壱ノ十、柿渋、ベンガラ、豆腐メンタル


「ほら、一磨。元気を出して。あとで甘味屋さんにみつ豆ヨウカンでも食べに行きましょう。ね?」

「ううう相済まん。火傷した恋心には蘆薈アロエ味の寒天が良いと聞くしな」

 綺乃に咎められて完全に放心状態ながら、甘味と聞いて一磨は立ち直る。

「で、そのトンデモな読売と、恋町さんが連れていかれたことと、本当のところは何の関連があるって言うんです」

 欅のてっぺんで巣作り中のカラスが、挨拶がわりにひとつ鳴いた。


 ぶらぶらと朝早い路地を歩く。

 白壁の連なる掘割沿いを伝い、風流に吹かれる細柳の袂橋をひとつ渡れば、もう武家地ではない。

 九尺二間の裏長屋が軒を連ねているのを横目に見、恋町が留置されているという黒塚の番屋に向かう。


 ざらりと埃っぽいつむじ風が吹き抜ける。空は相変わらず湿っぽいが、街中はにぎやかだ。店前たなさきを馬子が通り、砂糖水売り、魚売り、豆腐売りに味噌売り、割れ鍋直しの声が響き、時に泥を蹴散らして走る子どもらに追い抜かれ、時に、巨大な竹細工の山をかついだ棒手振ぼてふりとすれ違う。

 大荷物に前が見えているのかいないのか。伸びの良い売り声をふいと止めて身を寄せた拍子に、棒手振ぼてふりはとんでもない音を立てて塀にぶつかった。

「おっと危ねえっ」

 笠をかぶった、やけに頭の大きい小僧が、手に持ったお盆に乗せた豆腐を今にも落としそうにぐらぐらさせている。

「あいたた、あいたた」

「坊主、大丈夫かい」

 紅葉印の豆腐を落とさせまいとして、荷物のざるがさらにがらがらとこぼれ落ちる。小僧は、あひい、と首をちぢこめた。

「あぶねえぞ、気をつけろい」

 一磨は気安く笑って押しとどめ、腰を屈めて、落ちたざるを拾ってやった。豆腐運びの小僧を振り返る。

「よそ見してガキに当てんじゃねえ……あれっいない」

「へい、気をつけやす、へいすいやせん、おっととこいつはどうも」

 頭を下げる棒手振ぼてふりの向こうにちらりと、派手なツツジ色の着物が垣間見えた。歩き出した拍子に、また別の誰かにぶつかったらしい。

「今の、豆腐小僧ですよ」

 兵之進は苦笑いして振り返った。

「何だそりゃ」

「豆腐を運ぶ小妖怪です。落とさせないように気をつけてやらないと」

「暴走して凶悪化するのか」

「すごく……オロオロします」

「豆腐メンタルかよ」


 どこぞの長屋からは、夫婦げんかでもしているのか、伝法にどなりつけるはすっぱな声が表にまで聞こえた。何やらがしゃん、ばきん、と盛大に物を投げ合っているらしい。半欠けの茶碗と骨の折れた傘が飛んできた。兵之進の鼻先をかすめ、穴の空いた板塀に深々と突き刺さる。

 折れた骨が足元に散った。


「おい、静かにしろい。犬も食わねえぞ」

 一磨が十手をひけらかし、奥まった路地に向かって表から怒鳴る。恐縮したあざだらけの顔が二つ並んだ。ぺこりと頭を下げる。

 兵之進は眼をまるくして傘を拾った。

「お内儀ないぎ。もしよろしければこの壊れた古傘を譲り受けたいのですが」

 さいふがわりの巾着を探り、埃ばかりをもじもじとつまみ出しながら言う。


 一磨が、もの言いたげなジト目で睨んだ。

「貴様、呑気に内職など励んでいる場合か」

 骨は折れ、傘紙も剥がれ、持ち手はささくれて割れている。それでもまだ傘は傘だ。

「だって修理すれば十分に使えるんですよ。ちょっと持ち手を修理してちょっと骨を全部継ぎ足してちょっと張り直してちょっと柿渋とベンガラでかっこよく染めれば実にいい感じに」

「ほぼほぼ新品ではないか」 

「気持ちの問題です。ほら、傘も喜んでます」

 貰った古骨を大事に胸元で抱えながら、兵之進はにこりと頰をゆるめた。


 人通りがふと絶えて、しんとなったところで。


「……恋町先生が、どこからを嗅ぎつけたのかは知らんが」

 一磨は眉間に皺を寄せた。ひそひそと声を落とし、渋っ面で怪異の読売りを握りつぶす。

 何が吹き出たのか、手元の紙から赤い埃がたなびくのが透けて見えた。


「本来は、あやかしどものことなど公にしてはならんはずだったのだ。俺たち役方の同心にゃ手が負えんというんで、全員、口裏を合わせて知らぬ存ぜぬを通せとのお達しだ。だから、こんな瓦版をばらまいて世を騒がしてもらっては困るのだ」

「一磨はわりと視えるほうだと思いますけど、大抵の人には見えませんからね。でも、まさか、お上が本気にしてるとは思いませんでした」

 兵之進は、無意識に古骨光月の刀柄つかへと手を置いた。

 刀へと目をやった一磨の表情が、なおいっそうけわしくなる。

「噂じゃ御先手おさきての弓組、鉄砲組に加え、ひそかに新たな鬼組とか何とか、そのような新組が秘密裏に作られていて、人知れずあやかし怪異の始末に当たってるらしい、何て物騒な話が流れてくるぐらいだ。もしそんなことが現実にあって、おぬしのとかいう刀のことや、九十九の口寄せやいろんなことを知られたら、ろくでもない疑いをかけられてしまいかねんからな」

 兵之進はのんきに笑う。

「お気遣いどうも。今のところは特に問題ありませんよ。それより一体、何が起こってるというんですか」

「絶対に口外せぬと誓うか」

「もちろん」

「ならば言おう。実はな……」


「かっずまっさまーーーーーーーーああああああああああ!!!!」

 はるか頭上から、半鐘を叩き鳴らすのにも似たけたたましい声が降ってきた。一磨が硬直する。

「ぁぁぁぁぁーーーーお命頂戴仕りまブッっっっっっっっコローーーっす!!!」


 頭上から降ってきたのは声だけではない。ピンクの──

 全身蛍光ピンクとおぼしき装束に、顔を隠したおこそ頭巾、ひらひらとめくれる白薄絹の湯文字ぱんつ──

 と同時に、無数のクナイ、手裏剣、撒菱まきびしのたぐいが車軸を流すがごとく降り注いだ。

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