第231話 …それ、何の話?
「お兄ちゃん♪お兄ちゃん♪」
「羽月…今日はいつにも増して甘えん坊さんだね?何かあった?」
平日のど真ん中となる水曜日。
この日も一日を無事に過ごすことができた高宮家。
家族での食事も、一日の汚れを清め、疲れを癒す風呂も終え…
後は、やることをして寝るだけ、という状態になっている。
涼羽もいつものように、趣味的に作っているプログラムを日々のやることの合間に少しずつ作り進めていっている。
今も、家の中で『こんなのがあったらいいな』と思いついたものを、自分なりに設計に起こし、試行錯誤をしながら定義していき、そうしてできた設計のもとに、実装を進めていっている。
その実装も、終盤の方に入ってきているため、もうすぐ実際に動かしながら検証ができる段階に入ることができる状態となっている。
今回は、自分だけでなく家族にも使ってもらえたら、という思いから、スマホでの使用を前提に設計を起こし、実装をしていっているところだ。
これが実際に動いて、父である翔羽や、妹である羽月に便利だと思って使ってもらえたら、と思うだけで、涼羽の顔に無邪気で嬉しそうな表情が浮かんでくる。
そして今、そんな涼羽の背中にべったりと抱きついて、いつもよりもさらに嬉しそうに、幼げに甘えている妹の羽月。
そんな妹を嬉しそうに見ながらも、何かあったのかな、と思いながら問いかけてみる。
「わたし、お兄ちゃんにこうしてられるだけです~っごく幸せだもん!だから、こうしたくなっちゃうの!」
「そう…そう言ってくれると、なんだか俺も嬉しいな」
「えへへ~♪」
「でも、羽月ももうすぐ高校生になるんだから、そろそろ…」
「や」
「…羽月…」
「お兄ちゃんはわたしだけのお兄ちゃんだもん。だから、わたしとお兄ちゃんがこうするのなんか、当たり前のことだし、これからもず~っと一緒だもん」
「…羽月…」
「わたし、お兄ちゃんのこと、世界で一番だあ~い好きなんだもん♪」
本当の母のように慈愛に満ちた優しい表情での兄の問いかけに、羽月は無邪気に答える。
とにかく兄である涼羽にこうしているだけで幸せだと言う妹に、涼羽は嬉しそうにしながらも、いつまでもこのままじゃいけないと、兄離れを促す言葉を発するが、その全てを言い切る前に、羽月は拒絶の言葉を発してくる。
そして、いつものようにその溢れんばかりの思いを兄である涼羽にぶつけて、とにかく自分がどれだけ涼羽のことが好きで好きでたまらないのかをアピールしてくる羽月。
そんな妹との、いつまでも平行線なやりとりに、涼羽は困ったような表情を浮かべずにはいられない。
「そもそもお兄ちゃんは、誰にでも愛されすぎるからだめなの!」
「え~…そんなこと…」
「あるもん!お兄ちゃん、自分がどれだけ他の人に愛されてるのか、ぜ~んぜん分かってないもん!」
「そ、そんなことないってば…」
「今じゃもう、道を歩いてるだけでいろんな人に声かけられて、可愛がられてるじゃない!」
「!あ、あれは違うってば…」
「それだけじゃなくて、小さい子供とかも、いきなりお兄ちゃんに甘えてきたりするし…」
「そ、そのくらい別に…」
「おまけに女の子だけじゃなくて、男の子にまで気がついたら告白されてるし!」
「!そ、そんなの知らないよ…」
「だからいつもいつもお兄ちゃんが誰かにとられちゃいそうで、心配で心配でたまんないんだから!」
最近の涼羽は、その誰の目をも惹いてしまう美少女な容姿だけでなく、その人柄も滲み出ているのか…
普通に道を歩いているだけで、誰かに声をかけられる状態となっている。
声をかけた側は、その時の涼羽との他愛もない、一時のやりとりだけで本当にその心が癒されるかのような感覚を覚えてしまい、それをまた感じたくて自分から涼羽に会いに行こうとしてしまう。
しかも、それが町中に口コミで急速に広がっていっているため、もう本当に町のアイドル的な存在に、涼羽はなってしまっている。
おまけに、甘えたい盛りの幼い子供にも絶大な人気を誇っており、秋月保育園で普段から涼羽と接している子供はもちろんのこと、そうでない子供も初対面であるにも関わらず、いきなり涼羽にべったりと抱きついて甘えてくる始末。
