第14話 お兄ちゃんって、やっぱり…

「お兄ちゃん♪だあい好き~♪」


どこか懐かしさすら感じさせる古い造りの玄関の中。

この家の住人である一組の兄妹。


その片割れである妹が、兄の胸の中でその幼げな美少女顔に満面の笑みを浮かべながら、目いっぱい甘え続けている。


「ほら…羽月、また後で…ね?」


そんな妹に対し、負けず劣らずの美少女顔に少し困った笑顔を浮かべながら、この状態から一度解放されようと声をかける涼羽。


目いっぱいの優しさと慈愛をこめた、男にしてはかなり高いソプラノボイスで。


「え~…」


しかしもっと甘えていたいのか、羽月は不満気な表情を隠そうともしない。

そんな表情で覗き込むように、涼羽の胸の中から顔を上げる。


「ご飯食べ終わった後ででも、またしてあげるから…」

「ほんと?…うそだったら、やだよ?」

「ほんとだから、ね?」


まさに、聞き分けの悪い子供に言い聞かせる母親のような口調で、妹に優しく言い聞かせる涼羽。

もちろん、その慈愛に満ちた笑顔も忘れずに。


「わかった…でも、あとでい~っぱい、ぎゅってして、なでなでしてね?」


名残惜しさを隠せぬまま、後ろ髪を引かれる思いで涼羽の体から離れる羽月。

その顔に浮かぶ寂しげな表情も、世の男子、もしくは可愛いもの好きの女子達の目を、心を奪うものとなっている。


「はいはい…あとでしてあげるから…」


そんな妹に、少しあきれたような口調の涼羽だが…

慈しむような雰囲気、そして表情が崩れることはなかった。


そして、そんな兄妹固有の結界が解けた瞬間…

涼羽は、ここまで完全に忘れていた存在のことを、思い出させられることとなる。


「あ、あの…高宮君?」


この、クラスメイトである少女の声で。


「!!」


この瞬間、涼羽は気づかされてしまうこととなった。




――――ここまでの妹とのやりとりを、このクラスメイトに全て見られてしまっていたことを――――




噛み合わせの悪くなった歯車のようなぎこちなさで、恐る恐る美鈴の方へと視線を向ける涼羽。

その表情は、完全にやってしまった、といった感じのものだった。


「……ひ、柊さん……」

「…な、何?」

「…もしかしなくても、ずっと見てた…よね?」

「う、うん…見てたよ」


やってしまった。

まさにその一言が、涼羽の中で木霊する。


そして、その一言が、今の涼羽の心境にふさわしいものとなっている。


そして、そんな状態の涼羽に、追い討ちをかけるかのように、美鈴は言葉を紡いでいく。


「高宮君、もうすっごくお母さんみたいで…」

「!う…」

「これでもかっていうくらい、可愛かった…」

「!!うう…」

「学校じゃ、あんなにも無表情でとっつきづらい高宮君が、あんなにも優しくて…」

「!!!ううう…」

「あんなにも慈愛に満ちた顔するなんて…」

「!!!!うううう…」

「私、びっくりしちゃった」


学校にいる時の、あまりにも無機質で無表情な涼羽。

今しがた目の当たりにした、妹をその慈愛と優しさで包み込んで甘えさせている涼羽。


まるで別人かと思えるほどのギャップに、美鈴は半ば抗議するかのように涼羽に言葉をぶつけていく。


「お兄ちゃん、この人、だれ?」


そんな二人のやりとりに割って入るように、兄に問いかける羽月。

その顔には、どこか面白くなさげな表情が浮かんでいる。


「あ、ああ。彼女は俺のクラスメイトで柊 美鈴さん。柊さん、この子は、俺の妹の羽月」


突然の妹の問いかけに若干戸惑いながらも、二人にお互いを紹介していく涼羽。

紹介された二人にとっては、これが初めての『お互いを認識してからの』邂逅となる。


「羽月ちゃんって言うのね。初めまして」

「…初めまして」


人当たりのいいにこにことした笑顔の美鈴に対し、羽月は少し不機嫌そうな感じの表情。

決して人当たりは悪くなく、むしろ兄の涼羽よりも社交的なはずの羽月にしては、珍しい表情。


そんな羽月が気になったのか、思わず涼羽が声をかけてしまう。


「?羽月…どうかしたのか?」


決して問い詰めるような聞き方ではなく、むしろ羽月を気遣うような口調。

そんな涼羽の声に対し、羽月の反応は…




「!?お、おい!?羽月!?」




先ほどからさんざん甘えていたにも関わらず、またしても涼羽にぎゅうっと抱きついてその胸に顔を埋める始末。

いきなりの妹の行動に動揺している兄の胸の中から少しだけ顔を上げ、上目遣いで兄に問いかける。


「お兄ちゃん…初めてだよね?」

「え?な、何が?」

「お兄ちゃんが、この家に自分のクラスメイトを連れてくるなんて」

「?あ、ああ」


今更何を言い出すんだろう。

それは自分と同じくらい、この妹も知っているはずなのに。


そんな、知っていて当然のことを持ち出されて、思わずきょとんとした表情をその可愛らしい美少女な顔に浮かび上がらせてしまう涼羽。


そんな兄妹のやりとりの中、美鈴は…




「(そうなんだ…私、高宮君にとって、初めてお家に招いた人なんだ…)」




自分だけ。

目の前の美少女顔の美少年なクラスメイトにとっての、初めて。


そう思ったら、なぜだか妙に嬉しくなってきて…

なぜだか妙に誇らしくなってきて…


なぜだか、このクラスメイトにとっての特別になれたような感じがした。


ちなみに、美鈴が半ば泣き落としに近い甘え方で、涼羽に無理やりうんと言わせたという過程は、すでに今の美鈴の中からはなかったことになってしまっている。


だからこそ、なのだろう。


「お兄ちゃん、あの人のこと、好きなの?」


羽月の口から飛び出したセリフに、思わず心が高鳴ったのは。


「(え?…そうなの?高宮君?)」


その心が高鳴るたびに、自分の頬が熱を帯びていくのを自覚する美鈴。


くどいようだが、あくまで美鈴がここにいるのは、涼羽に半ば泣き落としに近い甘え…いや、迫り方をし、無理やりうんと言わせたからに過ぎない。


だから、次の涼羽の一言で、その熱を奪われることになってしまう。


「え?そんなわけないよ」

「!!」


あっけらかんとした、自然な表情で思ったことをそのまま口に出してしまう涼羽。

そんな涼羽の一言に、美鈴は思わず愕然とした表情になってしまう。


そんな美鈴に気づく素振りすら見せず、涼羽は続ける。


「!ほんと?」

「ああ。柊さんは、俺の弁当を見て、俺が料理できることを知ったから、俺に料理を教えてもらいたいだけだよ」

「そっか~…えへへ~♪」

「?羽月?」

「えへへ♪お兄ちゃんはわたしだけのお兄ちゃんだもん」

「?そりゃあ、俺の妹は羽月だけだし…」

「うん♪」


先ほどまでの不機嫌な感じが嘘のようにご機嫌になっていく羽月。

そんな羽月に対し、『よく分からないけど、羽月がいいならいっか』な軽い感じの涼羽。


またしても復活してしまった兄妹の固有結界の外で放置状態の美鈴。

そんな美鈴の心境は…


「(なんだろう…よくわかんないけど、なんか…すっごく悔しい!!)」


実際、クラスどころか学校内で常に孤立し、浮いた状態だった涼羽。

