参 百鬼夜行改
参ノ一、子ぉとろ 子とろ
急な雨や雷にきゃあきゃあ言いながら、綺乃とおよねは布団を取り込み、洗濯物を取り込んで、二人で顔を見合わせ、笑った。
指南所のお片付けをし、道場のお掃除、汚れ物の洗濯。
「さすがおよねちゃんね。すごいわ!」
「えへへ、それほどでも……」
まめまめしく働くおよねに、綺乃は、感動の拍手を送った。およねはもじもじと頬を染める。
用事をすませると、お手玉にあやとり、手遊びにお歌。縁側で
「甘ぁい……」
およねは、目を閉じてうっとりと口の中に溶ける甘味を味わった。
「先生、これって、おさとう?」
「
砂糖を押し固めた
「おいしい……夢みたい」
雨が止んでしまうのが、何だか名残惜しそうだった。およねは、暮れかけてきた空を見上げた。膝に継ぎの当たった着物を、何度も引っ張って伸ばし、穴の跡が見えないように、正座をし直す。
「今日は、ありがとうございました。もう七つ刻も過ぎちゃったし、早く帰らなきゃ。母ちゃんに心配かけます」
どこかで、カラスが鳴いていた。
庭のカエルが、けろけろとうるさい。およねは、背中にまわしかけたおぶいひもに一人、身体の前側の抱っこひもに一人と、小さな身体には重すぎる二人の赤ちゃんをおぶった。
「きの先生、お菓子までいただいてしまいまして、ありがとうございました」
深々と頭を下げる。
綺乃は笑って励ました。
「こちらこそ、ありがとね。本当に、およねちゃんがいてくれて楽しかったわ」
「母ちゃんがいつも本当に助かりますって言ってます」
「お母様のご病気、早く良くなると良いわね」
綺乃は、少女の頭をそっと撫でた。
「それじゃあね。和三盆の残りがまだあるわ。お母様に持って帰って差し上げてちょうだい?」
「えっ、そんな、いただけません。こんな美味しすぎるもの」
「いいのよ。よろしくお伝えしてね。早く、お元気になりますように」
「……ありがとうございます、先生!」
およねは、胸に和三盆の包みを抱いて、にっこりした。一礼し、くぐり戸を抜けて、外へ出ようとする。
「じゃあね、はち」
灯籠の下に、黒髪の修験童子がちょこなんとお座りしていた。黒の
三角の耳が、
「わっふーん!」
少年は、およねに頭を撫でられ、嬉しげにしっぽをぶんぶん振った。
どうやら、およねには、黒柴の子犬にしか見えなかったらしい。くしゃくしゃと撫でると、およねは帰っていった。
綺乃は凄みのある笑みを浮かべた。
「式神のくせに。すきあらば幼女に撫でられようとしやがって。うちの護法でなければ、今すぐ変態式魔として切り捨てるところだぞ」
「くぅーん……」
「あざとい子犬の目をするな! 俺の目は騙されんぞ」
しっぽつきの護法童子は、ちっと舌打ちして横を向いた。
「……ご自分は、女装を満喫されておられるくせによくもまあ」
「いい度胸だ。そこへなおれ、はち。打ち首にしてくれる」
「きゃいんきゃいん!」
しっぽを巻いて逃げ出しかけた童子の犬耳が、突然。
ぴくりと立ち上がった。綺乃もまた、はっと身を固くする。
外から悲鳴が聞こえた。
綺乃は、あわただしい視線を往来の方向へと走らせた。顔色を変える。
「今の声、およねか?」
いても立ってもいられず、庭へと駆け下りた。くぐり戸を抜けようとして、掛け回されていた注連縄の結界に衝突した。弾かれる。
「つッ……!」
霊気の壁に跳ね返され、よろめく。
「しまった」
綺乃は、何も邪魔するもののないはずの、くぐり戸下の空間を殴りつけた。注連縄の結界が揺れた。
ギィン、と、目に見えぬ波紋が微振動を起こしながら同心円状に広がる。
《鬼避け》の結界だ。おそらく、用心のために恋町が仕掛けていったものだろう。
このままでは外には出られない。
綺乃は四方を見回した。上がり框を蹴って道場の板間へと馳せ戻る。たすきを口にくわえ、手早く回し掛けた。
「今、何時だ? ひよはまだ帰らんのか? 何してる、あいつら……」
長刀を手に取る。
「八曜、行け!」
するどい声で童子に命じる。
「わふっ!」
黒修験の童子は、白い煙とともに出現した
空に薄暗い霧がかかっていた。汚濁めいた、腐敗の臭いが流れ込んでくる。地の底から滲み出てくるような声が聞こえた。
「……ィゥ……」
「ヒァ……クガァ……ァゥリゥド……」
「……クァ……タァ……リゥ……ドォホォォ……」
外から、板塀を叩く音がした。ガタガタと揺れる。黒い影が裏の木戸に押し寄せる。塀がたわんだ。塀の下から、腐り果てた泥水が流れ込む。
グチャリ、グチャリ、潰れるような音が這いずり回っていた。
「綺乃先生、助けて! おねがい、たすけて、たすけ……嫌、嫌、やだっ……助け……先生……!!」」
悲鳴が、くぐり戸の真正面から聞こえた。戸を叩く音が強まる。
「およねちゃん!」
綺乃はくぐり戸に駆け寄った。薙刀を構えて声を高める。
「
獣の声で、式神が吠え猛る。
塀の外の黒いヒトガタは、ますますその数を増やしてゆく。
およねの悲鳴がかぶさった。
「助けて。綺乃先生。助けて。怖い。
「およね! くそっ……何もできないのか、このまま、俺は!」
綺乃は歯を食いしばった。注連縄の下に下がる白い
「暮れ六つを過ぎなければよいのだろう! それまでに俺が全部片付ければ!」
半ば、
「なりませぬッ!!」
防戦一方なのだろう、はちが苦しげに吠える。
「絶対に出てはなりませぬ! その結界を破られてしまえばもう、
メキメキと音を立てて、塀が押し倒される。土塀が粉砕された。黒修験の童子姿をしたはちが、傷だらけの有様で叩きつけられた。庭にもんどり打つ。灯籠が横倒しに倒れた。
外から内側へと向かって、結界が突き破られる。黒い影がユラユラと雪崩れ込んだ。
「はち!」
駆け寄ろうとして、綺乃は、黒いヒトガタに取り巻かれたおよねを見た。破れた傘を差している。
身体がこわばる。
およねは、目に、青白い鬼火を宿していた。赤ん坊を背負ったまま、総毛立つ無表情で、なんの役にも立たない傘を差して。
突っ立っている。
背中の赤ん坊たちが、むずがっていやいやした。やがて、二人とも火がついたように泣き出す。
およねは動かない。
ただ。口だけが開いた。操り人形のように、ぱくぱくと、かすれた息がもれる。
「たすけて。せんせい。ここをあけて。なかに、いれて。せんせい。たすけて。おね、がい。たす、け、」
表情が消えたはずの、その眼から。
涙が、ぽろ、ぽろ、と。
こぼれ落ちた。
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