もちろん、涼羽がそんな子供を拒絶するはずもなく、逆に優しい笑顔で優しく包み込んでしまうため、その時の子供が文字通り、涼羽に心を奪われてしまい、もっともっととなってしまったり、また涼羽に会いたくて親の目を盗んで自力で涼羽に会いにいったりする子供までいるほど。
さらには、涼羽のことを男子だと知っている、同じ学校の女子が涼羽に告白してくることも少しずつ増えてきている。
それだけならまだしも、涼羽のことを見たままの美少女だと思っている女子や男子まで告白してきたり、涼羽のことを男子だと知っていながらそれでもいいと告白してくる男子まで出てきているほど。
恋愛に関しては本当に無垢で無知だという状態の涼羽が、そんな告白をされてもいまいちピンとくるはずもなく、告白してくる相手の『好きです!』という言葉に対して、まるで幼い子供にそう言われて喜ぶ母親のような感覚で、『そうなんですか…ありがとうございます』なんて反応を返すものの、それが告白してきた相手にしては、まるで自分に脈がない、ということを突きつけられているのを嫌でも感じてしまう。
それゆえに、今のところ涼羽は誰とも恋愛関係になることもなく、特定の相手がいない状態を保つことができている。
もちろん、それは美鈴や愛理に対しても同じことであり、この二人はとにかく涼羽のそんな感覚を超えて、涼羽の特別になろうと水面下で懸命な努力を続けている。
そんな兄の日常を、妹である羽月は常に気にするようになっており、そういうことを知らないはずもなく、いつこの兄が誰かにとられてしまうのか、気が気でならない状態となっている。
以前よりも遥かに、日に日に人に愛される存在となっている兄であるがゆえに、妹である自分が独り占めしたいという想いも、日に日にその強さを増していっている。
「それに…お兄ちゃんったら、病院でも変な女の人に言い寄られてるんでしょ?」
羽月も涼羽と同じように、明洋が入院している病院に行って、明洋の見舞いをしているため、その可愛らしい容姿のこともあって、院内の入院患者に非常に人気が有る。
涼羽ほど人の心をほうっとさせるやりとりはできないものの、無邪気で幼げなところが、非常に可愛らしいのか、常に羽月はそこの入院患者に可愛がられたりしている。
その自分を可愛がってくれる人達から、涼羽が変な女の人に言い寄られていることを、羽月は聞いている。
だからこそ、そのことも心配で、涼羽にそのことを問いかけてみたのだ。
だが、その問いかけに対する涼羽の反応は、妹の羽月が普段から知っている涼羽のものとは、何かかけ離れたものとなっていた。
「…それ、何の話?」
「え?だって…」
「何かの間違いじゃない?俺、そんな変な女の人に声かけられたことなんか、ないよ?」
「お兄ちゃん?…」
表情や口調こそ、いつもと変わりないものの、どこか以前の能面じみた、怜悧冷徹な、無感動無感情な…
まるで人形のような、そんな涼羽。
そんな兄を見て、羽月は何か言いようのない怖さまで感じてしまう。
「…そう…何もないよ…」
「お兄ちゃん…」
普段からずっと、兄の一番そばで兄の一挙手一投足を見ていた羽月だからこそ、普段とのささいな違いに気づくことができたと言える。
何があっても、妹である自分のことをそでにすることなどない、と断言できる兄、涼羽であるのだが…
もし、これを自分に向けられていたら、と思うと、自分はこの先生きてはいけないと断言できるような事態になっていただろう。
あの誰にでも優しい、包容力の塊のような兄が、ここまで人を拒絶する姿。
一体、何があったんだろうと、羽月は思ってしまう。
そして、どこの馬の骨とも分からない女の人に、最愛の兄が奪われてしまうことなど、何があってもあってはならないといい切れてしまうものの…
だからといって、ここまで人を拒絶する、怜悧冷徹な兄を見たくなどない、という複雑な思いが、羽月の中で生まれてくる。
羽月は、そんな矛盾した複雑な思いを抱きながらも、この優しい兄がこんな人形のような冷たい兄になってほしくないと願い、ただただ、その冷え切っているかのような心を癒す思いで、ぎゅうっと、兄のその小さく華奢な背中に抱きついてしまうので、あった。
――――
「な…なんなのよ…本当に…」
同刻、病院の中の病室のうちの一つ。
自分以外の人間との同室を許容できない彼女がいる個室。
千茅は、自分の許容を超える何かを見てしまったかのような恐怖感さえ覚え、もはやどうしていいのか分からない、と言わんばかりに声を漏らしてしまう。
