第75話 母さん…高宮君と会ったの?

涼羽が愛理とあの公園で偶然会い、どこかぎこちないやりとりをしている最中…

公園での散歩を終えて、自宅である水神家の方に帰ってきていた香奈と、その祖母である永蓮。


ちなみに水神家は、涼羽の通っている学校から少し離れた…

築年数もまだ少ない、新設のマンション。


位置的には、涼羽の住む高宮家が見える位置であり、逆に高宮家からも水神家が見える位置となっている。

その為、お互いに徒歩十分もあれば行き来できる距離にあるのだ。


位置関係的には、学校を中心とすると、高宮家が学校の南西側徒歩十分ほどの位置であり…

一方の水神家は、学校の西側徒歩十分ほどの位置となっている。


とはいえ、これまではお互いの家の住人が接することもなかったため…

こんなご近所さんでありながら、お互いに気づくことなどあるはずもなかったのだが。


マンションの構造としては東西を水平に見立てた、完全な長方形。

その内部を北側と南側で分断し、互いが向かい合う形で、それぞれの部屋が間取りされている。


部屋は全階全て同じ間取りとなっており、向かい合わせとなっている北側と南側で前後対象で作られている。


間取りは3LDKと、水神家親子三人で住むには十分なほどに広く…

ダイニングキッチンに、それぞれ六畳区切りとなっている洋室二つと、和室一つ。


トイレ、浴室はセパレートとなっており、玄関側の洋室と中央の和室の間に押入れ含む収納スペースもある。

南側の部屋を選択したため、ベランダは南に面している。


部屋の間取りを優先した構造となっているため、階数は三階までと少ない。

また、一家の大黒柱である水神家の主人が、高所恐怖症であるため、階は最も低い一階を選択している。


建物の東に駐車スペース、駐輪スペース。

南側が道に面しており、北側には子供の遊具スペースがある。

現代においてはもはや必須となっているであろう、マンションセキュリティも完備。

カメラ付インターホンに、オートロックもあるため、セキュリティ的には十分と言える。

浴室はお湯張り、追い炊き機能に、浴室乾燥あり。

キッチンもガスコンロ設置可能で、給湯設備も付いている。

トイレも便座に暖房機能があり、寒い日の用足しも困らない。

通信環境としてインターネット設備もあり、後は各個人で指定の業者と契約さえしてしまえば、インターネットも利用可能となる。


水神家は夫妻ともにインターネットは多用することが多く…

特に技術系の職業についている主人の方は、業務関連の連絡やスケジュール管理などを専用の社内イントラネットシステムで行なうため、インターネットの利用は必要不可欠となっているのだ。


築からそれほど時間が経っていないこともあり、建物そのものが綺麗で、真新しい感がある。


ここから五分も歩けば、涼羽がいつも利用している、町内でも評判の商店街に行けるため、買い物にも困らない。


ただ、最寄の駅やバス停への距離が結構あり、共に徒歩では約二十分を超えてしまう。

そのため、交通の便に関しては、あまりいいとは言えない状況となっている。


水神家は家族で車を一台所有していることもあり…

作業現場を転々とすることが多い主人の方は専ら車を使用している。

加えて、妻である水蓮は職場が徒歩十分ほどの位置にあるため、特に公共の交通機関を使うことがない。

なので、交通の便の悪さに関しては、水神家はそれほど問題にはなっていない状態だ。


家賃も共益費込みで六万円と、共働きで互いに定職持ちの夫妻ならまず苦にならないであろうもの。

条件的に不満らしい不満もなく、夫妻がかつて恋人同士であった頃から同棲生活の場としてここに住んでいたのを、結婚してからもそのまま住んでいるのだ。


なので、水神夫妻としては愛着もある場所であるため…

今のところは他のところに転居する、といった選択肢は存在していない。


ちなみに、ここから北東に徒歩五分ほどのところに、幼稚園がある。

もう少ししたら、娘を幼稚園に入園させようと、夫妻は考えている。


町外れの公園から歩くこと、約三十分…

公園内を散歩していたこともあり、結構な時間歩き続けたこともあって…

祖母と孫娘の二人は、ダイニングの方で祖母が用意したお茶を片手に一息ついているところなのである。


「あー、たのしかったー!」

「うふふ…そうね」


日頃からいつも自分の面倒を見てくれる祖母の膝の上に座りながら…

大好きな公園での散歩…

そして、そこで大好きで大好きでたまらない涼羽に会えたことを心から喜んで…

その幼く可愛らしい顔を幸せいっぱいの笑顔にしている香奈。


そんな孫娘の可愛らしい笑顔に、自身も幸せいっぱいな気持ちに満たされ…

その小さな頭を優しく撫でながら、同じように目いっぱいの笑顔を浮かべる永蓮。


二人がそんなやりとりをしている最中…

夫妻の部屋としている、中央の和室から物音がし…

それからすぐに、その部屋を閉じている襖が開いていく。


そして、そこから表れる人影が一つ。


「あ…母さんに香奈…帰ってたんだ~…」


表れたのは、香奈の母親であり、永蓮の実の娘である水蓮。

いかにもな寝起きの状態…

焦点のはっきりしない寝ぼけ眼をこすり…

ふんわりと柔らかい猫っ毛である茶髪は、派手な寝癖がついてしまっており…

普段からの寝巻きとしているピンクの猫のイラストがプリントされているパジャマは、ボタンもろくに留められていないため、その大きく隆起した胸元がだらしなくさらけ出されてしまっており…


