龍田ひかりはあなたがスキ? 15
「逢花……?」
扉の先にいたのは、パジャマ姿の逢花だった。
久し振りにお兄ちゃんと寝たくなったのかなと少し期待をしたが、眠たそうな目にはしておらず、寧ろいつものシャキっとした目つきをしていた。
蒼依さんは……どうやら鍵の開けられる音がした時点で動き始めていたのか、目線をちらりと向けるといつの間にか姿が無くなっていた。
流石はくノ一並の機動力があるだけのことはある……一安心した僕は逢花に向かってまた口を開いた。
「逢花、どうしたんだこんな時間に、眠れなかったのか?」
「……兄ちゃん」
そんな心配事をするより外側から開けるにはクリップ等を使わないといけないことに関して突っ込みを入れるべきなのだが、緋浮美ならまだしも逢花がこういう行動に出るのは非常に珍しいので僕は敢えて平静を装った対応をした。
「妹である私はとても心配しています」
「へ?」
正座の態勢になって神妙な面持ちでそう言う逢花に僕は身構えてしまう。
まさかさっきの話を聞かれていたのか……? マズいな……蒼依さんが家を出入りしていることも全部筒抜け――
「兄ちゃんがモテ過ぎて調子に乗っていないか心配で」
「……うん?」
「最近増々そんな気がしてきたというか、男の子の友達の話は全然聞かないのに女の子の話は滅茶苦茶聞くんだよねー」
「い、いや、そうか……?」
あまり家で僕の話はしない(するような話もないというのもあるが、逢花と緋浮美がよく自分の話をするので聞き手に回ることが多い)ので、普段の有り様なんて分かる筈もないのだが……。
「最近は髪の白いハーフっぽい女の子と楽しそうにお話していたみたいだし……いくらモテるからって色んな女の子に手を出すのは良くないと思うよ」
「ヘイヘイ逢花待ってくれ」
「え? なに?」
「その現場を物理的に目撃するのは不可能でしかないんですが……え、やだ、僕の愛しき妹は最近部活をサボりがちなの」
「いや目撃したのは緋浮美だけど」
「おおっと?」
いやそれはもっと物理的に不可能だろ……逢花は市内の学校に通っているけど緋浮美は市外なんだぞ……授業終わって直行しても間に合わんだろ……。
もしかして衛星レベルで監視されてるのかな?
「それに最近はコスプレ姿の年上のお姉さんとも交流があるみたいだし……ちょっと節操がないんじゃないかな? もっと前条さんを大事にしなきゃ」
「いや別に前条とは付き合ってる訳じゃ――」
つうかそこまで見られていたのかよ、流石に家の中じゃなくて外にいる時を見られてしまったんだろうけど……。
蒼依さんのことだからそこら辺は警戒してくれていると任せっきりにしてしまっていたな……これからはもっと注意しないと。
「ともかく! 女の子っていうのはとっても繊細なんだから、モテるのはイケないこととは言わないけど、もっと配慮しなきゃ駄目!」
「は、はあ……」
「緋浮美を宥めるのも結構大変なんだからね、まあ兄ちゃんの性格上中々そういう訳にもいかないんだろうけど――」
ぶつぶつと小言をいうかのように話す逢花から察するに、どうやら緋浮美が最近暴走気味だから勘弁してくれということか。
緋浮美の前だとこういう話は出来ないから、わざわざ深夜にけしかけて来たというなら得心も行く、兄として情けない限りだ。
……元より今回の件も慎重を期さなければならないのだし、逢花の言うことは一概に間違ってはいないかもしれないな。
「……分かった、迷惑をかけて悪かったな逢花、そういうつもりが無くても傍から見ればそう見えることもあるし、気をつけるようにする」
「まーそう言っても緋浮美の兄ちゃんラブは常人の範疇を軽く超えて来るからね……私も注意はするようにするからさ」
「ごめんな逢花、助かるよ」
「愛すべき兄ちゃんの為だからね――じゃ、おやすみなさい」
「ああ、おやすみ逢花」
一瞬冷や汗の出る展開だったが何とか切り抜けられたな。
――と気を抜いて逢花を見送ろうとした瞬間だった。
何食わぬ顔で部屋から出ようとした逢花が、突如踵を返し押入れの方へと駆け出したではないか。
「え!?」
あまりに唐突過ぎる行動に唖然としてしまい動きを取れないでいると、そのまま逢花は引き戸の押入れをぐいっと開け放ったのであった。
中から表れたのは少しだけ驚いた表情の蒼依さんの姿。
やられた……やっぱり逢花は扉越しに話を聞いていたのか――
