第168話 どうしよう…どうすれば…

「あ~~~~…どうしよ…」




世間的には休日となる土曜も夕方を過ぎようとしている頃。


通りすがる人という人達が、その憩いの日となるこの土曜を楽しそうに満喫している中、一人の青年が、まるでこの世の不幸を全て背負っているかのような、沈んだ表情を浮かべながら、とぼとぼとした足取りで、歩いている。




位置的には、涼羽達が合コンの場としているカラオケボックスから、歩いて十数分程度の場所であり、周辺には特に物珍しいものがあるわけでもない、至って普通の通り。


たまにすれ違う人や車など、まるで気にする余裕もないようで、ただただ、自分が抱えている悩みに対して、どうすることもできないと知りながらも、どうにかしなければと、ただひたすら出ない答えを求めて、この町を彷徨っている。




「…まさか、こんなタイミングでこんなことになるなんて…」




ただ一人ぶつぶつと言いながら、悩み続けているその青年…


それまで、長い年月を共にしているということが分かる、色落ちやへたりを隠せない、よれよれの薄い青のジャケットに、同じくよれよれの真っ白のパーカー、そして裾の方がほつれてみすぼらしくなってしまっている、薄い青のジーンズに身を包んでいる。




そして、それがその青年のステータスを象徴するかのように、胸元にぶら下がっている、本格仕様の一眼のカメラ。




髪型も、その服装と同じようによれよれとした、だらしのない感じの、黒に近い茶髪。


肩の辺りまで無造作に伸びているのが、余計にそのだらしなさを強調してしまっている。




身長は170cm半ばほどで、それほど高くもなく、低くもなく、といった感じ。


顔立ちは、その服装と髪型のだらしなさと比べると、意外にも整ってはいる。


ただ、せっかくの形のいい輪郭を台無しにするかのように、口の周りを覆っている無精ひげ。


それが、この青年の容姿にだらしなさと清潔感のなさを強調させてしまっている。




「…今から、代わりなんて探せるだろうか…」




ただ、この青年、こんな容姿とは裏腹に、実は売れっ子のカメラマンである。


気弱な性格で、何をやってもだめなのだが、ことカメラにおいては、他と一線を画すほどの才能を見せている。


撮影したもののよさを最大限に引き出せる、と言われるほどの独特の撮影法を、自らの努力で独学で編み出しており、その磨き上げた腕で撮影した写真を、画像投稿系のSNSにアップしては、人々の反応を確かめたりしていた。


そこで、たまたまその彼の写真を見ることとなった大手の写真館が、まるでダイヤの原石を見つけたかのような喜びを露にしながら、彼に直接コンタクトを取り、スカウトするまでに至ったのだ。




それから、彼の写真家としての人生が始まるのだが…




そんな彼が、今現在、その写真家として最大と言えるほどの窮地に、立たされることとなってしまっている。




「…ああ…ほんとにどうしよう…」




今もこうして、非情と言える現実に悩み苦しむこの青年、名前は寺崎 光仁(てらさき こうじ)。


当年とって二十九歳となる、社会に出てからずっとカメラ一本で生活している、冴えない青年である。




その光仁がここまで苦悩することとなった理由…


それは、今受けている案件が要因となっている。




すでに写真家として名を馳せている存在である彼には、決して客足が途絶えることなく、次々と写真に関する依頼が持ち込まれる。


今受けている案件もその一つであり、それを依頼してきた企業にとっては、今後の成功を左右するほどの重要な依頼となっている。




それは、冠婚葬祭というジャンルにおいて国内でも有数といわれるその企業の、ブライダルキャンペーンのポスターに使用する写真の撮影だ。




現在ライバルとして競い合っている企業の一つが、大々的なキャンペーンを開始するということを知り、それに対抗するかのように、大きなキャンペーンのプランを打ち立ててきたのだ。


そして、そのキャンペーンを成功させるには、やはり誰の目をも惹くであろう、その看板。


それが絶対に必要となる、と、この企画の担当となるチーム、そして上層部も同じ認識を持っている。




この企業は、彼が駆け出しの頃から様々な写真の依頼を出しており、しかもそれで数々の企画を成功に導いてもらっている。


そのため、今回のこの企画を成功させるのも、彼の力なくしてはありえない、と、これまた社内の総意となっている。




彼の仕事のやり方として、依頼を受けてから自分の撮影イメージを徹底的に練りあげて、その上でそのイメージにあったモデルを要求する、というのがある。


そして、そのモデルというのは、必ずしもプロのモデルや芸能人を使うわけではなく、あくまで撮影者である彼のイメージに合った人物を使う、というものなのだ。




そのため、そのモデルが決まってからも、撮影対象となるモデルとしっかりと意思の疎通をし、自分のイメージをしっかりと言葉でも、身振り手振りでも伝え、そのイメージにぴたりと合うまでひたすらに撮影を続けるというもの。


ゆえに、撮影者本人である彼のみならず、撮影に関わる人間全てが、非常に一体感を持って、真剣にその撮影に取り組む必要があり、それが叶わない者は、容赦なく追い出される、という…