そんな涼羽に、自らアプローチをかけ、ある程度は普通の会話ができるくらいまでにはなったのだ。


そうすることで、涼羽が家事全般得意としていること。

冷たそうに見えて、人にお願いされると断れないこと。

よく見ると、下手をしなくてもそこらの女の子よりも可愛らしい美少女顔であること。


そして、そんな顔が困ったり恥らったりするのが、びっくりするほどのギャップを生み、それがまたものすごい破壊力であること。


正直、クラスの…

いや、学校内の誰よりも、涼羽のことを知っていると自負していた。


それなりの関係も築けている、そう思っていた。


涼羽に料理を教えてもらうために、自分のスケジュール管理を始めるなど、努力もしてきた。


だからなのだろう。




――――涼羽の何気ない否定の一言が、美鈴にとってものすごくショックだったのは――――




まるで、ここまでの自分の努力が。

涼羽に積極的に関わり、関係を築いてきたその時間が。


全ては無駄だった、と。


そう、言われたみたいで。


「(そう…そうなんだ。高宮君にとって、私ってそんなにどうでもいい存在だったんだ…)」


人が見れば、思わず後ずさっていたところだろう。

そのくらい、今の美鈴は不気味な笑顔を浮かべてしまっている。


そして、正常な状態の美鈴ならば絶対にしなかったであろうことを、今の美鈴は躊躇いもなくしてしまう。


「んっ…」

「!!」

「!!」


そう、まるでこちらに気づかず、まるで無防備な涼羽の背中にべったりと抱きついてしまう、ということを。


「ちょ、ちょっと!?柊さん!?」

「だ、だめー!!お兄ちゃんから離れてー!!」


当然、家族以外の異性にいきなり抱きつかれる、などという事態に涼羽は半ばパニック状態になり…

自分以外の女性が自分にとって最愛の兄に抱きついてくるなど、決して許せるものではない羽月から断固拒否の声があがる。


「うふふ…高み…ううん、涼羽ちゃんって、すっごくいい匂い。それに、男の子なのに、女の子に抱きついてるみたいな柔らかな感じ…いいなあ…」


この事態の原因である美鈴は、家族以外の異性に抱きつく、などという人生で初めての行為に、どことなく恍惚の表情を浮かべてしまっている。


涼羽の匂い…

涼羽の抱き心地…

涼羽のぬくもり…


その全てが、美鈴の心を奪っていく。


「!!ちょ、柊さん!!とにかく離れて!!それに、何その呼び方!?ちゃんづけなんてダメ、絶対!!」

「え~、だってこんなにも可愛いんだから、涼羽ちゃんって呼ぶ方が絶対合ってるよ~」

「俺が嫌なの!!男がこの歳になってちゃんづけなんて、恥ずかしくて死ねるから!!」

「だあめ。もうこの呼び方にするって決めたから。だって、涼羽ちゃんが可愛すぎるのが悪いんじゃない」

「そんなの、知らないよ!!だいたい、なんでいきなりこんなこと…」

「うるさ~い!!涼羽ちゃんは、黙って私にぎゅってされてたらいいの~!!」


もう完全に『キレた』と言う言葉がぴったりな状態の美鈴。

自身の、女の子として成長している身体を押し付けるかのように涼羽に抱きついてくる。


どちらかと言えば大きい部類に入る、その柔らかな双丘を押し付けられている状態の涼羽だが…

こちらは、抱きつかれることそのものに恥ずかしさはあっても、異性を感じることはなかった。


理由の一つとしては、実の妹とはいえ、年頃の女の子で、美鈴と同じように女性として育っている身体の羽月に常に抱きつかれている為、そういう感触に慣れてしまっているということ。


