第220話 に、逃げて!逃げてください!

「なあなあお嬢ちゃん。そんなブタとおしゃべりするよりも、俺らと楽しいことしようぜ?」


「な?いいだろ?」




静かで心穏やかになれる、町でも自慢の緑多き公園の中。


そこで、本当にその自然と静けさの中に浸りながら、とても穏やかな時間を過ごしていた涼羽とストーカー男。


そんな二人の、特にストーカー男にとっては人生でまたとないといいきれるほどの貴重で尊い時間を台無しにしてしまう無粋な輩達。




志郎曰く、獣並の脳みそなチンピラ達が、これでもかと言うほどの美少女な姿の涼羽に、ニヤニヤと下卑た笑いを浮かべながら、ストーカー男に侮蔑の言葉を浴びせつつも誘いの言葉をかける。




最も、一応問いかけの言葉にはなっているものの、嫌とは言わせない、と言わんばかりのオーラが駄々漏れになってしまってはいるのだが。




そんな二人の言葉に、涼羽は微塵も動く様子を見せることなく、ただただ、普段の温厚な性格から考えれば非常に珍しいと言えるほどに、不機嫌で嫌悪感に満ち溢れた表情を浮かべてしまっている。




「嫌です」


「はあ?」


「あ?お、お嬢ちゃん、今なんつった?」


「嫌だって、言ったんです」




少々強面で、それなりに鍛えているため筋肉質でガタイもいいチンピラに対し、まるで臆する様子も見せることなく、ばっさりと一言で切って捨てる涼羽。


そんな涼羽の言葉に、一体何を言っているのか、まるで分からないと言わんばかりに間の抜けた表情で思わず聞き返してしまうチンピラ達。




普段の涼羽から考えると、かなり怒っていることが目に見えて分かる、そんな表情を浮かべてはいるのだが…


そんな顔もやはり可愛らしさの方が勝ってしまっていることに、肝心の涼羽自身は微塵も気づくことはない。




「おいおい…お嬢ちゃん、えらく強気なのもいいけどよ…」


「あんま俺達を怒らせない方が、身のためだぜ?」




相手が幼げな顔立ちの美少女であるため、チンピラ達もまだ余裕のある表情で言葉を返すのだが…


その言葉がすでに脅しも含まれてきていることに、すぐそばでそのやりとりを見ているストーカー男はまるでいつ爆発するか分からない爆弾のそばにいるようで、気が気でない状態となっている。




しかし、チンピラ達のそんな言葉にも、涼羽はまるで臆する素振りも見せず…


むしろ、ますます反発の姿勢をとってしまう。




「人のことを無闇やたらに悪く言うような人達と行くところなんかないです」


「!な、なにい!?」


「私は、この人と楽しくお話をしていたのに…それを邪魔してきたのは、あなた達じゃないですか」


「!なんだとお!?」


「しかも、何にも知らないでこの人のことを家畜呼ばわりするなんて…そんな人達に付いていったって、楽しいことなんか何一つないです」


「てめえ!このガキがあ!」


「人が下手に出てりゃあ、つけあがりやがってえ!」




普段の涼羽を知っている者が見れば、まるで別人のように思えるほどケンカ腰になって、チンピラ達に向き合っている涼羽。


涼羽からすれば、せっかくこのストーカー男が自分と似たような人間で、色々話も合いそうで、楽しくなりそうだったところを邪魔されたことも腹立たしいのだが、そのストーカー男がこれでもかと言うほどに侮蔑の言葉を浴びせられていたことが、何よりも腹立たしく思えてしまっていたのだ。




ましてや、そんなことをしている相手がまるでそれを悪びれもせず、むしろ自分達が正義だと言わんばかりに当然のような振る舞いで行なっていたことが、余計に涼羽の琴線に触れることとなっている。




