5.

 少し眠るだけのつもりが、朝まで眠ってしまったらしい。

 枕元においた時計の指す時刻は六時過ぎだ。丸々十二時間も眠っていたことになる。

 重たい体を起こしてまずはカーテンを開く。昨日の快晴が嘘のようにどんよりとした雲が立ちこめていた。もしかしたら今日は降るかもしれない。

 それからベッドの端に寄せていたはずの衣類が床に散乱しているのに気づいて拾い上げ、再びベッドの上に戻す。

 先にシャワーを浴びるか、それとも朝食をとるか悩んで、シャワーを優先することに決める。熱い湯を浴びると否応にも目が覚めた。

 続いて朝食の支度をする。

 といっても、パンをトーストして、インスタントのコーンスープを用意するだけの至って簡素なものだ。母親が見たら嘆くに違いない。もっと野菜を食べなさい、だとかなんとか言って。

 食後にインスタントコーヒーをいれて飲み、食器を片付ける。

 今日の授業は二時間目からだが、とりあえず学校へ行くことに決めた。図書館に行けば何か掴めるかもしれないと思ったからだ。

 昨日見たものの正体が幻覚であろうとなんだろうと、それはそれで構わなかった。とにかく、あの魚に関する情報を仕入れておきたかった。


 結論から言って、図書館では何も掴むことができなかった。

 当然と言えば当然だ。今得ている情報で関連する項目が載った本を探すのは無理だったし、かといって司書に資料を探してもらうよう頼むのも馬鹿馬鹿しい。こちらがどうかしていると思われるのがオチだ。

 それならばとインターネットで昨日見た魚の特徴から、種類だけでも調べようと思ったが、調べ方が悪いのか、存在しない種なのか、とにかく同じようなものは見つからなかった。

 諦めてひとまず二限の教室へ向かう。もしかしたら同じ授業を受ける人の中に、百瀬の知り合いがいるかもしれない。そうすれば魚のことはともかく、百瀬については何か話を聞くことが出来るのではないか。

 そんな三塚の希望はあっさりと叶えられた。

「百瀬ちゃん? もちろん知ってるよ、同じ学科だし」

 明るめの茶色に染めた髪を綺麗に巻いた、三塚の先輩にあたるその人は、そう言って甘ったるい笑みを浮かべてみせた。

 二限の授業は出席簿に毎回自分の名前と学籍番号を書いていくことになっている。そして、学籍番号を見れば入学年度と学部学科がある程度、分かる。

 たまたま三塚の隣に座っていたその人の学籍番号を見て、三塚は彼女が自分の一つ上の先輩で、学科が同じであることを知ったのだった。

 なんというか、砂糖菓子みたいな人だと思う。香水こそつけていないものの、甘い匂いが漂ってきそうな。

「あ、あたし塚田。塚田灯里。えっと……」

「三塚です。人社一年の」

「ふむ、では三塚くん。どうして百瀬ちