で、ドーン! と火薬が爆発した。刺激性のピンク煙幕が道場中に立ち込める。
「何やってんの。お蘭ちゃん。どういうこと?」
天井から庭にまで濃い煙が吹き流れた。視界を奪う。兵之進は涙目を腕でかばった。咳き込む。催涙煙だ。
傍らを、ピンクの小さな竜巻が三つ連続ですり抜けた。一瞬、妖刀のきらめきが視界の隅をかすめる。
「妖刀は!」
「いただいた!」
「でござりまするーーーっ!!」
右、左、上。三方に分かたれた声が同時に響いた。分身したちびお蘭その一とその二が、身に余る妖刀を駕籠かきの要領でエッサホイサとかついで走り去ってゆく。
「しまった、《光月》が!?」
片目をすがめ、煙の向こうへとスタコラと消えてゆく怪気炎の笑い声を追う。しみる煙のせいでまともに目が開けられない。
「盗られた!? 何で!?」
「わー何ということだー大事な妖刀が奪われてしまったああーこれはまずいぞーー早くー何とかーしなければー」
恋町は散らばるピンクの影を眼だけで追った。危機感の全くこもってないセリフを棒読みで読み上げる。兵之進は振り返って睨んだ。
「さては知ってましたね!?」
「庭にあんだけピンクのひらひらが見えてたってのに、気づかねェてめえが悪い」
親指を立てて石灯籠を指差す。木陰を作る大木の枝から何やらぶら下がって揺れているのが見えた。
「プェーン、パプペペェ……」
「うにゃ……」
情けない顔をしたおくねと猫がまとめてくくられ、吊り下げられている。
「そう言えば途中から急に姿が見えなくなったっけ。さてはお蘭ちゃんが……でも、何でこんなことを?」
助けようと駆け寄る。が、やたらときっちり縛られていて、おいそれとはほどけそうにない。
「ごめん、恋町さん。おくねちゃんたちを頼みます!」
ためらっている暇はない。身をひるがえし、妖刀を奪ったお蘭の後を追う。
「お蘭ちゃん、刀を返して!」
ちょこまかと刀をかついで走る二等身のちびお蘭たちに声をかける。
「すっぱりさっぱりお断りでござりまするーー」
ちびお蘭がいっせいに振り返って答えた。壊れた土塀を、アリの行列みたいにそのまま、トテテテと直角に曲がって駆け上がる。
「何で!?」
「ホンモノの御桜綺乃をどこぞのエロ絵師の嫁に片付けてしまえば!」
「一磨さまを誘惑する事はできなくなる、でござりまするーーーっ!」
「そのためにも!」
ピンクのくノ一行列が塀の上を伝い走ってゆく。
「人の恋路を邪魔する刀は!」
「どこぞの池にでもボッチャン!」
「しておけとの計画でありまするーーーっ!!!」
「困るってば! 返して!」
必死に塀へと駆け寄った。手を伸ばす。
お蘭ちゃんズはいっせいにくるりと振り向いた。全員そろって同時にあっかんべー。塀の向こう側へと飛び降りる。
「ふひひひ!」
「ごめんこうむるで!」
「ござりまふぎゃっ!」
最後、変な声がした。
「しまった、逃した」
兵之進は壁に突き当たって立ち止まった。このまま逃げられては、完全に姿を見失ってしまう。
兵之進はメダカの水がめを足場がわりに塀をよじ登った。後先考えずに飛び降りる。
「どっちだ!」
左右を見回す。右手の角にピンクの帯がひらっとなびくのだけが見えた。
「そっちか。待て!」
着地の姿勢から一気に加速する。
角を曲がったとたん。
眼前に、巨大な黒い影が立ち塞がった。
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