そんな涼羽の胸にべったりと抱きついている羽月も、ここまで怒りを露にしている兄を見ることは初めてと言ってもいいくらいで、内心非常に驚いている。


そのそばにいるストーカー男も、まさか涼羽がここまで自分のために怒ってくれるなんて…


しかも、自分と話すのが楽しいとまで言ってくれるなんて…


そんな涼羽を見ていると、今にもチンピラ達に暴力をふるわれそうになっている涼羽を護らないと、という思いが、その劣等感と恐怖を押しのけて沸きあがって来る。




チンピラ達は、全く自分達が下手に出ておらず、それどころか上から目線で弱いものいじめに浸ろうとしていたにも関わらず、その沸点の低さをあからさまにするかのように簡単に怒りの声を涼羽に向けてぶつけてくる。




「ちょっと可愛いからって、お高くとまってんじゃねえぞ!!コラア!!」




そして、その拳と言う名の凶器が、ついに涼羽に向かってくる。


相手が見た目幼げな美少女であるにも関わらず、簡単に手が出てしまう辺りにも、このチンピラ達の外道さが露になってしまっている。




向かってくる拳に対して、涼羽は全く目を逸らすこともなく、微動だにしない状態でいる。


そして、その拳にその手を出そうとした、まさにその時だった。




「!!ぐ、ひっ!!……」




突然、涼羽の目の前を大きな影が立ちふさがり、その拳をもろに食らってしまったのは。


瞬間、情けなさに満ち溢れた声が、その場に響き渡る。




「!あ……」


「あ!?」


「なんだこいつ、いっちょまえに身体張って女護ろうとしてんのか?」




チンピラの拳をまともにその顔にもらってしまい、まるで火が顔についてしまっているかのような激痛に襲われているのは、こんな荒事とはまるで無縁だったはずのストーカー男だった。




