柒ノ三、海桐花の鬼守り

 ほどけた包みの下から銀色の反射が見えた。

「ピャッ!」

 おくねが、眩しい声を上げて胴着の背中に隠れる。

 一瞬、開けてはいけない気がした。包み紙ごと強く握り込む。


「何で、こんな」

「邪払いの《まもり》だ。これがねェと……」


 恋町はまだ何かぼそぼそと説明している。兵之進は聞いていなかった。何度かまばたきし、気を落ち着けてから包みを開く。表れたのは銀のかんざし。昼間の綺乃が、鬼避けとして身に付けていたものだった。


 どうして、今さらを。


 酷い言葉がこみ上げそうになった。

 わざわざ、あの世から取り戻してきてくれたのだと頭では分かっていても。

 それがせめてもの優しさだと、哀れと思ってくれる不器用ないたわりだと、迷える魂のなぐさめだと分かっていても。


 こんなものいらない。

 形見なんて、いらない。

 口に出せない言葉だけが頭の中で呪いのようにこだまする。


 手の中のかんざしは、最初はひどく冷たかった。だが、ほんの少し握りしめるだけで体温が移って、人肌にまでぬるくなる。不思議と艶やかに光って傷ひとつない。

 死化粧のようだった。


 兵之進は下唇を噛んだ。目を閉じて、かんざしを握った手がこれ以上ぶざまに震えないよう、胸に押し当てる。

「ありがとうございまし……」

 最後まで言い切る前に急いで頭を下げて、そのまま、ずっと顔を伏せる。

 声が震えた。


 ちりん。

 タコ糸の手まりが庭に転がり出た。子猫が後を追いかける。兵之進は肩の後ろに隠れていたおくねを床に下ろした。

「おくねちゃん、庭で遊んでおいで。もうすぐ一磨も戻ってくるから」

 ちりん。手まりが転がる。


 恋町はずっと横を向いたままだった。涙に汚れた顔を見ないでいてくれているのかもしれなかった。

「道場はどうする」

「どうするって」

 兵之進は、手まりを追いかけるあやかしたちを見やった。


 視線の先は倒れた土塀。折れたひいらぎの枝。なりかけの青柿が地面に散らばり、茂みにはピンクの手ぬぐいがひらひら。石灯籠は倒れ、注連縄も外れて、何枚もの紙垂が濡れて地面に貼りつく。

 木守きまもりの柿もどこへ転がったやら。厳重に張り巡らせていた結界が失せたせいで、鬼もあやかしも、今なら入りたい放題だ。

 指先でかんざしの海桐花とべら紋様をいじる。節分にこの木の枝を扉に挟み、邪鬼を払う風習から「とびら」と呼ばれるようになった花だ。ちいさきものたちにはいささか影響が強すぎるだろう。


「もちろん直しますよ。いつまでもメソメソしてられませんし。百語堂を再建するためにも頑張って働かないとね」

 小首を傾げ、平気な顔をしてあえて声を張り、けろりと笑ってみせる。


「そうか。なら、いい」

 恋町は仏頂面で言った。それっきりむすりと黙り込んで。座るでもなく、帰ろうとするでもなく。差し向かいになろうともせず、手持ち無沙汰に立ちっぱなしだ。


「恋町さんこそ、お怪我の方は」

 しかたなく、いたたまれなさをよそへ押しやって聞いた。

 恋町は背中を揺すり上げた。どうにも居心地が悪そうに、もじもじ肩をすくめたり首を鳴らしたりして、やけに落ち着かない。

 結局、こっちを見ないまま、肩でひとつ息をついた。他人事みたいに、汚した床を眺めやる。


「俺のことはどうでもいい。それよりその、何だ、もし、何か困るようなら、あー、その、俺の」

「大丈夫です。何とかやれます」

 兵之進は即座に断った。


 恋町は口をへの字に曲げ、憮然と咳払いした。

「そうか。なら、いいが」

 判で押したみたいにしか言わないところを見ると、他に用事はないらしい。なのに、やはり帰るそぶりを見せない。


 兵之進は恋町の横顔をじっと見た。

「えっと、ぶぶ漬け? でも食べていきます?」

「漬物に汁に揚げ出し、肴は濃い目のあら炊きも追加でな。茶漬け一杯で朝まで粘ってやるからな、覚悟しとけよ」


 思わず吹き出した。

「だったらご心配なく。僕ならホント大丈夫ですって。あとでお蘭ちゃんも来てくれるって言ってましたし」

 眼をそらして、笑って、仮面の嘘をつく。


「へえ、そうかよ」

 浮かぬ顔で相槌を打つ。今度は、良い、とは言わなかった。

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