まさに真剣白刃の現場となっている。




最初の頃はそんな彼の手法に、依頼した企業はもちろん、実際の窓口となっている写真館も疑問を隠せなかったのだが…


その撮影で、本当に確かな、これ以上はないであろう、と言えるほどの出来となるのだ。


そして、それが文字通り結果となって、その企画を成功に導く。




ゆえに、以降は彼のそんな手法を非常に尊重し、絶対に彼のペースを乱さないようにと、周囲全てが彼を最優先で扱うようになっている。




だが、そんな彼にとってはまさに最悪のパターンとなる現実が、現れてしまった。




彼自ら選んだモデル…


それも、新郎役と新婦役の二人共が、同時に事故で大怪我を負ってしまい、長期間の絶対安静を言い渡されてしまう、という、とんでもない事態に、直面することとなってしまったのだ。




彼の手法上、当然ながらこのモデル達共綿密に意思の疎通を図り、しっかりと自分のイメージを伝えてきた。


そして、ここまでで十分に時間をかけ、今回も自分の思い描いた写真が完成する、まさにその直前の出来事となってしまった。


依頼をしてきた企業側も、事態が事態なだけにこればかりはどうしようもない、と、表面上では見せているのだが…


わざわざライバル企業のキャンペーンの開始時期に合わせて、この企画を無理を押して通してきたのだ。


この企画の中心となる人間は、これが始まってからはろくに自宅に帰ることもできないほどの多忙を極めている。


それほどに、この企画は成功させねばならない、という確固たる意思が、この企業全てから嫌と言うほどに感じ取れるものとなっている。




にも関わらず、半ば自分のわがままとも言える撮影に、本当に少しもぶれることなく沿ってきてもらってきた。


それゆえに、ただでさえ無理をしているであろう周囲に余計に負担をかけているというのを、彼自身痛いほどに痛感しているのだ。


それでなくても、いつもいつもお世話になっている、大切なお客様である。


だからこそ、どうにか目前となっている納期に、何が何でも間に合わせたい。


このままでは、最悪企画倒れさえしてしまう可能性すらある。




だが、今から代役となるモデルを探しても、また一から自分の練ったイメージのすり合わせからとなってしまうし、それではどう考えても間に合わなくなってしまう。


なら、その辺を妥協してでも、納期に間に合わせるか。


一企業の社運をかけた企画で、そんな半端なものを出せば、絶対に成功の二文字を掴めない。


それを、彼自身分かっているからこそ、そんな妥協案を取ることもできない。




まさに、八方塞がりの状態なのだ。




「どうしよう…どうすれば…」




それでも、とにかく自分のイメージに合う代役を探すしかない…


そう思い、自分の内臓を締め付けるような重圧に精神をすり減らされながらも、光仁は希望を求めて、ただひたすら、彷徨い続けるかのように、足を進めていった。








――――








「本当にお前は、誰にでも愛されるなほんと。あいつらみんな、お前の連絡先もらえて幸せそうな顔してたし」


「そ、そんなことないってば…それに、そういう志郎だって、連絡先交換したらみんな喜んでたじゃない」




非常に和気藹々とした、いい意味でそう呼べないであろう合コンも終わり、その場にいた全員で連絡先の交換をした後、この日の楽しさを反芻するかのような笑顔で解散、となった。




また、すでに次回の企画も持ち上がっており、涼羽と志郎を除く全員が、それに非常に乗り気となっている。


涼羽は普段から非常に忙しいこともあり、今回のように参加できるかどうかが怪しいというのがある。


そして志郎も、今となっては孤児院の手伝い、そして経営に関する勉強、そして様々な自己啓発などと、非常にやることが増えており、またこのように参加できるかといえば、微妙な状態だ。




涼羽と志郎が、それぞれの状況と今後のことをその場にいたみんなに伝えると、ええー、と、非常に残念そうな声をあげていた。


それでも、今回のことで涼羽と志郎はよほどみんなに気に入られてしまったのか、絶対、また一緒に遊ぼうと、言い切られてしまった。




そうして、全員が全員、それぞれの帰路へと、足を進めていった。




途中まで方向が同じである涼羽と志郎は、みんなと別れた後もこうして、それぞれの帰るべき家へと向かいながらも、こうして気軽に会話しながら、その足を進めている。




そんな涼羽と志郎の後姿を、たまたま二人の近くまで歩いてきていた光仁が見かけることとなる。




「!!…………」




その瞬間、まるで稲妻が自分めがけて落ちてきたかのような衝撃を受ける。


それと同時に、これまで絶望的な心境に陥っていた自分の心が、まさに死中に活を見出したかのような希望が芽生えてくる。




見れば見るほど、自分が思い描いているイメージと一致する。


見れば見るほど、自分が今回のテーマにおいて、求めているモデルであると、確信を持ててしまう。




まさに天が、自分に授けてくれた、正真正銘最後のチャンスだと、光仁は思えてならなくなってしまう。


そして、そう思えた瞬間、今この時を逃せば、もうチャンスはなくなってしまうと、確信を持ててしまう。




そう感じた光仁の、そこからの行動は早かった。




「す、すいません!!……」




首から下げたカメラを大きく左右に揺らしながらも懸命に前を歩く二人の下へと走っていく光仁。


そして、走りながらも決して逃すことのないよう、今の自分に出せる、最も大きな声で、前の二人を呼び止める。




「ん?」


「え?」




まさに天に願いを捧げるかのような必死さが篭った光仁の呼び声。


それが二人の耳に届き、自分が呼ばれたのかと思って、一斉に光仁の方へと振り向いてくる。




自分達に向かって懸命に走って近づいてくる、冴えない風貌の人物に一瞬ぎょっとしながらも、その場を動かず、その人物が自分達のそばへ来るまで、じっと待つことにする涼羽と志郎。




