第83話 あんた、真面目ないい子だね~

「さて…来たぞ」


放課後のSHRも終え、すぐに校舎を出た涼羽は、この日からアルバイトとして働く職場となる、秋月保育園に来ていた。

土曜日に下見として行ってた時と違い、中から幼い声が飛び交っているのが聞こえる。

園長の話に出ていた通り、結構な数の園児がいるのが、それだけで分かってくる。


ちなみに、何故か美鈴に女装を前提でメイド喫茶で働くの?などと聞かれて足止めを食らいそうだったので…

そんなわけない!と一言で切り捨て、そのまま教室を飛び出していった、というエピソードがあった。


美鈴がそんな間の抜けた発言を涼羽に向けていた時…

クラスの女子は、何故か女の子の格好で保母さんとしてひたすら子供に好かれ、甘やかしている涼羽を思い浮かべて、ひたすらにとろけるような表情をしており…

クラスの男子は、女子と同じく、何故か女の子の格好で保母さんとしてひたすら子供を甘やかしている涼羽の姿を思い浮かべて、思わずニヤニヤしたり、ひどい者になるとでゅふふと、下心満載な笑い方をしていた。


涼羽本人が保父さんのバイトだと言っているにも関わらず、クラス全員がこんな妄想に耽っていたのだから…

いかに涼羽が周囲の人間から、女の子としてしか認識されていないか、というのがよく分かる光景となっていた。


学校帰りなので、制服のまま…

いつもの教科書や弁当が入った、通学用の鞄もそのまま…


まさに、学生としてまんまの見た目で、これからの職場となる秋月保育園の正門を少し開き…

そこから、いざ、足を踏み入れていった。


そして、完全に保育園の敷地内に入って、また正門をしっかりと閉じる。


そこまでしたところで、一人の女性が、涼羽のもとへと、足を運んでくる。


「おやおや、なんだい?あんたは?見たところ、学生さんのようだけど?」


幼い子供を多く抱えている場所であるがゆえに、不審者を見るような目で涼羽を見てくる目の前の女性。


黒く染まってはいるが、白髪染めを使っていることが良く見れば分かる、生え際がわずかに白い、背中まで伸びた髪。

しかし、それに反して、ほとんど皺が目立たず、艶に満ちた若々しい肌。

少々恰幅がいいこともあり、丸みを帯びた頬。

しかし、その輪郭が、逆に人の良さを表している感じすらある。

見た感じ、普通のおばさんなその身を、年齢相応の落ち着いた色のセーターとジーンズに包んでおり…

まさに、一家の肝っ玉母さんな印象を出している。


そんな彼女は、市川 珠江(いちかわ たまえ)。


当年とって四十九歳。

ただ、見た目で言うと四十台前後~四十台前半くらいに見える。

そんな容姿にはギャップを感じる、可愛いひよこが描かれたエプロンを身に着けているところから見ると…

おそらく、この人が現在一人で園児達の面倒を見ている、この保育園の正規の保母さんなのだろう。


涼羽は、普通にそう思い、自己紹介も兼ねて彼女に聞くことにした。


「あ、あの…今日からここで学生アルバイトとして働く高宮 涼羽ですけど…園長先生から、聞いてますでしょうか?」


少しおどおどとしながらも、落ち着いて柔らかな口調。

加えて、聞き心地のいいソプラノな声。


そんな涼羽の声に、珠江の警戒も薄れたようで…

それまでの張り詰めたような印象の固い表情が崩れ…

優しげな笑顔が浮かんでいる。


「ああ!あんたが園長先生の言ってた学生アルバイトさんね!聞いてるよ!」


当然ではあるが、事前に秋月園長が職員全員には、涼羽のことを伝えていたこともあり…

珠江も、その名前を聞いてすぐにその新人アルバイトの学生だと、認識できたようだ。


「よ、よかった…」

「………ふ~ん…」


ひとまず、自分のことがちゃんと伝わっていたようで、ほっとしたように息を一つ吐く涼羽。

そんな涼羽を見て、何か納得したかのような声をあげる珠江。


「?ど、どうかしましたか?」


そんな珠江の声に、思わず怪訝な顔をして、涼羽が反応してしまう。


「ん?いやね、園長先生が言ってた通りの子だって思ってね~」

「?園長先生が?」

「ああ…あんた、男の子なんでしょ?」

「?そうですけど…」

「いや~、初めにそうは聞いてたんだけどさ~…でも、実際のあんた見てたら、とてもそうは見えなくってね~」

「!う…」

「どっからどう見ても、TVに出てくるアイドルみたいな、とびっきりの美少女にしか見えないからさ~。最初に男の子って聞いてたのもあって、一瞬『誰だろ?』って思っちゃったのよ~」

「!うう…」


どうやら珠江は、涼羽のことを男子高校生だと聞いていたが…

実際に見てみて、とてもそうは見えないその容姿に、驚いていたようだ。

一応、制服は男子のものではあるのだが…

それでも、『なんで女の子が男子用の制服着てるんだ?』という感じなので…

余計に、そう思ってしまっていたようだ。


見た感じにそぐわない、豪快なおばさんと言える口調でずけずけと話してくる珠江の言葉…

またしても涼羽がショックを受けたのは、言うまでもない。


「いや~、可愛いね~あんた。ウチの娘もこのくらい可愛けりゃ…って思っちまうよ~」

「も、もうそれはいいですから…」

「あはは。ごめんごめん。あ、そうそう。あたしゃ、市川 珠江って言うんだ。ここで保母さんしてるんだよ。よろしくね」

「あ、はい。こちらこそ、よろしくお願いします」


ぶっきらぼうな珠江の自己紹介に、丁寧に頭を下げて応える涼羽。

そんな涼羽を見て、珠江は思わずその頭を優しく撫でてしまう。


「?市川さん?…」

「いや~、あんた本当に可愛いわ~。なんか、ついついこんなことしたくなっちゃうね~」

「…あ、あはは…」


この肝っ玉母さんからすれば、こういうタイプはついつい可愛がりたくなってくるのか…

珠江の中で、涼羽は可愛い子供のような位置づけになってしまったようだ。


まあ、実際珠江からすれば涼羽も子供には変わりないので、別におかしいことではないのだが…

当の涼羽からすれば、自分はもうすぐ大人と言える年齢になることもあり…

こういった珠江の扱いに、苦笑いしか、出てこなかったようだ。


「!そうだ。あんた、今着てる服装以外に、何か汚れても構わないような服とか、持ってるかい?」

「?いえ、特にはありませんけど…」

「そうかい…」

「?」

「いやね、ここって、あんな小さな子供達の相手するからね。そこにあるような砂場で遊ぶ子もいるし、赤ちゃんって言えるくらいの子なんか、涎とかもあるじゃないか」

「!あ、そうですね…」

「だから、その…いつも学校に着て行ってるような制服とかは…さすがにまずいかな、と思ってね」


学校帰りのまま、その足でここに来た涼羽に、そういった用意があるはずもなく…

一体何を持っていけばいいのか、というのも、結局秋月園長も伝えず終いで終わってしまっていたために…

この仕事での作業着となるものを準備することができなかったのだ。


それ以前に、そういうものがいる、という認識すら、浮かんでこなかった。


これが初めてのアルバイト…

そして、働くという機会であったため…

そういった疑問が出てこないのは、ある意味仕方のないことなのだ。


「すみません…そこまで、思いつきませんでした…」


しかし、当の涼羽はそれを自分の落ち度だと捉えたようで…

すぐに謝罪の言葉を、声として出してしまう。


「いやいや、仕方ないよ。あんたアルバイト自体初めてなんだろ?それに、あの園長先生も、あんたにそういうこと、全く伝えてやらなかったんだろうから…あんたが気にすることはないよ」

「で、ですが…」

「いいのいいの。むしろ、あんたがそんな風に真面目な子だって言うのが分かって、あたしゃ感心してるくらいなんだし」

「そ、そうですか…」

「だから、次からはここでの作業に使える服装とか、用意してくれれば、それでいいよ」

「分かりました」


珠江自身は、涼羽が初めてのアルバイトと言う事も聞いており…

たぶん、そういう必要な物に関して、秋月園長が涼羽に全く伝えていなかったと半ば確信していた。


だから、涼羽に必要以上に落ち目を感じさせることのないように…

やんわりとした言いようで、むしろなだめる方向で話していった。


もし、これが初めから『そんなの聞いてない』だの、『園長先生が伝えてくれなかったから』などと、言い訳じみた言葉を口にしていたなら、ビシッと言い聞かせていたところなのだが。


むしろ、そのことを自分の落ち度だと初めから受け入れていた、という姿が、珠江には、非常によく映って見えたらしい。

そして、そのことで、今目の前にいるこの可愛らしい新人アルバイトが、真面目でちゃんとした性格だということも見ることが出来た。


今までのアルバイトが、ちょっとしたことで文句たらたら、そのうえ、何かにつけて誰かのせい…

挙句の果てには長くて二週間、ひどい時には三日で勝手に来なくなってやめてしまう、という…

求人に関しては非常に悪循環が続いていたのだ。


それうえに、今のこのやり取りだけでも…

この高宮 涼羽という子供には、期待値が持てると、珠江は思った。


これまでの求人面接は、自分と事務担当の二人で行なっていたおり…

しかも、そうして採用した者達が全てそんな体たらくで終わってしまっていたのだ。

だからこそ、余計にそう思えてしまう。


ここで続いている自分や、他の従業員達も、もともとは秋月園長が自ら口利きして連れてきた人間ばかり。

だからこそ、今回またそうして来た人材には、大いに期待が持てる。


「(全く、あの園長…妙に抜けてるところは多いけど…こういう、人を見る目っていうのは、誰よりも確かなものを持ってるね、相変わらず)」


もうすでにその期待値に応えられる、という片鱗を見せ始めている涼羽を見て…

本当に包み込むかのような、優しい笑顔が、珠江の顔に浮かんでくる。


「?…何か…」

「え?ああ、いやいや、なんでもないよ」

「?」


そんな珠江の視線に気づいた涼羽が、疑問符を浮かべながら問いかけてくるが…

特になんでもない、と、微笑ましい感じで涼羽を見つめながら答える。

そんな珠江の返答にやはり疑問符を抱きながらも、それ以上は追求しないことにする涼羽。


「ま、まあ…とにかく、今日のあんたの服装、どうしようかねえ…」

「あ、僕の自宅、ここから歩いて五分くらいのところにあるので…一度自宅に取りに行きましょうか?」

「お、そうなのかい。それなら…」


と、そこまで言ったところで珠江の言葉が止まる。

そして、何かを思案するような顔になり、しばらく声を発さなくなる。


「?」


そんな珠江に対し、疑問を抱きながらも、とりあえずは、次の言葉が出てくるまで、待つことにする涼羽。

しかし、すぐに考えがまとまったのか、珠江からの反応が返ってくる。


「ちょっと、一緒に来ておくれよ。いいね?」

「?は、はい」


いきなりの問いかけに、慌てて答える涼羽の声が終わるか終わらないかのうちに…

涼羽の細い左の手首をがっしりと掴むと…

ぐいぐいと引っ張っていく、という言葉が相応しい、と言わんばかりの力強さで…

涼羽を、保育園の施設内に引っ張り込んでいくのであった。




――――




「??な、なんですか?」

「いいから、ここでちょっと待ってな!」


涼羽が連れてこられたのは、三階の職員、従業員専用のフロア。

その中にある、『更衣室』と書かれたプレートがかけられた一室。


その更衣室の外に涼羽を待機させると…

珠江はその中に入り、バタンと扉を閉めてしまう。


しばらく、何かをひっくり返したり、何かを開け閉めしたりするような音が響き渡り…

それが終わってちょっとしてから、再び珠江が涼羽の前に姿を現してきた。


手に、何か服のようなものを一式持って。


「?それは…」

「ああ、ちょうど以前、ここでちょっとだけ働いて辞めたのが、ここ用の作業着を置いてったのを思い出してね」

「そ、そんなのが残ってたんですか?」

「ああ、なんせ、仕事がキツすぎたのか、いきなり来なくなっちまったからね~。それ以来、取りにもきやしないよ、まったく」

「そうなんですか…」


そんな珠江の一言を聞いて、父、翔羽が自宅でたまに自分に愚痴を言うことを思い出す。

それが、今珠江が言ったことと、ほぼ同じようなことなのだ。


翔羽のところも、現地の作業員に社員だけでは足りないことが多いため…

急遽、日雇い労働のアルバイトなどを雇って、そこに放り込むことが決して少なくはない。

現場によっては一月から数ヶ月の単位で行なわれることもあるため…

そういうときはなおさら、そういった事情になりがちなのだ。


だが、そういう案件のときに雇ったアルバイトほど、いきなり音信不通になって、現場に来なくなる、ということが多々あるらしい。


仕事に関して責任感が強く、一切妥協することのない翔羽からすれば…

一体そいつらは何を考えているのか、と。

お金を稼ぐ、ということをバカにしてるのか、と。

ついつい、そんな台詞が飛び出してくるのだ。


それに関して言えば、涼羽も翔羽とほぼ同意見となるゆえに、感情移入もしやすい。

ただ、そういうことになるからには、それなりの作業員側の視点からの問題点もあるのかな、と、涼羽は思う。

そんな風に思ってしまうのは、第三者視点でその話を聞いているからだと言えるのだが。


