大和屋と視える絵師(四)



「おちかさん、この家ではよくねずみが出るのですか?」


 前置きもなく尋ねた春冲に、おちかがびくりと肩を震わせる。


「え? あ……私は見たことがありませんけど……」

「そのわりには、屋敷には鼠捕りが多いな」


 確かに、と朔次郎は心中で同意する。土間や台所がもちろんのこと、この屋敷は至るところに鼠捕りが仕掛けられている。土地柄、鼠が多いのかと思っていたが。


「女中のおちかさんですら鼠を見たことがないのに、この屋敷にはどうして鼠捕りが多いのですか?」


 試すような笑みを浮かべる春冲が、弓型の目で久兵衛を見つめる。まるで、獲物を見つけた猫のような目だと思った。


「なぜ、と訊かれても……備えあれ憂いなしと言うだろう」

「にしても、この屋敷に置かれた鼠捕りの多さは異常ですよ。ざっと数えただけでも、二十はありました」


 ――――まるで、わざと鼠を捕まえようとしているみたいだ。

 妖しく笑った春冲が、ぴたりと足を止める。話しながら歩いていた一行は、いつの間にか長助が燃え死んだ井戸へと戻っていた。


「旦那。先程、これを畜生の毛のようだと言いましたね?」


 尋ねる春冲の手には、先程井戸で拾ったらしい短い毛束がつままれている。


「そうですね。よもや、それは鼠の毛だと言うのですか?」

「察しがよろしいようで助かります。これは鼠の毛ですよ。そして、長助を祟り殺したのも、他でもない鼠のモノノケです」


 モノノケの名を、旧鼠きゅうそという。

 春冲がその名を一息に言った時だった。最初に聞こえたのは、空気が弾けるような破裂音。次に聞こえたのは、耳をつんざくような、春冲の甲高い悲鳴だった。


「だ、旦那! 火が……っ!」


 遅れて、おちかがけたたましい悲鳴を上げる。慌てて目を向けた先には、袖を赤々と燃やすおちかが半狂乱になっていた。


「いったいどこから火の手が!?」


 動転している久兵衛を相手にしている暇はない。火が恐ろしいのか、春冲は井戸端で震えている今、一番冷静に対応できるのは朔次郎だけだった。

 釣瓶を動かして水を汲み上げると、おちかに向かって遠慮なくぶちまける。それでも炎は消えない。むしろ、勢いを増したかのような袖の炎に、おちかの狂った悲鳴が響く。

 ――――モノノケの起こした炎ならば、水なんかで消えますまい。


「春冲どの!」


 春冲の言葉を思い出した朔次郎が、咄嗟にモノノケが視えるという少女の名を呼んだが、当の本人はがたがたを震えたまま、井戸にしがみついている。真っ青に染まった顔からは、生気が感じられない。どうやら、真面に話もできないほど、動転しているらしい。

 ――――ままよ。

 本能的に大刀だいとうを引き抜いた朔次郎は、それをおちかに向かって振り下ろした。消えない炎ならば、元を立てば良い。咄嗟の判断で振り下ろした大刀は、幸いなことに炎のくっついた袖だけを器用に斬り落とした。恐怖から解放されたおちかが、魂の抜けたような顔で地面にへたり込む。そんなおちかの足元で、まるで意思を持っているかのような紅蓮の炎が、一瞬にして袖を燃やし尽くすと、しゅんと音を立てて消えた。


「……旧鼠」


 いったいどれほどの沈黙が降り積もったのだろう。ぽつりと落とされた久兵衛の声に、脱力していたおちかがぴくりと反応する。そのまま後ろにどうっと倒れて気を失ってしまった。


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