自分をかばって殴られたストーカー男を見て、涼羽は驚きの表情を隠せないでいる。


自分が殴ったストーカー男を見て、チンピラは汚いものに触れてしまったとでも言わんばかりにその拳を自らの服で乱暴に吹いてしまう。


もう一人のチンピラは、そんなストーカー男に対して失笑を漏らしてしまっている。




「だ、大丈夫ですか!?」




自分の代わりに殴られることとなってしまったストーカー男が心配で、涼羽は慌ててストーカー男の前に出ようとする。


しかし、ストーカー男はそんな涼羽を護ろうと、その身を挺してかばうように、チンピラ達の前に立ちふさがる。




痛い。


怖い。


逃げ出したい。




そんな思いが胸中を駆け巡っているにも関わらず、その身体はまるで足元から根が生えたかのようにどっしりと不動の姿勢を貫いている。




痛いのは嫌だ。


怖いのは嫌だ。








でも、今自分の背中にいるこの子が、このチンピラ達に襲われるのは、もっと嫌だ。








こんな自分のことを、とても優しい笑顔で受け入れてくれたこの子が傷つくのは…


こんな自分との会話なんかを、本当に楽しそうにしてくれたこの子が襲われるのは…




自分が痛い目にあうよりも、怖い目にあうよりも、ずっと嫌だ。




今この時まで、決して感じることのなかった、その純粋な思い。


自分のことよりも、誰かを思うその気持ち。




それが、恐怖に怖気づきそうになるストーカー男の身体を支えてくれる。


それが、逃げ出しそうになるストーカー男の身体をその場に留め、奮い立たせてくれる。




「面白え…てめえがそのアマの代わりにサンドバッグになるってんだな」


「だったら上等だ…家畜ごときがそんな思いあがったことするとどうなるか、その身体に思い知らせてやるよ!」




そんなストーカー男を、自分達の暴力の向け先にしようと下卑た笑いを見せるチンピラ達。


サンドバッグにする気満々で、その拳を鳴らして、あくまで涼羽の前に立って、涼羽を護ろうとするストーカー男に殴りかかっていく。




「!ぐ…!ふ…」


「に、逃げて!逃げてください!」




チンピラ達の拳、蹴りが嵐のようにストーカー男に襲いかかる。


その一撃一撃をくらうごとに、ストーカー男から苦悶の声が漏れ出てしまう。




そんなストーカー男を見ていられなくて、涼羽は逃げてと、叫ぶように懇願する。


しかし、そんな涼羽の言葉に従うどころか、絶対に涼羽は殴らせないと言わんばかりにその背中に覆い隠して、自分の逃げ場を断つようにしてしまう。




「ヒヒヒ!!なんだこいつ、ただ黙って殴られてるだけじゃねえか!」


「ヒャハハ!!こいつあ、ちょうどいいサンドバッグだな!!」




そんな、あまりにも健気なストーカー男の姿を見ると、ますますいいおもちゃを見つけたと言わんばかりに攻撃の手数を増やしてくるチンピラ達。


まるで、ストーカー男を自分達のストレスのはけ口にしてしまおうと言わんばかりに。




「あ…ぐ…」




もうその顔は原型をとどめられないほどに腫れ上がり、身体の方も痛々しいほどの青あざが至るところに浮き上がってしまっている。


その意識ももう少しで失ってしまいそうなほどにダメージを受けてしまっている。




にも関わらず、今自分が立っている場所から、ストーカー男は一歩たりとも動こうとせず、どれほどに殴られても決して倒れようともしない。


殴られても無理に踏ん張っていることもあり、すでにその体重を支える膝は限界を超えてしまっている。


だが、それでも涼羽を護ろうとする、その強い思いが、ストーカー男を支えている。




「お願いだから!お願いだから逃げてください!」




そんなストーカー男を見ていられなくて、涼羽は必死で自分を護ってその前に立ちふさがっているストーカー男に声を振り絞って、懇願の声をあげ続ける。


殴られたところからの出血も目立ってきており、すでにストーカー男の着ている服におびただしいほどの血がついてしまっている。




だが、それでもストーカー男は決してその場から逃げ出そうとせず、うつろな目になりながら、それでも涼羽と護ろうと、自らを盾にしてチンピラ達の攻撃を受け続けている。




「チッ…いつまで殴れば倒れんだこのブタ!!」


「サンドバッグが調子コイてんじゃねえぞコラァ!!」




さすがに殴りつかれてきたのか、チンピラ達の息もあがり始めてきている。


それがまた、根性くらべで目の前のストーカー男に負けているような感じがして、なおさら力づくで殴り倒したくなっているようだ。




「…………」




…だめだ…


…ぼくが…ぼくがたおれたら…


…ぼくがたおれたら…このこたちが…こいつらに…おそわれちゃう…


…ぼくが…このこたちを…まもら…ないと…




朦朧とする意識の中、その一心だけが今にも落ちそうな意識をつなぎとめている。


何が何でも、こんな自分に幸せを与えてくれた存在を護り抜く。


その思い一つで、ストーカー男は不動の姿勢を崩さず、嵐のように自分の身体を打つ攻撃に耐え続ける。




