伍ノ三、俺様がモテないのは世の中が間違ってるせいだ

 薄ら寒い風の音が通り過ぎる。

 斜めに湾曲した巨岩が、切り立った崖から突き出していた。岩肌は赤錆の色。さながら天を掻き毟る鬼の爪のようだ。


「この辺りの景色は初めて見る」

「へえ」

「だいぶん月が傾いてきたな」

「ああ」

「道はこっちでいいんだよな」

「たぶんな」


 巨岩の落とす濃い影が、ガレ場を真紅と闇のだんだらに染め分けている。

 兵之進は、適当すぎる返事に業を煮やした。先をゆく恋町の背中に問いただす。

「どこへ行く気だ」

 落石のせいか、ときおり、岩の崩れる音がした。


「黒塚の刑場跡に行ったことはあるか?」

 恋町はやはり話をそらしてばかりで、まともに答えようともしない。


 中天に傾く赤い目玉の月が、ちょうど巨岩の頂点、爪の位置にかかっていた。岩の組成に石英か雲母か、剥離する鉱物片の類でも含んでいるのか、風が寒々と吹き抜けるたびに、骨片めいた粉塵が白く舞う。

「ない」

 兵之進が答えると。

「捕方の俺が言うのも何だが、酷いもんだ。晒し者の罪人なんか、ろくに埋葬すらしねえからな、むしろにくるんでそのへんにポイだ。自然と良くねえものが吹き溜まる。この世の地獄みたいなもんさ」

 恋町は無駄話を始めた。

「怪談なら今度にしてくれ」

「そいつを押し止めるのが、黄泉比良坂の千引ちびきの岩みたいなやつだ。地名ってのは、要するに地形だからな。比良坂の比良ひらひらつまり切り立ったがけをあらわし、さか境界さかいをあらわす。つまり、崖を探せば岩があるというわけだ」

「要するに、行き当たりばったりってか」


 苛立ちの声に反応したのか、月の目玉がギョロリと薄膜のまぶたを剥いた。目まぐるしく動く。

 けたたましい鳴き声がした。女の悲鳴のようにも聞こえる。崖の中途から巨大な鴉が飛び立った。鳥というよりはもはや翼竜だ。

 恋町は、ギャアギャアとうるさい鴉を見送った。

「何だ、てめえにしちゃァ、やけに饒舌だな。そんなにアレが心配か」


 問いに問いで返されて無意識に舌打ちする。


 言われなくとも気にはかけていた。誰より何より綺乃の身が心配だ。だが、妖刀使いではない一磨を、本人の申し出を良いことに置き去りにしてしまった。それが、内心、足手まといを厄介払いしたふうなていにも思えて、ちくちくと自責のトゲで刺される心地にさいなまれている。かといって、任せると言った以上、表立っての余計な心配もできない。


「別に!」

「へえ? 俺ぁ別に一磨を気遣ってるわけじゃねェんだけどな」


 揶揄一つでさえ、相変わらずにやにやと嫌みったらしい。

 兵之進は、ふんと鼻を鳴らした。そっぽを向く。

「ムカつく野郎だ」

「てめえが、綺乃以外の誰かを心配することに驚いてんだよ、俺は」


 兵之進は、恋町の背中から眼をそらした。

「ずっと正体を隠して……あのことも全部黙ってたからな」

 何があったのか、すべてを知っている背中だ。それでいて、あのころと変わらない。


「鬼の眼にも涙ってか。まァ、心配すんなや。何とかならぁな」

 恋町は、視線をまっすぐ前方へと向けたままだった。兵之進はため息をつく。

「どうだか」

「とりあえず、その後ろ向きな性格は直したほうがいいな。大抵のことは当たって砕けても何とかなる」

「さっきは、千引の岩が砕けて困ってる、って話だったはずだが」

「直しゃいいんだよ、千代に八千代にさざれ石の巌となりて苔のむすまでだ」

「なるほど古今和歌集か。いいな。今度から、指南所は論語をやめて百人一首するかな」

「エロかるたか。よっしゃ任せろお子様には到底見せられないあんな絵やこんな絵を」

「ぶっ殺すぞテメェ」


 ガレ場を踏みしめ、歩く。草履の下で、砂利石の擦れる音がした。何かがチョロリと這う。

 気づけば、ずっと恋町の背中ばかりを追いかけているような気がした。いつになっても追い越せない。


「……悩み事なさそうでいいな、あんたは」

 また、さざれ石がぱらぱらと降った。拳ほどの岩が谷底の闇へ吸い込まれてゆくのを見送る。

 風鈴めいた金属音が、白い反射となって崖に跳ねた。光り物を集める習性でもあるのか、先程の鴉が、光を追いかけて谷底へと突っ込む。


「失敬な。悩みぐれぇあるし」

 上っ面な深刻顔で恋町は答える。

「直参旗本で老中若年寄にお局さまの覚えもめでたく家柄も最高、才気煥発、眉目秀麗、立身出世に文武両道なこの俺様になぜ嫁のなり手がいねえのか。俺様がモテないのは世の中が間違ってるせいだ」

「中身がクソすぎるせいだろ」

「……わりと直球で致命傷だわそれ」


 頭上を、白い蝙蝠めいたものが飛び交っていた。巣に戻った鴉の周りにまとわりついてギャアギャアと鳴き交わしている。

「騒がしいな」

 恋町は赤い空を見上げた。眼をほそめる。


 けたたましい叫びが、白と黒の羽を散らしてぶつかり合った。鴉の巣を白い蝙蝠が襲っている。鴉が巣を蹴って羽ばたいた。群がる白い蝙蝠をくちばしで突き、爪で引き裂いて追い払う。

 衝撃で巣が壊されたのか、頭上から大量のガラクタが降ってきた。

 折れた傘や割れた茶碗、歯車やら針金やら巨大な鎧武者の腕やら一磨そっくりのハリボテの顔やら、役にも立たないガラクタに混じって。

 銀のかんざしが、澄んだ音を立てて、地面に跳ね転がる。


「今のは」

 恋町がぎくりとした。

 兵之進が駆け寄ろうとした直後。頭上から、さらに大量の木の枝が降り注いだ。とっさに踏みとどまる。かんざしが瓦礫とガラクタに埋もれた。見えなくなる。

「しまった、くそっ……!」


 鴉が突き殺した白い蝙蝠が、地面に落ちてきた。ビチャリ、と音を立ててつぶれる。

 恋町が舌打ちした。自嘲気味の渋い笑みが眼にかすめる。

「下がれ、兵之進」

 袴の腰板を掴んで引き戻しながら、ぞんざいに顎をしゃくる。


 潰れて人の形を成さなくなった白い泥が、ヌラヌラと寄り集まった。互いに練り合わされ、ヒトではない別の何かに混ぜ合わされて、おぞましくのたうっている。

 女の妖艶な部分も、男の無骨な部分をも残す白い泥柱が浮き上がってきた。まだ完全な形には戻りきらぬまま、ドロドロと溶け流れるヒトガタの群れとなって這いずっている。その、顔かたちに。


 兵之進は冷然と息を吐いた。

 感情を押し殺さねば、自分自身があっけなく憤怒の濁流に呑まれかねなかった。血の衝動は、何より鬼の気を揺り動かす。

 恋町は、すでに腰の刀柄に手を置いて鯉口を切っている。


れるか?」

「当然」

 

 探し求める妹と同じ顔をしたヒトガタの群れに向かって。

 兵之進は、妖刀を抜き払った。鋩尖ぼうしさきがくるめきを反射する。青く冷たい鬼火が、つと滴り落ちた。

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