Ⅰ Epilogue

「――ルーイットさん、ですか? そのような冒険者の名前は聞いた事がありませんねぇ」


 明けて翌朝、アッシアの冒険者ギルド。

 受付嬢の〈獣人族セリアン〉のフェルがきょとんとした表情で答えた回答に、エクアは表情に影を落とした。


「それで、そのルーイットさんがいかがなさったのです?」

「……お礼を、言いたくて……」

「お礼、ですか?」


 フェルの言葉にエクアは力無く頷いて、事の顛末をゆっくりと語り始めた。

 ルーイットに食事を奢ってもらえた事や、宿に泊めてもらった事――もちろん、男女の関係などなかったと顔を真っ赤にした場面もあるにはあったが――。

 そして、ラゼットらに連れ去られそうになった時。


「――「聞こえてるだろ、エクア。ちょいと派手にそいつを止める。捕まってろ」って声が、確かに私の耳にはしっかりと聞こえたんです! あの声を聞き間違えるはず、ありません!」


 孤族の〈獣人族セリアン〉であるエクアには、あの魔導車の中にあっても外の声を聞き分ける程度の素質はあるかもしれない。だが、それはかなり稀有な才能であると言っても良い。

 目の前に立つ、所在なさ気に身を縮こまらせながらも、存在感を存分に有している膨らみを持つというなんとも理不尽な光景――フェルの主観だが――を見つつ、フェルは苦笑へと切り替えた。


「今回のラゼットさん――いえ、ラゼットら三名は捕縛されていますし、聞き間違いではありませんか?」

「そ、そんなはずは――!」

「なら、そのルーイットさんを連れて来てもらえますか? もしも今回の騒動に関係しているのなら、その方にも報奨金が支払われる可能性がありますので」


 あくまでも事務的に笑みを浮かべ、取り付く島もないといった態度で答えるフェルを前に、エクアは生来の気弱さのせいか、おずおずと引き下がると、ギルドのロビーの片隅にちょこんと腰掛けた。

 そんな態度を見つめて、フェルは気の毒そうに僅かに顔を歪ませると、『隣の窓口へどうぞ』と書かれた立て札を机の上に置くと、苛立った様子で席を立ち、ずんずんと冒険者ギルドの最奥部に位置するギルドマスター――オルトリの部屋へと進んでいく。


 ノックの音と扉が開くのに、そう時間はかからなかった。

 きょとんとした表情で来訪者を見やるオルトリが座る椅子へ、フェルが鬼気迫る表情で歩み寄り、バンッと勢い良く机を叩いた。


「マスター。ルーイットさんを出しやがってください」

「……ノックの返事も待たず、しかもその微妙な敬語かい? いやはや、穏やかじゃないね、我がアッシア支部の看板娘は」

「はぐらかそうったってそうはいきませんよ! エクアさんの悲しそうな顔を見ながらとぼけなきゃいけないこっちの身にもなってくださいッ!」


 再び机を手のひらで打ち鳴らしながら叫ぶフェルを前に、オルトリは苦笑を浮かべながら「どうどう」と馬を落ち着かせるかのように声をかけると、ふと遠くを見るように後ろにあった窓から外を眺めた。


「彼ならもう、この町を発ったよ」

「え……?」

「元々、彼はあまり人と関わるタイプじゃないからね。もっとも、今回は僕が無理を言ったからこそ、エクアさんを巻き込むようなやり方をしていたみたいだけれどね。本来なら、ルーは依頼中は誰とも接触しようとはしないんだ」


 ――裏の仕事を始めてからは、特にね。

 そう付け加えるオルトリの表情はどこか寂しげなもので、フェルも女の敵でも見ていたかのような怒りを萎ませた。


「……『裏』の人達の情報を秘匿するのは、私だって受付嬢として把握し、実践しています。ですが、存在すら否定する程の真似をするのは異例中の異例ではありませんか。何故そこまで……」

「ルーだから、だよ。エフェルトア王も、ルーの存在を秘匿する事を認めているからね。少なくとも、この国ではルーの足取りを追える人物なんて、そうそういないんじゃないかな。ギルドでさえ、彼を追うには特殊魔法を使ってどうにかって所が限度だからね」


 そう言いながら、オルトリが机の引き出しから布で包まれた何かを取り出し、机の上に置いた。中身は相当な重さと、金属がじゃらりと鳴るような音からも、かなりの額の金貨か、もしくは銀貨が入っているだろう事が推測できた。


「ルーから、自分の報酬の半分をエクアさんに口止め料と協力の報酬として渡すように言伝されているよ。フェル、エクアさんにうまく言って、これを受け取ってもらえるように取り計らってくれるかな」