今日も、明洋の見舞いに来ていた涼羽に対し、声をかけてとにかく自分のものにしようとしたのだが…
その涼羽の自分に対する態度が、それまでとはまるで違うものとなっていたことに、驚きと戸惑いを隠せずにいる。
――――…誰ですか?…僕はあなたなんて、知りませんよ?…――――
嫌いだと言いながらも、自分という人間をちゃんと認識してくれていたそれまでと違い、涼羽はまるで鳴宮 千茅という人間のことを最初から知らないと言わんばかりの、素っ気無いを通り越して背筋が凍ってしまいそうなほどの怜悧冷徹さを感じさせるものとなっていた。
そんな態度を見せる涼羽に、パニックになりながらも声をかけていこうとするものの、涼羽はその態度を頑なに崩すことはなく、結局この日はそのまま、涼羽は何事もなかったかのように千茅に背を向けて、後ろから必死に届けられる千茅の声にまるで反応することなく、立ち去っていったのだ。
恐れていたことが、現実になってしまった。
まるで自分に対して興味も関心もなく、路傍の石ころを見つめるかのような涼羽のその無関心さに、一体なぜ涼羽が自分に対してここまで無関心になってしまっているのかを考えるものの、常に自分は悪くないという思いに凝り固まっている千茅が自身でその原因にたどり着くことなど、できるはずもないのは明白であった。
「な、なんで?…私、あの子に何したの?…あの子があそこまでの態度になるようなこと、私、した?…」
そして、あくまで自分が涼羽に対して何かをしてしまったと思い込んでおり、一向にその原因にたどり着く様子の見られない、そんな千茅。
実はこの日、涼羽は千茅が明洋に対して、自分の見ていないところで当人でない自分ですらも聞いていて我慢が出来なくなってしまうほどの罵詈雑言の嵐を浴びせていたのを、たまたま目撃してしまった。
ここ最近、自分のことを可愛がって、自分とお話をしたがって声をかけてくれる中年女性の入院患者達から、千茅が明洋に対してそんなことをしている、ということを聞かされてはいたのだが…
やはり実際に自分の目で見ていないこともあり、いくら自分が嫌いな人間と言っても、無闇に疑うようなことはしたくないという思いから、せめてそんなことはしない人間であろうと、千茅のことを信じようとしていたのだ。
しかし、今日この日、涼羽はその光景を他でもない、自分の目で見てしまった。
涼羽自身が最も嫌う、自分によくしてくれる人間を、まるで自分の目を盗んで卑下するような行為。
その行為を千茅がしているのを見てしまったその瞬間から、涼羽は鳴宮 千茅という人間を自分の認識から除外してしまった。
ただ怒って、しかしそれを自分の中に溜め込んでしまうわけでもない。
激しく憤って、千茅にそれをぶつけてしまうわけでもない。
もう、ただただ千茅を自分の中からばっさりと切り捨ててしまった。
その激しい苛立ちをぶつけることにやっきになっていた千茅が、その場を涼羽に見られてしまっていたことに気づくこともなく、延々と自分の気のすむまで、明洋のことを言葉と言う名の刃で切り刻んでいたのだ。
千茅には、自分とは真逆で正反対となる涼羽の本質を理解することなどできず、そのことが涼羽の琴線に触れてしまったことになど、思い当たるはずもない。
「なんで…なんでよお…」
まるで本当に母親に捨てられてしまったかのような、どうしようもないほどの孤独感に襲われてしまい、普段の千茅なら見せるはずもない弱音と涙が出てくる。
涼羽が本当に自分に対して怒っていることは分かるのだが、どうして怒っているのかが、いくら考えても分からない。
それが余計に、千茅の心にダメージを与えてしまう。
しかし、もはや千茅の本質が変わらないことには、状況は動かないのは火を見るよりも明らか。
もちろん、涼羽からすれば千茅は自分に近しい人間にとって害以外の何者でもないと判断したからこそ、自分の中から千茅を切り捨てた。
ゆえに、今のままでは平行線のままとなってしまう。
どうしようもないほどの心の痛手を抱え、しかし強く根付いてしまったその心を変えられず、その矛盾に苦しみながら、その日はただただ、涙を流し続けることしかできない千茅で、あった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます