陸ノ四、モゴモゴモゴモゴモゴモゴモゴモゴーーッ
(やめて、兄様、だめ、そんなことしてる場合じゃ……)
綺乃の制止も聞かず。
「止められるもんなら止めてみろ、霞処ァ!」
兵之進は、鉤爪の生えそろった刀で襲いかかった。獣の咆哮が闇を搔き裂く。
恋町の姿が、ふっと消えた。影が地を這う。
身を低くし、腰を落とし。
手にした妖刀《墨切》を、平然と空中で手放す。
妖刀は、構えていた時と同じ角度を保ったまま、スゥと宙に浮いた。そこだけ時が止まったかに見える。
刀が地面に落ちるまでの、ほんの、束の間。
「二匹まとめてお相手しろってか。いくら俺様でも体力が保つかねェ」
着流しを
恋町は、地に落ちた銀かんざしを雪駄の横っ面で蹴りつけた。
跳ね上がったところを裏拳で逆手に押っ取る。その間も左腕は黒い霧に隠れた
直後。
落下し始めた妖刀の柄を横咥えにして、一気に間合いを詰める。
鬼の刃軋りが降った。
かんざしが銀色にきらめいた。真正面から受け止める。
金属の悲鳴が甲高く軋り飛んだ。しのぎを削り、鍔迫り合う。
黒と青の妖気が、電撃まじりの衝撃波を放った。何重もの波紋となって、半透明の同心円を描き出す。
足元の地面が、蜘蛛の巣状に割れた。吸い上げられた瓦礫が木っ端微塵に吹き流れてゆく。
「
巨大にねじ曲がった刃を、片手一本、華奢な銀のかんざし一本でやすやすと掻い潜り、押し返しながら、恋町は憎たらしい悪態を吐いた。半身を覆っていた黒い霧が、
渾身の一撃を跳ね返され、兵之進は飛び退った。
獣めいた四つ這いの姿勢で片手を地につき、眼を爛と赤く燃やす。
「……人の道に
獰猛に唸り、息を荒げる。
霧に隠れていた恋町の顔が、ふいに、硬い音を立ててひび割れた。
「
作り物の笑顔が、縦半分に真っ二つに割れ。
互い違いに上下にずれ落ちる。
仮面の下の素顔が、一瞬の明滅と共にさらけ出された。
(兄様、
綺乃は絵の中から目に見えない壁を叩いた。
(そんなことしないで。お願い、恋町さん、兄様を
「ムッキイイイイイーーー!? あんたたちこのあたしを差し置いて何を勝手にイチャイチャと内輪揉め……」
待ちぼうけを食らった火車が、けたたましく喚きたてる。
「うっせえ黙ってろいんぐりもんぐり! こっちはこっちで痴話喧嘩の修羅場で忙しいんだよ!」
恋町は口汚く罵った。妖刀とかんざしを持ち代え、顔をそむけて、ぺっ、と唾を吐く。
「良かろう、心得た。そんなに
恋町はニッと笑った。片目をつぶる。
「って訳でまずは綺乃、てめえが
綺乃は、眼をぱちくりとさせた。
(へっ? 僕が? なんで?)
思わず、素に返って聞き返す。
電光石火の火花が瞬いた。激しく乱れ、明滅する。
「《
一撃で。
兵之進の首が消し飛んだ。
袈裟がけに切った切り口から黒い墨が法外に吹き出した。
返す刀で滅多斬り。
一瞬で、全身が糸の切れた操り人形のようにバラバラと崩れ落ちた。
その間も、恋町の身体から広がる霧の投網は、猛然と地面を斬りつける火車の突進を食い止め続けている。
「ひぎxエアぁぁくぁwせdrftgyふじこlp!!!!!!!」
思わず漏らした悲鳴に、肺の奥の空気が全部押し出された。
(……ああああああ僕の頭がどこにもないっ! というか兄様がバラバラにーーっ!?)
どこかで聞いたことがあるような台詞を口走ってから、綺乃は、斬られたはずの兵之進をまじまじと見た。
(って、あ、あ、あれっ?)
いや、見たつもりだった。
だが見えない。どころか、何もない。
転がっているはずの死体でさえも。
置かれている状況も忘れるほど、ぽかんとする。いない。どこにも。
記憶の中で、何かがモヤモヤと疑念の渦を巻いた。
(ん? 待てよ……これは……確か……前にも、何か、こんなことがあったような……んん?)
顔が引きつる。
「ったく、よう。毎度毎度、世話ばかり妬かせやがって。いちいち面倒くせえんだよ、この悪霊ホイホイが」
肩に妖刀をかついで、恋町は毒づいた。鼻をふんと言わせ、眉間に剣呑な皺を寄せる。
滴る黒い煙が、刃をつたって鍔から手元へと流れ落ちた。
足元にポタリと落ちる。
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