柒ノ二、やっぱり、嫌。こんな終わり方は、嫌です。こんな

「ピヨ、パパパイぺ。ペンピパピぺ……?」

 おくねが背中側からよじ登って、逆さまに顔を覗き込んだ。

 爪の先みたいに小さな手拭いが、濡れた頰に押し当てられる。さすがに小さすぎて足りなかったか。おくねはあたふたと濡れた手拭いを絞った。しずくが落ちて、袴のすそを濡らす。


 兵之進は膝に顔を埋めたまま答えた。

「うん…… ごめん。ありがと。もう大丈夫」


 かつての病に倒れた自分の姿を思えば、たとえ鬼の力を借りてでも反魂を、と願ったであろう兄の気持ちは痛いほど想像がついた。それでも。

 兵之進は、いっそう強く膝をかかえた。涙声をつまらせる。

「兄様の、ばか。どうして」

 言葉には引き寄せる力がある。請い、願い、祈る想いが、青白くゆるぎ立つ。


「ピャッ!?」

 強い言霊に圧されて、おくねが足をすべらせた。

「アパパ……ポッポピプ……!」

 襟にぶら下がってじたばたする。

 兵之進は、ようやくおくねの状況に気づいて、肩越しに手を回して足元を支えた。塩からい笑いがもれる。

「ごめんごめん、大丈夫だった? ぼんやりしてたら危ないぞ?」

 これからは。

「今日は忙しいんだ。道場を元どおりに片付けないと。あんまり放ったらかしてたら、近所の人たちに怖がられちゃう」

 自分ひとりで。

「あ、でもピカピカに掃除しすぎたら逆にあやかしも出なくなったりして、あはははは!」

 生きていかねばならないのだから。


 ふと笑い止んで、妖刀《古骨光月》を見つめる。

 刀柄つかにべったりと黒ずんだ染みがあった。手形となって生々しくこびりついている。

 兄の魂を喰らった刀だ。

 泥まみれの満身創痍。鞘の塗りもあちこち剥げている。下げ緒もなく、小柄こづかすら抜け落ちていた。どこで落としてきたのか。


「兄様」


 もう、二度と戻ってこない人を、ずっと。

 いつまでも待って。待ち続けて。

 待ちぼうけて。

 ついには傷ついて、破れてしまった心の傷に。


 ──鬼が忍び入る。


「やっぱり、嫌。こんな終わり方は、嫌です。こんな」


 いっそ、こんな刀など、なければよかった。一族に代々伝わる刀など、なければよかった。あやかしを視る力など、なければよかった。兄に心労をかける前に、いっそ、ひとりで何処かへ消えてしまえばよかった。こんな自分など、いっそ。

 腹の底に、苦い吐気めいた思いがふつふつとわだかまって、消えない。


 もし、それらの呪詛が本当に口をついて出てしまったら。

 今の今まで、必死に積み重ねてきた戦いのすべてが音を立ててくずれ──


「おい、帰ったぞ」

 思わず、びくっ、とした。

 恋町の声だ。表から聞こえてくる。

 兵之進は慌てて立ち上がった。手ぬぐいで何度も顔を拭き、鼻をぐすぐす言わせ、一瞬、最低なことを思ってしまったことを悟られないよう、両手でぴしゃぴしゃと頬をひっぱたく。

「塩撒いてくれ」

「はい、はい、ただいま」

 いまさら馬鹿馬鹿しい、と思いながらも黙って従う。


「一磨はどうした。いねえのか」

 恋町は相変わらず無遠慮だった。首を伸ばして、兵之進の背後を覗き込む。

 兵之進は台所から塩をひとつまみ握ってきて、恋町の背中をきよめた。肩に白い綿毛がくっついているのもつまんで吹いて捨てる。

「およねちゃんを送って行きました。ついでに、他に怪我した子がいないかどうかも聞いてくれるって」

「そうか」


 恋町は勝手知ったる他人の家とばかりに、ずかずか上がり込んできた。昨夜の死闘を越えてまだ着替えてもいないらしい。破れた丹前の切れ端を引きずっている。

 土のついた裸足の跡が白く、点々と廊下についた。いたずらっ子を追いかけ回した後のようだ。

 脱ぎ散らかした雪駄が、片方は横向き、もう片方は裏返しになっていた。うるさく注意する気にもなれなかった。心が動かない。


 恋町は、座敷の手前で足を止めた。床の間に放られたままの妖刀に気づく。眉間にしわが寄った。

「何だ、まだ」

 続きを言いかけようとして、ふん、と鼻息をひとつ吹く。

 結局、何も言わないで懐中に手を入れた。紙にくるまれた細い包みを取り出す。

「何ですそれ」

「いいから受け取れ」

 問いには答えず、そっぽを向いたままぶっきらぼうに押しつけて寄越す。

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