そのあまりといえばあまりな娘の姿に、思わず永蓮の顔も、苦虫を噛み潰したかのようなものとなってしまう。


「…はあ…」


もはや隠す気にもならない溜息が一つ。

心底、頭を抱えてしまいたくなりそうで、せっかくの幸せな気持ちも一気に沈んでしまう。


「え?なに?どうかした?」


そんな母親の様子に、さすがに水蓮も気づいたのか…

一体自分が何かしたのだろうか、と思いながら、そんな様子の母親に問いかける言葉を音にする。


「…おかあさん、だらしな~い」


そんな矢先に、不意打ちできたのは、実の娘である香奈からの、非常に手厳しい言葉。

純真で裏表のない幼い子供である香奈の、素直な気持ち。

それが、よく分かる一言となっている。


「!あう…」


その一言で、まるで冷水をかけられたかのように意識が覚醒してしまう水蓮。

まだ四歳の娘に、思いっきりダメ出しされてしまっている、という事実に…

思わず小さく身体を丸めてしまう。


「…とにかく、着替えて、その寝癖やらなんやらもちゃんと整えてから、来なさい」

「…はい」


そこに、実の母からの有無を言わさぬビシっとした一言。

これにはもう、水蓮も返す言葉もなく、すごすごと一度、和室の方へと引っ込んでいく。


「…全く、もう今年で二十七になるっていうのに、あの子は…ほんとにもう…」


仕事自体は非常にできるのだが…

家庭、そして私生活に関しては本当にだらしがないと言わざるを得ない我が娘に、あきれた声しか出てこない永蓮。


ちなみに、夫である主人の方は、この日も仕事があるため…

今も、指定された作業現場で、作業に明け暮れている状態だ。


「ね、香奈。香奈は、あんな風になっちゃ、だめよ?」

「うん!」


可愛くて可愛くてたまらない孫娘には、あんな風にはなってほしくない。

その思いから出た、永蓮の一言。


そんな祖母の言葉に、素直に可愛らしく返事をする香奈。


実際、普段から香奈の世話はこの永蓮がすることが多く…

貞淑で、奥ゆかしく、しっかりとした女性を理想像としている永蓮であるがゆえに…

この孫娘である香奈にも、そんな女性になって欲しいという思いがあるため…

その辺に関しては、香奈の母親である水蓮よりもきっちりと言うべきところは言い聞かせている。


日頃から母である水蓮は仕事で家にいないことが多く…

祖母である永蓮と共にいることの方が多いため…

自然と、永蓮の言うことはちゃんと聞くようになっているのだ。


それだけ、香奈が祖母である永蓮の方に懐いているということが、よく分かる。


ましてや、肝心の母親が、実の娘を言い聞かせるどころか、逆にダメ出しをされている状態では…

どうしても、そういった香奈への教育も、必然的に永蓮の方になってしまうのだろう。


「あのね、かなね。りょうおねえちゃんみたいになりたいの!」

「そうね。お婆ちゃんも、香奈には、涼羽ちゃんみたいな、とても可愛らしくて、しっかりした女の子に、なって欲しいわ」

「えへへ~。かな、りょうおねえちゃんだあ~いすき♪」

「うふふ。お婆ちゃんもよ。お婆ちゃんも、涼羽ちゃんのこと、だあ~い好きよ」

「やった~。おばあちゃんといっしょ♪」

「ええ、いっしょよ」


そんな永蓮や香奈にとっては、涼羽のような貞淑で奥ゆかしく…

それでいて、自分のことも家族のこともしっかりとこなし…

その母性と優しさに満ちた包容力まで持っている…

そんな存在は、まさに女性の理想像と見えてしまうのだろう。


だから、香奈の口からも、そんな台詞が飛び出してしまう。

そして、永蓮も、それに同調してしまう。


もし、涼羽本人がこの場にいて、それをその耳で聞いてしまっていたら…

それこそ、顔を真っ赤にして、自分は男であることを必死に強調していたことだろう。


おそらくそれも、永蓮にはひらひらとかわされ…

香奈には『え~、うそ~』と一刀両断され…


逆に、そのムキになっている様子が可愛すぎて、めっちゃくちゃに愛されることとなってしまっていただろうが。


「涼羽ちゃんね。今度お婆ちゃんにお料理教えて欲しいって言ってたのよ」

「!ほんと?」

「ええ。あ~んなにお料理上手な涼羽ちゃんが、もっとお料理お上手になりたいって」

「!りょうおねえちゃん、すご~い!」

「ええ、お婆ちゃんもそう思うわ」

「!りょうおねえちゃん、このおうちに、きてくれるの?」

「ええ。お婆ちゃんが教えるんだから、このお家に、涼羽ちゃんに来てもらうわ」

「!やった~!りょうおねえちゃんが、きてくれる~!」


もう、涼羽にここに来てもらうことが決定事項となっている永蓮。

この日初めて出会い、そして、その心を文字通り奪われてしまい…

今となっては、自身の孫としてめっちゃくちゃに可愛がってあげたい、とまで思ってしまっているほど。


そんな涼羽が、この家に来ることはまるで当然と言わんばかりに…

孫娘である香奈と、そのことについて嬉々として話し合う永蓮。


涼羽がこの家に来る、という…

それだけで、もう幸せいっぱいな気持ちに溢れかえってしまう香奈。


大好きで大好きでたまらない…

香奈にとっては、本当のお姉ちゃんと言えるほどに懐いている相手である涼羽。


今日の別れ際に、自分のおでこにしてもらった、優しい口付け。


それが、忘れられなくて…

それが、嬉しくて…

それが、幸せすぎて…


別れた直後であるにも関わらず…

もう、涼羽に会えることを今か今かと待ち望んでいる香奈。


そして、それは永蓮も変わらない。


もう、全てが可愛すぎて…

全てが理想的すぎて…

全てが愛おし過ぎて…


あれで男の子なのだから、神様はなんて罪なことをしてしまったのだろう。

思わず、そう思ってしまう程。


赤の他人であるにも関わらず…

もう、自分の孫にしたくてたまらない。


もう、この腕であの子をぎゅうっと抱きしめて…

その腕の中で顔を真っ赤にして恥ずかしがるあの子の頭を、優しく撫でてあげたい。


こんなにも、永蓮にとって、母性をくすぐられる存在となってしまっている涼羽。