もう一つは、これはかなり問題があると言えるのだが…


涼羽自身のその秘められた母性が表に出るようになってきてから、もともと希薄だった性衝動がより希薄になっていってしまっていること。


つまり、『男が女を見る』というよりは、『母親が娘を見る』ような感覚で異性を見てしまっているのだ。


そんな状態の涼羽では、いくら今のように異性に抱きつかれたりしたとしても、勢いでなし崩しに…なんてことも起こることはなく。

それどころか、自分の体を大切にしなさい、といった感じで説教さえ飛んでくるかも知れないのだ。


という感じで、ド草食どころか感覚的には女子といっても過言ではない今の涼羽。


美鈴にそういう意図はないとはいえ、そういった彼女の行動にも『女』を感じることはなかった。


「もおー!!いい加減にお兄ちゃんから離れてよー!!」


そんな涼羽に日々甘やかされて、すっかり兄ラブになっている羽月が、なかなか涼羽から離れない美鈴に業を煮やして大きな声で強く言葉を放つ。


そんな、本人にとっては怒声のつもりの声でも、鈴が鳴るような可愛らしい声では、ただただ可愛いだけなのだが。


「やー!!羽月ちゃんはいっつも涼羽ちゃんにい~っぱい甘えられるんだから、ちょっとくらいいいじゃない!!」


キレた結果、どことなく幼児退行している感のある美鈴からの反撃の声。

自分は涼羽のことを大事な友人…

もしくは、それ以上の関係だと思っていたのに…


涼羽のあのさらっとした否定の声が兎にも角にも許せなくて…


ただただ、自分という存在を涼羽の中に植えつけたくて…


もう無我夢中で、涼羽の華奢な身体に抱きついて、離れない状態となっている。


「ふ、二人とも、いい加減に…」


前方は実の妹である羽月が、これでもかというほどにぎゅうっと涼羽の身体に抱きつき、その胸に顔を埋めている。


後方は今日初めてこの家に来たクラスメイトの美鈴が、その細く丸みを帯びた背中にべったりと抱きつき、その首筋に顔を埋めている。


自分を挟んで行われる二人の諍いに、さすがに涼羽も…




「いい加減にしないと、二人ともここから出て行ってもらうよ」




…と、怒りを隠せなくなってくる。


トーンが低くなったその声に、二人の体がびくうっ、と反応する。

まさに、母親に叱られたかのように。


「そんなに喧嘩がしたいなら、ここから出て行って、外で思う存分やってきなさい」

「あ…」

「ち、ちが…」

「いつまでも二人の喧嘩に挟まれて黙ってられるほど、俺はお人よしなんかじゃないよ」

「お、お兄ちゃん…」

「りょ、涼羽ちゃん…」

「ほら、喧嘩したいんでしょ?なら、外に行ってやってきなさい。俺はもう知らないから」


まさにもう知らん、といわんばかりのピシャリとした口調の涼羽。

完全に突き放した感じの口調となっている。


そんな涼羽に、まず羽月が大慌てで…


「ごめんなさい!!お兄ちゃん!!」


べったりとくっついた状態のまま、必死に声高に謝罪の言葉をその口から音にする。


「ごめんなさい!!わたしが悪かったから…だから…わたしのこと、嫌いにならないで…」


筋金入りのブラコンとなっている羽月にとって、兄に嫌われることは絶望以外の何者でもない。

そんな羽月が、あからさまに怒っている涼羽を見て、ショックを受けないわけがないのだ。


そして、涼羽の後ろにいる美鈴も、羽月と同じように…


「涼羽ちゃん!!ごめんなさい!!」


大慌てで、必死に謝罪の言葉を口にする。


「違うの!!私が悪いの!!だから、だから…私のこと、嫌いにならないで…」


涼羽との関わりが自分にとって、とても大きくなっている今の美鈴も…

羽月と同様に、涼羽に嫌われることは絶望以外の何者でもなくなっていた。


そんな二人を見て、涼羽は溜息をつくと、幾分穏やかになった口調で一言。


「…ごめんなさいは、俺にじゃないでしょ?」

「!!」

「!!」

「二人がお互いに、でしょ?」


その一言を口にした涼羽の顔には、慈愛に満ちた笑顔が浮かんでいる。

その顔を見て、二人は…


「ご、ごめんなさい」

「こっちこそ、ごめんなさい」


お互いに正面から向き合い、お互いに謝罪の言葉を相手に贈る。

それを見て、涼羽のその笑顔が、より慈愛に満ちたものとなっていく。


「お兄ちゃん…」

「涼羽ちゃん…」


そんな涼羽の笑顔を見て、それが自分達に向けられているのを見て…

二人の顔にも笑顔が浮かんでくる。


「はい、じゃあこの件はこれでおしまい」


喧嘩両成敗、ということで、一件落着とした涼羽の足が、そのまま自宅の中へと向かう。


「ほら、柊さんは俺に料理を教わりたくてきたんでしょ?」

「…うん!!」

「じゃあ、上がって」

「はい!!」

「羽月も、いつまでもそこにいないで、上がっておいで」

「うん!!」

「今日は羽月の好きなハンバーグにするから」

「ほんと!!やった~♪」


一触即発の険悪ムードが、瞬く間にこの和みムードに…


やはり涼羽の本質は、『お母さん』なのかも知れない。

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