「な、なんだあ?……」


「さ、さあ……」




涼羽も志郎も、いきなりの出来事に戸惑いを隠せずにいる。


涼羽の方はともかく、志郎の方はこのまま無視してしまってもいいのではないか、とさえ思っている。


が、結局はそれはできなかった。








――――なぜなら、その人物の必死さは、かつて孤児院を救い、さらには自分を懸命に育て上げようとしてくれている孤児院の院長、そしてその孤児院を救ってくれた秋月 祥吾が持っているものと全く同じように感じられたから――――








涼羽自身も、かつて祥吾に呼び止められて、懸命に保育園を護ろうとするその必死さと熱い思いに心打たれて、秋月保育園のアルバイトを始めた、という経緯があり、それが目の前まで迫っている人物の必死さが、そのかつての祥吾と同じものだと敏感に感じ取っている。




だからこそ、涼羽も志郎もその人物から目を離すことなく、じっとその場で待ち続けたのだ。




そして、その人物――――光仁――――が盛大に息を切らして自分達のそばまで到着し…


その乱れに乱れた息を整えてから、まず志郎が問いかけの言葉を声にする。




「あの~…一体、何すか?」




続けて、涼羽が同じように問いかけの言葉を声にする。




「どうか、したんですか?……」




そんな二人の声に、光仁はすぐには反応せず、じっと涼羽と志郎の二人を見つめている。




「??……」


「??……」




まるで絶望の中に希望を見つけたかのような眼差しで自分達を見つめる目の前の人物に、ただただ疑問符しか浮かんでこない涼羽と志郎。


一体なんなんだろう…


そんな思いを抱きながらも、あの必死さを見せた人物のことが気にはなっているのか、決してその場を離れようとはしなかった。




「(ああ…間違いない…二人はまさに…僕が求めていた…僕のイメージにぴったりのモデルだ!!)」




しばらく、言葉を発することもなく、じっと二人を見つめ続けていた光仁だが…


よほど涼羽と志郎の二人が、自分が思い描いている今回の依頼のイメージに相応しいのか…


一人でうんうんと、勝手に納得がいったかのように首を振って頷く。




そんな光仁に対して、さすがに戸惑いを隠せるはずもなく…


涼羽と志郎はお互いを見合わせて、さらに疑問符を浮かべてしまう。




「…あの、一体何なんすか?」


「…何か、用でしょうか?」




さすがにしびれを切らしたのか、涼羽も志郎も再び問いかけることにした。


涼羽の方は、相手を心配するかのような心境が見られる声のかけ方だが…


志郎の方はいい加減、何も分からない状態で放置されていることに苛立ちを感じ始めているのか、声のトーンにやや棘が出始めている。




「!あ、ああ…これは失礼…」




そんな対照的な二人の声に、ようやく光仁が声を発する。


生来の気弱さがそのまま出ているかのような、ただ息を吐いているだけのような声を。




そこから、慌てて自分のよれよれの衣服をまさぐるかのようにポケットの中などを探し始めると、その風貌には不似合いな、高級感を感じさせる名刺入れを取り出す。




「僕は、こういう者です…」




そして、その名刺入れをよほど慌てているのか、ぎこちない感じでようやく開けると、その中から名刺を二枚取り出し、目の前にいる涼羽と志郎に一枚ずつ、手渡す。




「寺崎 光仁…」


「写真家…」




ようやくといった感じで自分の素性を示すものを提示してくれた光仁から手渡された名刺を覗き込むかのように見つめる二人。


目の前の、一見、普段一体何をしているのか分からない人物が何をしている人なのか、それを載せてある名刺を見つめながら、涼羽と志郎は更なる疑問を抱いてしまう。




「(な、なんだ?写真家って、写真撮る人のことだろ?そんな人が、俺らに一体何の用なんだ?)」


「(え?え?その写真家さんが、何で俺達に声をかけてきたの?なんでだろう?……)」




世間のことに疎く、世間知らずな面も多い二人は、今目の前にいる人物が、有名な写真家であることを知る由もなく、ただただ自分達に声をかけてきた真意は何なのだろうと、そのことにのみ思考をフル回転させている。




そんな二人の様子を見ながら光仁は、今回の依頼を成功させるにはもう、この二人しかいない、という確信を持ち、そして確固たる意思を持って、今目の前で自分の名刺を見つめている涼羽と志郎の二人を自分のモデルになってもらうと、固く心の中で誓うのであった。

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