8.

 いつの間にか眠っていたようだ。

 カーテンを開いたままにしていたせいで、東向きの窓は容赦なく日光を部屋の中に取り入れている。

 携帯で時間を確認すると、まだ五時半過ぎだった。

 昨日といい今日といい、やたらと健康的だ。睡眠時間に関して言えば。

 床には空になった緑色の缶が一つ転がっている。髪を乾かさずに寝たせいで、寝癖が酷いことになっていた。

 洗面所で頭を濡らして、ドライヤーで乾かしつつうねる髪を宥めすかせる。

 昨夜はろくに食べずに寝たはずだったが、とりたてて食欲はわかなかった。

 とりあえず顔を洗って歯を磨き、着替えて出かける準備をする。

 財布、音楽プレーヤーとイヤフォン、通帳。それに、少し考えて読みかけの文庫本を一冊。

 荷物をメッセンジャーバッグに詰めて、戸締まりを確認する。

 自転車の鍵と、自分の家の鍵を持ったところで、ふと昨日百瀬に託された鍵がないことに気づいた。

 しかしそれも予想済みだった。特に気にせず玄関へ向かう。

 一番履きなれたスニーカーを選んで、靴ひもをしっかり結び直す。

 キーホルダー一つ付けていない鍵を挿したところで、何度となくは鍵にキーホルダーを用意しなければと考えていたことを思い出した。

 今はわざわざ買わなくて良かったと思う。

 何せこの鍵だってじき、必要なくなる。

 

 アパートの階段を一歩一歩踏みしめるように降りて、いつものように駐輪場へ向かう。

 駐輪場のすみに止めた自分の自転車のかごに、自転車のかごに見慣れないものが入っていた。

 百瀬の置き土産の二つ目、虫取り網だ。長い柄がかごの隙間を抜けて、先端部が地面についてしまっている。

 今日び、小学生さえ持たないような代物。大学生がこんなものを持ち歩いていたら怪しがられるだろう。

 それでも良かった。もう良いと思えた。

 流石にかごに虫取り網を載せたまま自転車を走らせる訳にもいかないので、網は右手に持って自転車に股がる。

 行き先を決めないまま、軽いペダルを漕ぎ出す。

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