第50話 これって、涼羽ちゃんよね?
「おはよー」
「おはよー」
憩いのひと時とも言える週末が終わり、新しい週の明けとなる月曜日の朝。
登校してくる生徒達が、お互いに挨拶を交わしていくその光景。
学校自体が、人との調和、関わり、礼儀などを重んじており…
そのあたりの教育をしっかりと行なっているからこそ、見ることのできる光景と言える。
「おはよー、涼羽ちゃん」
そんな中、後ろからの弾むようなガールソプラノ。
その声が響くと同時に、背中に柔らかい感触。
美鈴が、いつも通り朝の挨拶と同時に、涼羽にべったりと抱きついてきたのだ。
「!っ…お、おはよう、美鈴ちゃん…」
いきなり抱きつかれて、動揺しながらの挨拶。
学校ということもあり、普段の聞き心地のいいソプラノボイスを隠すかのような、意識したハスキーボイス。
ただ、それでも男子というよりは女子に近いハスキーボイスのため…
美鈴には本当に声変わりがあったのか、と、疑われてしまっているくらいだ。
もう恒例の一環となっているくらいに…
美鈴にはいつもべったりと抱きつかれているのだが…
そんな美鈴の行為に涼羽がいつまでたっても慣れない…
美鈴曰く、慣れてくれない状態。
そのため、いつもこんなぎこちない反応になってしまっているのだ。
周囲ももう見慣れてしまっている光景のため、もはやツッコミもない状態なのだが…
肝心の当人である涼羽だけが、いつまでも初心な反応しか返せないでいる。
だが、そんな涼羽に美鈴が怒ったり、あきれたりするのかと言えば、そうでもなく…
「えへへ♪いつまでたっても涼羽ちゃんって可愛いんだから♪」
…むしろ涼羽のこんな反応を楽しんでいる状態だ。
涼羽の場合、性格的にそこらへんの女子よりも貞淑で慎み深いこともあり…
異性の身体にこんなにも気安く抱きつく、ということ自体がありえない、という認識なのだ。
その認識があまりにも強すぎて…
どうしても、慣れることができず…
むしろ、慣れてしまうとマズい、という感覚になってしまうのだ。
「み、美鈴ちゃん…前からずっと言ってるけど…」
「?なあに?」
「女の子がこんな気安く男に抱きついたらだめだって…」
こんな感じで、お母さんが娘に言い聞かせるかのような台詞が、毎回飛び出してしまっている。
それだけ、美鈴のことを気にかけている、といえばそうなのだが…
やりとりがあまりにも母と娘のような、ほのぼのとした感じなのもあり…
むしろ周囲も最初こそは驚いたものの、慣れてくれば微笑ましく見えてくるのもあって…
今では、こんな光景を見る度に頬が緩んでしまう状態だ。
そして、美鈴も涼羽のこんな台詞をいつも聞かされてはいるが…
「も~♪涼羽ちゃんったら、ほんとに可愛い~♪」
それだけ自分のことを気にかけてくれているということを十分すぎるほどに理解しているからか…
それが嬉しくて、もっとべったりとしてしまうのだ。
「!み、美鈴ちゃん…だから、そういうのは…」
そして、そうすれば恥ずかしがりやの涼羽がその頬を恥じらいに染めてしまうことも知っているため…
むしろ、そんな涼羽を見たくてたまらなくなり…
もっとべったりと抱きついて、より涼羽を恥ずかしがらせようとしてしまうのだ。
そんな風に恥じらいに頬を染める涼羽が可愛くてたまらない美鈴。