ただ、今この秋月保育園でも、そういうことがあるということを聞かされて…

やはり、なんでそんな無責任なことができるんだろう。

なんで、そんなに簡単にやめることができるんだろう。

そして、そういう問題って、自分の父のところだけでなく、他のところでもあるんだな、ということ。


それらを、また改めて痛感することができた涼羽。


涼羽自身は、アルバイト自体ここが初めてとなるのだが…

常に自分が取り組んでいる家事全般…

そして、自分が趣味的に取り組んでいる、自己啓発的なこと…

それらを、いい加減に他人に放り投げるようなマネは、今まで一度たりとてしたことがないだけに…

そういった、今の涼羽を形成する道程…

そして、そこからくる経験から見ても…

そんな風ないい加減な仕事への姿勢は、絶対にあってはならないし、そうありたくない。


涼羽は、本気でそう思うことができている。

それは、涼羽自身は当然だと思っているが…

そう思えること自体が、本当に働く人間として基本であり、何より素晴らしいことであるということ。


その素晴らしいものを、涼羽はすでに持っているということ。


そのことに、今の涼羽が気づくには、まだ経験、そして年齢が若すぎた。


「でね、いつ取りに来てもいいようにあたしがちゃんと洗濯してあるし、サイズ的にあんたなら普通に着れるだろうから…今日のところはこれを着ておくれよ」

「わ、分かりました」

「よし。じゃあ、とりあえず渡しとくね」

「はい」


そうして、珠江から渡された衣類一式を、涼羽はその手で受け取った。

そして、その衣類をまじまじと眺めて、突如、ピシリと固まってしまう。


「?おや、どうしたんだい?」

「…あ、あの…これ…」


そうして、涼羽が渡された衣類の一つを持ち上げて、珠江に見せ付ける。


それは、こげ茶色の、膝より下で、くるぶしあたりまである…

フレアータイプのスカートだった。


そして、もう一つの方は、ゆったりとしたハイネックの、暖かな色のセーター。

さらには、最近よく見る、リラックスどころかなまけてるだけにしか見えないやけに可愛らしいクマのイラストがプリントされた、フリルのついた、あきらかに女性向けのデザインのエプロン。


もうまさに、一家の専業主婦、ないでたちになるであろうコーディネイトだったのだ。


「?それがなんか問題あるのかい?」

「あ、あります…」

「?え?何が?」

「…僕、男なんですけど…」

「…………………あ~……そうだったね……」

「…忘れてましたね…」


涼羽からの指摘に、ようやく思い出した、と言うような反応の珠江。

そんな珠江に、思わず涼羽もジト目になってしまう。


最初に男の子だと聞いていたにも関わらず、いざこうしてやりとりしてると、すぐに忘れてしまうという…

それほどに、涼羽の容姿が女の子であるというような反応になってしまっていた。


「し、仕方ないじゃないか。あんたがそんなに可愛い顔に声してるからさ」

「!う…」

「あたしゃ、普通に女の子って思っちゃってたよ」

「!うう…」

「そ、それにその他にはあまりの作業着がないからさ」

「!!そ、そんな…」

「だから、今日のところは、それでお願いできるかな?」


お願い、と言わんばかりに両手を合わせて頭を下げてくる珠江に対し…

さすがに何もいえなくなってしまう涼羽。

それに、自分があらかじめここで着れるような衣類を用意していればよかったのだから…

だから、わざわざ用意してくれた珠江を責めるなど、涼羽にできるはずもなかった。


結局のところ、この珠江のお願いに対して…


「…わ、わかりました…」


と、首を縦に振るしかなくなってしまう涼羽なのであった。


「!本当かい!?」

「…ほ、他にないなら、仕方ないですし…今日自分がちゃんと持ってきてたらって思うと…」

「あんた、本当に真面目ないい子だね~」


片道五分なのだから、一度家に取りに帰ればいいというのもあるのだろうが…

それでも使えそうな衣類を探してまた戻ってくるとなると…

往復で十五分、長ければ二十分はかかるかも知れない。


従業員が少なく、少しでも早く仕事に取り掛かるべき今の状況ではそれもどうかと考えてしまう。


だからこそ、今この手に渡してもらった服装に身を包んで、仕事するしかなくなってしまうのだ。

そういった考えに至る点も、涼羽が仕事に対して真面目な姿勢になれていることを表している。


そんな涼羽の姿勢に、珠江の中での涼羽の評価が、また一つ上がっていく。


もう女装はしたくない…

でも、仕事でここに来ていて、しかもこれしか作業着に使えるものがない以上…

一刻も早く着替えないと…


女装に対する激しい抵抗感と戦いながら…

涼羽は、この初日の作業着となる衣類に着替えようと、更衣室の中へと入っていくのであった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る