壱ノ十五、カラン、コロン
「……綺乃先生?」
怖気付いた声が震えている。およねだ。帰るに帰れず、困惑の面持ちで立ちつくしている。
綺乃は、はっと表情をやわらげた。およねの背中を優しく抱き寄せる。
「およねちゃん、ごめんなさいね。すごい雷でびっくりしたでしょう。うーんと……困ったわねえ。どうしましょ? 送ってあげたいのはやまやまなのだけれど、昼間から道場を空にするわけにはいかないし」
思案投げ首で逡巡する振りをしたあと、ぽんと手を打つ。
「そうだ、雨が止むまで指南所でお迎えを待っとく? そのうちひよ兄さまと一磨さまもお帰りになると思うわ」
「居てもいいの?」
およねが表情を輝かせる。綺乃はニッコリ笑った。片目をつぶってみせる。
「もちろんよ。一緒にお片づけ手伝ってくれるかしら?」
「はい!」
およねは大きくうなずいた。
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雷が鳴り始め、大粒の雨が降り出す。長屋の木戸は開けっ放しだが、住人は雷を怖がってか、誰一人として外に出てこようとしない。
「んもー! あの女狐め!! 我が
長屋の屋根の
「うぅっおでこ痛い……」
おこそ頭巾を脱ぐ。
ピンク色の長い結び髪がさらりと流れ落ちた。跳ねた前髪が、ぴこんと小角のように立ち上がる。
「一磨さまの御身は、このお蘭が不惜身命、必ずお守り申し上げまする! そしたらきっと一磨さまに褒めてもらえるに違いないのである! 『流石はお蘭! そなたこそ我らが
お蘭はぐぐうと拳を作る。
「まずは
鼻の下を
つるりと瓦に足を滑らせた。
「ふぎゃーーっ!」
そのまま井戸
「はぐっ!」
目から火花が散る。
雨が、ざああ、と音を立てて降りしきるなか。
カラン、コロン、と。ひそやかなぽっくりの足音が近づいた。傘で雨を遮る、ぱらぱらという音が覆いかぶさる。
いつの間に現れたものか。破れた傘を差した
気を失ったお蘭に、視線を落とす。
「寂しいのは、いや」
少女は、掠れた声でつぶやいた。
「一人ぼっちは、いや」
差し伸べた指先に、青白く揺らめく鬼火が灯る。
「捨てられるのは、絶対に、嫌」
まるで終わりかけの線香花火みたいに、ポタリと。
青い火の玉が落ちる。
お蘭は、パチリと目を開けた。跳ね起きる。
「い、今のは?」
一瞬の幻影が見えたような気がして、きょろきょろする。
周りには誰もいなかった。無意識に額に触れる。気のせいか、やけに冷たいものが落ちてきたような……
ふいに寒気が押し寄せてきた。
両手で自分を抱いて、ぶるぶると震い上がる。
「……寒っ!
身を折って盛大にくしゃみする。赤い組紐で結んだ髪の毛がピコンと横に跳ね上がった。
「さようしからばこれにてドロンでござりまするーーっ!」
その場で水たまりを蹴って、クルリと後ろ宙返り。姿を消す。
跳ねたしずくが、うっすらと青い鬼火を放った。
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