「いい加減倒れやがれこのクソブタが!!」


「家畜が人間様に逆らってんじゃねえっての!!」




まるで自分達の攻撃が効いていないかのような目の前の男に苛立ちを隠せず、チンピラ達はとうとう、ストーカー男の笑いっぱなしの膝を壊す勢いで攻撃してしまう。




「!!………」




もはや倒れてしまうには十分なダメージだったにも関わらず、ストーカー男はその脳髄を直接かき回されるかのような激痛にさえ、耐えようとする。


しかし、気持ちに反して身体はもうとっくに限界を超えていたため…


ついに、不動の姿勢を貫き続けてきたストーカー男の身体が、地面に崩れ落ちてしまう。




「あ………」




そんなストーカー男に涼羽は懸命に手を差し伸べようとするも、その甲斐もなく、ストーカー男はとうとうその意識を失い、その身体を地面に大きく横たわらせてしまう。




傷だらけで、出血もひどく、顔中腫れ上がっていて、もはやその原型を留めていられない状態となってしまっている。


その重い身体を支えていた膝が、変な方向に曲がってしまっており、下手をすれば今後一生歩けなくなってしまうかも知れないほどの重症になってしまっている。


無理に殴られる力に耐えようとしていたのも、より膝を悪化させる要因となってしまっている。




ここまでの状態になりながらも、懸命に、健気に、ただただひたすら涼羽と羽月の二人を護るためだけに、チンピラ達の無慈悲で外道な暴力に耐え続けたストーカー男。




「はあ…はあ……けっ、家畜のくせに生意気な真似しやがって!!」


「ひい…ふう……クソブタはそうやって地べた這いずり回ってんのが似合いなんだよ!!」




そんなストーカー男に、チンピラ達は容赦なく侮蔑の言葉をぶつけてくる。


ここまで自分達の攻撃に耐え続けられたのも、よほどこのチンピラ達の琴線に触れてしまっているようで、その苛立ちを隠そうともしていない。




そして、さらに追い討ちをかけるように、地面にその身体を横倒しにして、意識を失っているストーカー男に、まるでゴミをふんづけるかのようにその足で踏みつけてくる。




「!!………」




今日こうして、初めて会話をして、なんだかとてもいい友達になれそうな…


こんな自分のことを、ここまで身を挺して護りぬいてくれた恩人とも言える存在を、虫けらのように扱うチンピラ達に、涼羽の心の中で激しく沸き上がる怒りが、そのまま顔に浮かんできてしまっている。




そして、まるで相手を射抜くかのような、かつての研ぎ澄まされた真剣のような凄みを持った視線が、その先にいるチンピラ達に向けられることとなる。




「ああ?なんだお嬢ちゃん、そのツラあ?」


「てめえにゃあ、俺たちの慰み者になるっつー役目があんだからよ?」


「だからせいぜい、俺らのご機嫌取りに徹して、もっと可愛げのあるツラしとけよ?」


「もっとも、そんな顔したって、てめえは思う存分嬲ってやんだけどよ!!」




まさに自分の身体を射抜かれるかのようなその凄みに、一瞬ぞくりと悪寒が走るものの、チンピラ達は涼羽に向き直って、どこまでも下卑た台詞を吐き捨てるかのように涼羽に叩きつけてくる。




サンドバッグ代わりとなったストーカー男の方はこれで終わりにして、次は涼羽を自分達の慰み者にしようと、ゆっくりと涼羽の方へと迫ってくる。




「……羽月、俺から離れてて」


「え?……お、お兄ちゃん?……」


「ほら、早く」




自分のことを手篭めにしようと、じっくりと歩み寄ってくるチンピラ達から目を離さず、涼羽は自分にべったりと抱きついたままの羽月に、静かに自分から離れるように言いつける。


そんな兄の言葉に、羽月は戸惑いを隠せないでいるが、涼羽はそんな妹に構わず、早く離れるように促す。




今まで、見たこともないほどの怒りを露にしている兄に、羽月はもはや何も言えず、無言で涼羽の後ろの方へと逃げるように走っていく。




「ほお?ちびっこだけどこいつそっくりの美少女じゃねえか」


「へへ、安心しろよ。てめえを嬲ってやったら、その次はあのちびっこも手篭めにしてやるよ」


「ひゃははは!姉妹丼ってやつか!?これ!?」


「違えねえ!!はははははは!!」




自分達から遠ざかっていく羽月の容姿が目に入り、もう目前にいる涼羽とそっくりの美少女だということが分かると、チンピラ達は羽月もその手にかけてやると決め、下卑た笑いと共にその言葉を涼羽の方へと叩きつけてくる。




その一言が、まさに涼羽の逆鱗に触れることとなってしまう。




目の前の美少女な容姿をした少年が、かつて自分達にこの世のものとは思えないほどの恐怖の象徴となった志郎に勝った人物だと知っていたら、ここまで涼羽のことを怒らせるような真似はしなかっただろうが…


もはや取り返しのつかないところまできていることに気づくことなく、チンピラ達は、涼羽のことをどう嬲ってやろうか、などと思い浮かべながら、鬼神のような激しい怒りを燃やしている涼羽のところへと、じわじわと近づいていくので、あった。

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