「む、無茶言わないでくださいよ……。大体、存在すら否定するような事を言ってあるのに、どうやって渡せって言うんですか……」

「僕のギルドマスターとしての権限と、彼の古い友人としての権限を使おうじゃないか」

「……? どういう意味です?」

「あの子には、ルーの存在を明かして良い、と言ったのさ」


 目を丸くして自分を見つめるフェルにくすくすと一笑いしてから、オルトリは優しく目を細めた。


「……僕が言うのもなんだけど、ルーはね、過去に囚われているんだ」

「過去、ですか?」

「そう。彼の過去はあまりに壮絶で、凄絶だ。真っ暗な闇の中にいるような彼を救い上げた人がいたんだけれど、今はその人もいない。闇そのものにさえなりかねない彼を照らすには、太陽が必要なんだ」

「それが、エクアさんになら務まる、と?」

「僕としては、そうなってほしいと思っているよ。ルーにしては珍しく、他人を気遣うような素振りを見せた相手だから、ね」


 ラゼットらを捕まえ、信号弾を打ち上げたルーイットに合流し、奴隷にされかけていた少女達を救出した昨夜、ルーイットはエクアの無事の確認と、今回の報酬の割り振りをわざわざ伝えに、オルトリの前に姿を現したのだ。

 この二年、裏の仕事をこなすようになってから、ルーイットがそんな真似をした事は、未だかつて一度たりともなかった。エクアという少女が、良くも悪くも、陽の当たる世界にルーイットを繋ぎ止めるための楔になってくれるのではないかと、過去を知るオルトリだからこそ、そう思わずにはいられなかった。


「希わくば、彼には光の当たる世界を歩んでほしいんだよ。――……僕のようにならずに、ね」


 シャーロットを介してルーイットが得た情報。そして、今回のアルヴァノ帝国による一件で、オルトリの心は静かに煮え滾っていた。

 人の好さそうな笑みを浮かべる西端な顔つきで、しかし瞳には冷酷ささえ窺わせる光を宿して呟くオルトリの姿に思わずフェルが身を縮こまらせ、四の五の言わずに逃げるように部屋を飛び出した。


「……アルヴァノ帝国。ただで済むとは思わないことだ」


 部屋から脱出して安堵の息を漏らしたフェルが、部屋から漏れるオルトリの冷たい気配に身を強張らせ――お金を部屋の中に忘れたと気付き、絶望したのはそのすぐ後であった。







 ◆ ◆ ◆







「――良かったの? 何も言わずに去っちゃって」


 アッシアから北へと進む街道。

 森の中を通る道にある休憩所で、魔導車の上で寝転がりながら微睡んでいた俺の顔を覗き込むように、シャルが陽の光を遮りながら訊ねてきた。


 目を開けたら眩しそうだ。

 このまま目閉じてりゃいいか。


「言うも何も、俺は裏に生きてる。何か言うような義理はねぇよ」

「あっそ。でもあの子、多分アンタを追いかけようとするわよ」

「そりゃ無理な話だろ。俺の情報は全て書類上でも表向きでも、あの町からはすでに消えてるだろうからな」

「でも、オルトリが受付嬢使ってアンタの事バラしてたわよ」

「はぁっ!?」


 思わず声をあげて目を剥くと、太陽の光がわざと当たるようにシャルが顔を避けた。眩しさに顔を顰める俺の耳に、シャルがクスクスと笑う声が聞こえてきた。


「ちょうどいいんじゃない? アンタすぐ無茶するし」

「無茶なんてしてねぇよ」

「はいはい。私がアンタの傍にいてあげれればいいんだけどね。生憎、私は私で忙しいから」

「……アルヴァノの仕事、続けるつもりか?」

「えぇ。あの国じゃなきゃ手に入らない情報も少なくないしね。アンタにとっても、好都合なんじゃない?」

「……ま、そりゃそうだが」


 アルヴァノ――いや、アグラの関係者が生き延びている可能性がある以上、俺はあの国には近づくつもりはない。そういう意味で、今回シャルが情報提供と共に提案してきた「今後の情報の共有」という約束は、正直言ってありがたいものであった。


「……ねぇ、ルー」

「あ?」

「アンタはさ、絶対に――生きてね」


 ようやく目が慣れて、シャルの方へと振り返って目を開けると、すでにシャルはその場から立ち去った後のようで、森の中に設けられた休憩所には俺と俺が寝そべっていた魔導車だけがぽつんと取り残されていた。





 眩い陽光の下は、昼寝には適している。

 けれど、俺のいるべき場所は、こんな温かな陽だまりの世界じゃない。






「……生きるさ。少なくとも、アイツの仇をこの手で取るまでは」






 短く呟いて、俺は再び闇の中へと潜り込むように陽の光の当たらない場所へと、魔導車を進める事にした。

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黒の断罪者 白神 怜司 @rakuyou1214

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