参 百鬼夜行改

参ノ一、子ぉとろ 子とろ

 急な雨や雷にきゃあきゃあ言いながら、綺乃とおよねは布団を取り込み、洗濯物を取り込んで、二人で顔を見合わせ、笑った。

 指南所のお片付けをし、道場のお掃除、汚れ物の洗濯。

「さすがおよねちゃんね。すごいわ!」

「えへへ、それほどでも……」

 まめまめしく働くおよねに、綺乃は、感動の拍手を送った。およねはもじもじと頬を染める。

 用事をすませると、お手玉にあやとり、手遊びにお歌。縁側で野点のだての真似事をして、こっそり隠しておいたおやつの干菓子を取り出す。


「甘ぁい……」


 およねは、目を閉じてうっとりと口の中に溶ける甘味を味わった。

「先生、これって、おさとう?」

和三盆わさんぼんよ」


 砂糖を押し固めた落雁らくがんの一種である。指先ほどのちいさな菓子で、精巧な花の形が愛らしい。黒糖の香りを淡く残した、ほろほろと上品なくちどけ。

「おいしい……夢みたい」

 雨が止んでしまうのが、何だか名残惜しそうだった。およねは、暮れかけてきた空を見上げた。膝に継ぎの当たった着物を、何度も引っ張って伸ばし、穴の跡が見えないように、正座をし直す。