「…………ふむ、驚きましたね、気配は消していたつもりだったのですが」
「兄と同じDNAなんですから舐めて貰っちゃ困ります」
「雅継様と……成る程、やはり兄が兄なら妹も妹という奴ですか」
いきなり戦闘でも勃発するのかと思い肝を冷やしたが、どうやら逢花は怒っているという感じではなく、淡々と対話をしていた。
蒼依さんも蒼依さんで出会い頭に逢花に手を出すんじゃないかと思ったが、どうやらそれも無いようで、相対する二人は極めて冷静な状態だった。
しかし漂う雰囲気はあまり芳しいものには見えない、僕は何とか逢花を落ち着かせようと恐る恐る声を掛ける。
「えっと……そ、その、逢花……?」
「蒼依さん……でいいんですよね、兄がいつもお世話になっております」
「とんでもありません、こちらこそいつも朱雀様がお世話になっております」
「朱雀様……もしかして前条さんとお知り合いなんですか?」
「お知り合いも何も専属のメイドをさせて頂いておりますよ」
「やっぱりそうなんだ――その衣装も本物……?」
「ええ、一年の殆どの間はメイド服を着て前条家に従事しております」
しっかりとした挨拶から当たり障りのない会話へと、一見すると何事もないように思えるが、あんな大胆な行動をした時点で逢花には何か裏がある筈……。
何か良からぬことをしなければいいが……とそわそわしながらその様子を見ていると逢花がくっと蒼依さんを見上げる形で首を上げた。
「あ、あの……蒼依さん」
「はい、どうされましたか逢花さん」
「……………………えいっ」
と、逢花は小さく声をあげると何を思ったのか蒼依さんに飛びついたではないか。
「は!? お、おい逢花!」
「あ、逢花さん……?」
「蒼依さん、お願いがあります、兄を守ってあげてくれませんか?」
「お、お前何を言って――」
「兄はとても大馬鹿な人なんです、お人好しが過ぎると言いますか、悪事を見過ごせない正義気取りの凡人でして、それなのによく一人で無茶をしては落ち込むを繰り返すどうしようもない人なんです」
さらっと酷いことを言われた気がするが、決してふざけている様子でも無かったので僕は何とも言えない気持ちになる。
「それはまた……とんだ大馬鹿者でございますね」
「でも、私はそんな兄が大好きなんです、でも兄にはいつも笑っていて欲しいんです、でもそれはきっと一人のままじゃ出来ないことだと思うので……」
「逢花……」
妹を心配させる兄であってはならないと、常に言い聞かせてきたつもりだったが、どうにも兄妹に隠し事をするというのは難しいらしい。
こんなことを逢花に言わせてしまうとは、何と恥ずかしいことか、兄として失格にも程があるぜこれは……。
あまり褒められた行動ではないので逢花を引き留めようと思っていたが、そんなことを言われてしまっては僕も立つ瀬がない――
とはいえ、どうしたものかと思っているとそんな逢花の様子を見た蒼依さんはふっと笑って逢花の頭の上に手を置いた。
「逢花さんはとてもお兄さん思いの子なのですね」
「…………」
「ですがご心配なさらないで下さい、前条家の誇りに賭けて必ず雅継様はお守り致します、元よりその為に私はここにいるのですから」
「あ、蒼依さん……」
「それに、何だか少し懐かしい気持ちになりました、とても甘美で優しい――」
「?」
蒼依さんは何かを言いかけた気がするが、それを途中で止めるとしがみついていた逢花をそっと離し、身体を屈めると逢花の目の前に小指を差し出した。
「逢花さん、私の方こそ感謝致します。必ずや何事も無く問題を終えてみせましょう、良ければ指切りで約束をしませんか」
「……! はい!」
そんなことを言うと、彼女達は不穏だった空気を歌で掻き消すようにして、指切りをするのであった。
逢花の来襲はあまりにも想定外で正直どうなることかと思ったが、お陰でより一層決心が固まる出来事になってくれた気がした。
誰も傷つくことなくこの問題を終わらせる、簡単なことではないのかもしれないが、一人でないと言ってくれるのなら、それは決して無理難題ではない筈。
ありがとう逢花――本当に誇らしい妹だよ。
「指きりげんまん嘘ついたら74式車載7.62mm機関銃ぱーなす、指切った!」
「……蒼依さん?」
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