7.

 握らされた鍵を挿して回す。がちゃりと音がして、呆気なく、三塚は百瀬の部屋に入ることが出来た。

 自分の部屋と全く同じ間取りなのに、住む人間が違うとこうも印象が変わるものだろうか。

 百瀬の部屋は生活感がまったく感じられなかった。

 綺麗に片付けられているのもあるが、そもそも物が少ない。

 余計なことを考えるのをやめて、百瀬の言葉を思い出し、冷蔵庫を開く。

 中身は殆どが緑色の缶だった。それと、僅かな調味料。

 一般的な女子大生の冷蔵庫がどんなものかは知らないが、間違ってもこうではないだろう。

 とりあえず、両手に抱えられるだけの缶を持ち出して、自分の部屋の玄関先に置き、再び百瀬の部屋に戻って鍵をかける。自分の予想が正しければそうする必要はないかもしれないが、なんとなく、そうしておきたかった。

 玄関先に転がる緑色の缶を踏まないように気をつけながら自分の部屋に入って、タオルを取り出し全身をざっと拭く。ただ、着ていた物は一つ残らずぐっしょり濡れていたので、途中から拭くのを諦めて服を脱ぎ、まずはシャワーを浴びることにする。

 アパートのシャワーの水圧はお世辞にもあまり強いとは言えなかった。先ほどまで浴びた雨の方が勢いは強い。

 自然の力は偉大だ、などと的外れなことを考えながら、頭上に固定したシャワーヘッドの下で熱い湯を浴びる。

 暫くそうしていると、冷えきった体も徐々に温まってきた。

 寒さにとらわれていた思考回路が自分の制御下に戻ったところで、先ほどまでのことを思い出す。

 むせ返る程の湿った土の匂い。

 視界をけぶらせるほどの強い雨。

 叩き付ける大粒の雨粒。

 濡れて深みを増す黒色のパーカー。

 目に痛い、真っ赤な色のスニーカー。

 あまりにも荒唐無稽な話。

 濡れて額に貼り付く前髪。

 その奥の茫洋とした瞳。

 冷たい掌。

 自分を押しやった、掌。

 運転の荒いトラック。

 ――そして、消えてしまった百瀬。

「……どこ行ったんだ」

 一人自問するが、答えは既に分かっているようなものだった。


 体が温まったところで浴室から出て、寝間着代わりにしているジャージに腕を通す。

 雨のせいか湿度もずいぶんと低く感じられた。あるいは、既に風邪を引いてしまったのかもしれない。

 髪をタオルで拭きながら寝室に戻ろうとして、ふと玄関先に転がしたままの緑色の缶が目に入った。

 百瀬の置き土産。寒くて飲む気分にはなれないが、なんとなく一つをつまみ上げて、寝室へ戻る。

 缶は先ほどまで冷蔵庫に入れられていたおかげで、まだキンキンに冷えていた。

 プルトップを起こして、一気に――百瀬がそうしていたように――喉に流し込む。

 苦みが口いっぱいに広がり、炭酸とはどこか違う刺激が喉に刺さる。

 昨日のように美味しいとは思えなかった。

 『ビールは暑い日に飲むのが良いのであって、寒い日に飲む物じゃない』

 どこかで聞いた話だ。父親からだっただろうか。それとも何かの本か、あるいはテレビか。

 いずれにせよ、まずく感じるのは寒さのせいだと、そう思い込むことにした。


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