「今日は、ありがとうございました。もう七つ刻も過ぎちゃったし、早く帰らなきゃ。母ちゃんに心配かけます」


 どこかで、カラスが鳴いていた。

 庭のカエルが、けろけろとうるさい。およねは、背中にまわしかけたおぶいひもに一人、身体の前側の抱っこひもに一人と、小さな身体には重すぎる二人の赤ちゃんをおぶった。


「きの先生、お菓子までいただいてしまいまして、ありがとうございました」

 深々と頭を下げる。


 綺乃は笑って励ました。

「こちらこそ、ありがとね。本当に、およねちゃんがいてくれて楽しかったわ」

「母ちゃんがいつも本当に助かりますって言ってます」

「お母様のご病気、早く良くなると良いわね」


 綺乃は、少女の頭をそっと撫でた。

「それじゃあね。和三盆の残りがまだあるわ。お母様に持って帰って差し上げてちょうだい?」

「えっ、そんな、いただけません。こんな美味しすぎるもの」

「いいのよ。よろしくお伝えしてね。早く、お元気になりますように」

「……ありがとうございます、先生!」

 およねは、胸に和三盆の包みを抱いて、にっこりした。一礼し、くぐり戸を抜けて、外へ出ようとする。

「じゃあね、はち」


 灯籠の下に、黒髪の修験童子がちょこなんとお座りしていた。黒の鈴懸すずかけに白の結袈裟ゆいけさ手甲てっこう脚絆きゃはんは白。

 三角の耳が、頭襟ときんの横から飛び出していた。尻には黒い巻き尻尾。

「わっふーん!」

 少年は、およねに頭を撫でられ、嬉しげにしっぽをぶんぶん振った。

 どうやら、およねには、黒柴の子犬にしか見えなかったらしい。くしゃくしゃと撫でると、およねは帰っていった。


 綺乃は凄みのある笑みを浮かべた。

「式神のくせに。すきあらば幼女に撫でられようとしやがって。うちの護法でなければ、今すぐ変態式魔として切り捨てるところだぞ」

「くぅーん……」

「あざとい子犬の目をするな! 俺の目は騙されんぞ」

 しっぽつきの護法童子は、ちっと舌打ちして横を向いた。

「……ご自分は、女装を満喫されておられるくせによくもまあ」

「いい度胸だ。そこへなおれ、はち。打ち首にしてくれる」

「きゃいんきゃいん!」


 しっぽを巻いて逃げ出しかけた童子の犬耳が、突然。

 ぴくりと立ち上がった。綺乃もまた、はっと身を固くする。

 外から悲鳴が聞こえた。


 綺乃は、あわただしい視線を往来の方向へと走らせた。顔色を変える。

「今の声、およねか?」

 いても立ってもいられず、庭へと駆け下りた。くぐり戸を抜けようとして、掛け回されていた注連縄の結界に衝突した。弾かれる。

「つッ……!」

 霊気の壁に跳ね返され、よろめく。


「しまった」

 綺乃は、何も邪魔するもののないはずの、くぐり戸下の空間を殴りつけた。注連縄の結界が揺れた。

 ギィン、と、目に見えぬ波紋が微振動を起こしながら同心円状に広がる。

 《鬼避け》の結界だ。おそらく、用心のために恋町が仕掛けていったものだろう。


 このままでは外には出られない。


 綺乃は四方を見回した。上がり框を蹴って道場の板間へと馳せ戻る。たすきを口にくわえ、手早く回し掛けた。

「今、何時だ? ひよはまだ帰らんのか? 何してる、あいつら……」

 長刀を手に取る。

「八曜、行け!」

 するどい声で童子に命じる。


「わふっ!」

 黒修験の童子は、白い煙とともに出現した三鈷杵さんこしょを口にくわえ、くぐり戸を超えて外へと走り出た。再び、絹を裂くようなおよねの悲鳴が響き渡る。


 空に薄暗い霧がかかっていた。汚濁めいた、腐敗の臭いが流れ込んでくる。地の底から滲み出てくるような声が聞こえた。


「……ィゥ……」

「ヒァ……クガァ……ァゥリゥド……」

「……クァ……タァ……リゥ……ドォホォォ……」


 外から、板塀を叩く音がした。ガタガタと揺れる。黒い影が裏の木戸に押し寄せる。塀がたわんだ。塀の下から、腐り果てた泥水が流れ込む。

 グチャリ、グチャリ、潰れるような音が這いずり回っていた。


「綺乃先生、助けて! おねがい、たすけて、たすけ……嫌、嫌、やだっ……助け……先生……!!」」

 悲鳴が、くぐり戸の真正面から聞こえた。戸を叩く音が強まる。

「およねちゃん!」

 綺乃はくぐり戸に駆け寄った。薙刀を構えて声を高める。


ぬしどの、来てはなりませぬッ! 絶対に開けては! 暮れ六つの禁をお忘れか! 御身が戻るまで、何卒!」

 獣の声で、式神が吠え猛る。


 塀の外の黒いヒトガタは、ますますその数を増やしてゆく。

 およねの悲鳴がかぶさった。

「助けて。綺乃先生。助けて。怖い。。お願い、助けて。


「およね! くそっ……何もできないのか、このまま、俺は!」

 綺乃は歯を食いしばった。注連縄の下に下がる白い紙垂しでを睨みつける。あやかし、モノノケ、妖怪、幽霊、鬼、魑魅魍魎の類のものは、決して通れぬ理の結界。


「暮れ六つを過ぎなければよいのだろう! それまでに俺が全部片付ければ!」

 半ば、紙垂しでに手をかけようとしながら、綺乃は怒鳴った。

「なりませぬッ!!」

 防戦一方なのだろう、はちが苦しげに吠える。

「絶対に出てはなりませぬ! その結界を破られてしまえばもう、!」


 メキメキと音を立てて、塀が押し倒される。土塀が粉砕された。黒修験の童子姿をしたはちが、傷だらけの有様で叩きつけられた。庭にもんどり打つ。灯籠が横倒しに倒れた。


 外から内側へと向かって、結界が突き破られる。黒い影がユラユラと雪崩れ込んだ。

「はち!」

 駆け寄ろうとして、綺乃は、黒いヒトガタに取り巻かれたおよねを見た。破れた傘を差している。

 身体がこわばる。


 およねは、目に、青白い鬼火を宿していた。赤ん坊を背負ったまま、総毛立つ無表情で、なんの役にも立たない傘を差して。

 突っ立っている。

 背中の赤ん坊たちが、むずがっていやいやした。やがて、二人とも火がついたように泣き出す。

 およねは動かない。


 ただ。口だけが開いた。操り人形のように、ぱくぱくと、かすれた息がもれる。

「たすけて。せんせい。ここをあけて。なかに、いれて。せんせい。たすけて。おね、がい。たす、け、」


 表情が消えたはずの、その眼から。

 涙が、ぽろ、ぽろ、と。

 こぼれ落ちた。


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