涼羽と一緒に、笑顔になりながらこのキッチンで料理をする…

そう思うだけで、永蓮の頬がだらしないほどに緩み…

それでいて、幸せそうな笑顔が浮かんでくる。


「二人して、何の話してるの?」


香奈と永蓮が涼羽のことを想って、非常に幸せそうな雰囲気に満ち溢れているところに…

着替えと、寝癖直しを終えた水蓮が、ダイニングの方にやってくる。


もともと化粧はあまりしないこともあり、スッピンの状態でも、普段と変わらない造詣美がある。

服装は、白の少しふんわりとしたトレーナーに、同じく白の膝よりも少し上の丈のフレアスカート。

その人の目を引く脚線美を、淡い黒のストッキングで包み、より強調することとなっている。


寝癖もきっちりと整えられて、普段のふんわりとしたヘアスタイルになっている。


和室の方で二人のやりとりが少しだけだが聞こえていたため、その内容に興味深々、といった感じで、聞いてくる。


「あのね、おかあさん!りょうおねえちゃんのこと、おはなししてたの!」


その問いかけに真っ先に答えるのは、娘である香奈。

その内容が、香奈にとってはまさに嬉しくなってしまうものであり、自然と笑顔になってしまっている。


「え?高宮君のこと?」

「そうよ、水蓮。その高宮君のことよ」


娘の答えに、少し間の抜けた反応を返す水蓮。

その水蓮に、合いの手をうつように言葉を発する永蓮。


永蓮も、その名前を口に出すだけで、思わず顔が綻んでしまう。


「え?なんで母さんが高宮君のことを?」


永蓮は、まだ涼羽とは一度も会ったことのないはず。

なのに、なんでその永蓮が、娘である香奈と涼羽の話で盛り上がっているのか。


そんな疑問符を隠せずにいる水蓮に、永蓮は非常に簡潔に伝える。


「なんでって、私も今日、会ってきたのよ。その子と」

「会ってきたって…母さん、高宮君と会ったの?」

「ええ、そうよ」

「へえ~、でも、よく分かったわね」

「そりゃあ、分かるわよ。あの香奈が、あんなにも嬉しそうに走っていったと思ったら、あの子にべったりと抱きついちゃってるんだもの」

「あ~…そりゃそうよね」


香奈の人見知りは、水蓮も永蓮も十分に承知のこと。

その香奈が、家族以外の人物にそんなにも嬉しそうにべったりと抱きついていっているなら…

それは、すぐに分かっても不思議ではない。


永蓮のそんな言葉に、水蓮も思わず納得してしまう。


「しかし…水蓮」

「え?なに?」

「あの子…あなたに聞いていた以上に可愛らしくて…本当にいい子ね」

「!そうでしょ!?高宮君、本当に可愛くて…私もついつい頭撫でたりしちゃうのよね~」

「あの子、私の本当の孫にしたいくらいだわ。もう今日なんか、あの子にべったり抱きついて、めっちゃくちゃに頭撫でて可愛がったりしてあげちゃったんだから」

「!か、母さん…そんなことまでしてきたの?」

「ふふ、うらやましいでしょ?」

「!あ、当たり前じゃない!私だって、学校じゃなかったら、絶対高宮君のことそんな風にしちゃってるもの!」

「その高宮君が、今度私にお料理を教えて欲しいって言ってる、って言ったら?」

「!え!?そ、そうなの!?」

「そうよ。だから、今度あの子…涼羽ちゃんをこの家の呼んで、一緒にお料理しようと思ってるの」

「!わ~…それいい!!母さん、お願い!絶対に高宮君、ここに呼んで!」

「だから、その連絡はあなたがしてくれる?水蓮?」

「え?わ、私が?」

「そう、ちょっとうっかりしちゃっててね。あの子の連絡先、聞き忘れちゃったのよ、私」

「!ちょっと、母さん!」

「はいはい、ごめんごめん。だから、普段から学校であの子に会えるあなたに、この連絡をして欲しいと思うんだけど…いいかしら?」

「!もちろん、いいわよ!高宮君がこの家に来てくれるなんて…そのためなら、そのくらいお安い御用よ!」

「そう…お願いね、水蓮」

「もちろん!…って、母さん、高宮君のこと、『涼羽ちゃん』なんて呼んでるの?」

「ええ、そうよ。それが?」

「もう!私だって、そんな風に呼んだことないのに!」

「あら、だったらそう呼べばいいじゃない。たぶんだけど…あの子、結構周囲からそんな風に呼ばれてるんじゃないの?」

「!そ、そうよね!あの子のクラスの女子達もみんなそう呼んじゃってるんだから、私もそう呼んだっていいわよね!」

「ええ、いいんじゃないかしら?」

「!あ、ありがとう!母さん!うふふ…今からあの子に会うの、楽しみだわー!」


高宮 涼羽という人物を話題とした、親子の弾むような会話。


水蓮も、涼羽のことが本当に大好きでたまらなかったらしく…

呼び方一つで非常にヤキモキしていたらしい。


しかも、母である永蓮が、涼羽にべったり抱きついて、しかもその頭を撫でて可愛がったりしてたなんて…

そんな話を聞いてしまったら、羨ましくなってしまうのは当然のこと。


しかし、その涼羽が、もしかしたら自分のこの家に来てくれる…

そう思うと、今から待ち遠しくてたまらなくなってしまう。


もう、今からそのことを考えるだけで、胸がとろけそうになってしまう。

あの子が来たら、もう学校で我慢している分、めっちゃくちゃに可愛がってあげたい。

どうせなら、女の子の服とか用意して、着せてあげたい。

ちょうど、自分の通っていた高校の制服が、今も自分の手元にある。

どうせなら、それを着せてあげようか。


などと、もう水蓮の脳内では、涼羽を可愛がりたくてたまらない、といった感じで…

現在進行形で、あれもこれも、といった妄想が繰り広げられている。


「…あらあら。だらしない顔しちゃって…この娘は…」


だらしないと言えるほどにその頬を緩ませ、ひたすら妄想に耽っている我が娘に、ぽつりと一言。


そんな一言を漏らした永蓮の顔も、娘である水蓮と同じくらい緩んでいたこと。

それを見ていたのは、その永蓮の膝に座っていた、孫娘の香奈だけだったのであった。

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