そんな涼羽をもっと見たくて、もっと恥ずかしがらせようとしてしまう。
まるで、好きな子についついいたずらなどをしてちょっかいをかけてしまう…
小学生の男の子のようなことをしてしまっている美鈴。
「だあめ♪恥ずかしがってる涼羽ちゃん、もっと見たいもん♪」
「み…見ないで…」
「や♪もっとい~っぱい見せて?恥ずかしがってる可愛い涼羽ちゃんを♪」
可愛くて可愛くて…
大好きで大好きでたまらない涼羽。
そんな涼羽をまさに独り占めするかのように、ぎゅうっと抱きしめて離さない美鈴。
週明けの登校から、いきなり精神をガリガリと削られてしまう涼羽だった。
――――
「うお!?マジか!?」
「ホントにこんな娘が、あの商店街を歩いてたって!?」
そして、授業も淡々と進み、気がつけば昼休みの時間。
常に腹ペコな運動部の男子にとっては待ちに待った食事の時間。
涼羽のいるクラスの教室から、不意に飛び出す声。
ふと声のする方を見てみると、自分を除くほぼ全ての男子が、その一箇所に集まっているではないか。
「な?すっげー可愛いだろ?」
「うわ~マジかこれ!!」
「びっくりするぐれー可愛いじゃねえか!!」
「俺らもあそこ普通に歩いてて、ふと見てみたら、こんな美少女が歩いてたからさ」
「驚いて、思わず写メってしまった」
「お前ら…グッジョブ!」
「マジナイス!」
なにやら、美少女がどうたら、というところまで聞こえた涼羽。
商店街。
美少女。
「…?」
はて。
何のことなんだろう。
まるで心当たりもなく、何の関係もないと思っている涼羽。
でも、なんなんだろう。
この妙に嫌な予感は。
「ねー、さっきから何の話してんの?男子」
さすがに気になったのか、クラスの女子の一人が代表して男子に聞きに行っている。
女子の方も気にはなっているみたいで、他の女子達もそわそわとした感じになっている。
「ん?ああ、見てみる?」
「これこれ」
そうして、当事者であろう、二人の男子が、手に持ったスマホを、その女子に向けて見せてみた。
その画面に映っている、今話題の中心となっているものを。
「!うわ~…何この娘…」
一瞬固まってしまうが、すぐに復帰して思わず画面を食い入るように見てしまう女子。
「え?なになに?」
そんな代表女子の反応が気になったのか、他の女子達も、我も我もと言わんばかりに寄ってくる。
「うわ!何この娘!」
「びっくりするくらい可愛い!」
「え!?こんな美少女が、あの商店街を歩いてたの?」
「ちょ、ちょっとよく見せて!」
男子ばっかりの集まりだったところに、女子も群がるように集まってくる。
「え~?どんな娘?どんな娘?」
その中には、美鈴もいつの間にか加わっていた。
やはり、女子というのは、こういったゴシップが好きなことに変わりはないようだ。
「ほら!この娘この娘!」
「すごいでしょ!美鈴!」
「美鈴と比べても、全く見劣りしないもん!この娘!」
「え~?どんな娘かな…」
そうして、話題の中心となっている写真を目の当たりにする美鈴。
その瞬間…
「!!!!」
…この世にはありえない、と言われるような怪奇現象を目の当たりにしてしまったかのような、驚愕の表情。
その表情には、まさにこう書かれている。
え?なんで?
なんで、こんなことしてるの?
なんで、この子が?
写真に写る、その極上と言っても遜色ないほどの美少女。
美鈴は、その写真の美少女を知っている。
――――だって、美鈴にとっては今この世で一番と言えるほどに大好きな人物なのだから――――
「………」
そんな美鈴の反応に、さすがに周囲も異様なものを感じ取ったのか…
「え?なに?」
「どうしたの?美鈴?」
「この娘が、どうかしたの?」
思わず心配するかのような…
それでいて、写真の美少女と何か関わりがあるのか、と思うような…
そんな声をかけてくる。
「…え?あ、あ~、ホント!!すっごい美少女だね!!」
そんな周囲の声に我に返る美鈴。
半ば取り繕うかのようなぎこちなさを残しながらも、周囲に同調する声をあげる。
「ね!そうでしょ!」
「普通に道端歩いてたら、こんな美少女に出会いました、なんだぜ!?」
「どんなドッキリなんだよ!って、思ったよ最初」
「うわ~、実物見てみたいな~」
「ね?美鈴もそう思うよね?」
しきりに写真の美少女で盛り上がるクラス。
一人不参加を決め込んでいる涼羽を除いて。
「…うん!ホント、見てみたい!」
ここで、美鈴の視線がちらりと向いてしまう。
――――ひたすら不参加を決め込み、一人予習に勤しんでいる涼羽の方に――――
美鈴のそんな行為の意味を知ることができた者はこの場に誰もおらず…
そもそも、まるで気にすることもなく、ただ写真のことで話が盛り上がっていた。
「ねえ!その写真、みんなにもちょうだいよ!」
「そうだそうだ!」
「こんなにも見てるだけで癒されるような美少女だもん!」
「俺たちにも送ってくれよ!」
「あ~、分かった分かった」
「とりあえず、連絡先知ってるヤツに送るから、後はそこから各自メールで送ってな」
「よっしゃ!」
「分かったわ!」
ついには、自分達もその写真がほしいという声が上がり始め…
特に揉め事が起こることもなく、みんなに行き渡るように話し合って…
このクラスに、その写真が行き渡ることとなった。
当然、美鈴にも。
「ほら!美鈴にも送ったわよ!」
「うん!ありがと!」
友人からメールで送られたその写真。
それを見て、思わずほうっと、溜息が出てしまう。
そのくらい、完成度の高い美少女。
でも、自分は知っている。
その写真の人物が、今この教室の中にいることを。
――――
そして、授業も終わり、放課後。
すでに帰宅部の生徒は帰路についており…
部活動のある生徒は、それぞれの部へと直行してしまっている。
今、この教室にいるのは、美鈴と涼羽の二人だけ。
その涼羽も、普段から家事に勤しまなければならないこともあり…
もう今すぐにでも帰ろうと、その足を進め始めている。
「ねえ、涼羽ちゃん」
「?」
そんな矢先に、呼び止められる声。
その声で涼羽を呼び止めた美鈴が、ゆっくりと涼羽のそばへと近づいてくる。
「(え?な、なんだろう…なんか、嫌な予感が…)」
まるで警報のように鳴り響く、危険を察知する本能。
本当なら、このまますぐに教室を出た方がいいのだが…
そう思った時、すでに自分の右腕に、美鈴の左腕が絡み付いていた。
そして、より警報が鳴り響く。
より本能が危険を知らせてくる。
なのに、身動きが取れない。
心なしか、目の前の美鈴の笑顔が怖い。
一体、何の用なんだろう。
涼羽がそんな思考に溺れている矢先に、美鈴が口を開く。
「これって、涼羽ちゃんよね?」
そういって美鈴が突き出してきた、スマホの画面。
そこに映っていたもの。
「!!!!」
それは、あの時…
妹の羽月にお願いされて、迫られて…
仕方なく女装して、買い物に出かけた時の、自分の写真。
どこからどう見ても、完全無欠の美少女にしか見えない…
こんなの自分じゃない、と言いたくなるような、その自分。
「涼羽ちゃん、すっごく可愛い女の子になっちゃってる」
「そ、それは…」
「このスカートから伸びてる脚なんて、写真で見ても分かるくらいに綺麗だし」
「!う…」
「大きなリボンでポニーテールにして、可愛いお花のヘアピンで前髪開いてるだけで、すごく可愛い」
「!うう…」
「胸は男の子だからないんだけど、それが却って清楚な感じに満ち溢れさせてる」
「!ううう…」
「もう、すごく儚げで、護ってあげたくなっちゃうくらい可愛い」
「も、もう言わないで…」
女装して美少女と化した涼羽の姿…
美鈴から見れば、褒めるところしかなく、ひたすらに褒め続けている。
しかし、涼羽にとっては羞恥を煽るだけにしかならず…
もう、一つ言われる度に頬を羞恥に染めて視線を逸らしてしまっている。
「ねえ、なんで女の子の格好してたの?」
「!そ、それは…」
「涼羽ちゃんって、女の子の服着て女の子の格好する趣味があったの?」
「!ち、違うよ!」
「じゃあ、なんで?」
「そ、それは…」
美鈴には分かっている。
涼羽が、なぜこんな格好をしていたのか。
普段から自分を男だと強調する涼羽に、女装の趣味なんてあるはずがない。
だとすれば、他から強要されて、無理やりさせられてしまった、ということになる。
涼羽にそれを強要できる人物と言えば、彼の妹である羽月以外にいない。
いるわけが、ない。
だから、美鈴は涼羽の女装は羽月が無理やりにお願いしたからだということは分かっている。
分かっているが、あえてこんな意地悪な聞き方をしてしまう。
だって、そうして恥ずかしがって困っている涼羽が、あまりにも可愛いから。
そんな可愛い涼羽を、いっぱい見たいから。
ただ、それだけのこと。
「…羽月ちゃんでしょ」
「え?」
「羽月ちゃんが、涼羽ちゃんにお願いして無理やり、って感じなんでしょ?」
「そ、そうだけど…」
核心を突かれて、観念したかのように事実を認める涼羽。
恥じらいに頬を染め、困った表情のまま。
「ねえ、涼羽ちゃん」
「な、なに?」
「羽月ちゃんだけ、こんなに可愛い涼羽ちゃんを見れたなんてずるいの」
「…だ、だから?」
「だから、涼羽ちゃん。ここで、女の子になっちゃおうよ」
「!い、嫌だよ…」
美鈴の口調、話の流れから、すでに嫌な予感でいっぱいだった涼羽。
もう女装なんて嫌だ、という思いから、はっきりと拒絶の言葉を音にする。
しかし、そんな涼羽の反応も、美鈴には折り込み済み。
だからこそ、この切り札と言えるカードを、切る。
「涼羽ちゃんが私のお願い聞いてくれないんだったら…」
「だ、だったら?」
「この写真の美少女が、実は女装した涼羽ちゃんだってこと、みんなに言っちゃうかも知れないよ?」
「!!!!」
ここで、ようやく気づく涼羽。
この写真が、クラスの全員に行き渡っていることに。
しかし、今はこの写真の美少女と自分が同一人物だということがバレていないから安全だということ。
仮に、それがバレてしまったら…
考えただけでも、恐ろしい。
男である自分が、こんな女の子の格好をして町を歩いていたなんて。
どんなことを言われるのか。
どんな噂が流れてしまうのか。
それだけは、絶対に回避したい。
しないと、いけない。
「ね?涼羽ちゃんは、そんなことみんなに知られたくなんか、ないよね?」
「う、うん…」
「じゃあ、私のお願い、聞いてくれるよね?」
「…う、うん…」
結局は、美鈴のお願いを聞くしかない。
つまりは、女装するしか、ないのだ。
すでにチェックメイトの状態だったことに、ようやく気がつく涼羽。
「で、でも、俺が着れる服なんて、ないよね?」
それでも、最後の希望にすがり付こうとするのが、涼羽らしい。
そして――――
「大丈夫。私の制服、予備があるから。それ、貸したげる」
――――その希望が、粉みじんに打ち砕かれてしまうのも、涼羽らしい。
「!うう…」
「さ、涼羽ちゃん♪う~んと可愛くなっちゃおうね♪」
目の前のクラスメイトの、花が咲き開かんかのような笑顔。
そんな笑顔が、まるで悪魔の嘲笑にしか見えない。
もう絶対にするもんか、と思っていた女装。
それが、まさかこんなにも早く二回目が来るなんて。
まるで監獄に護送される犯罪者のような心境で…
心底嬉しそうな美鈴に手を引かれながら、教室から別の所へ移動する涼羽だった。
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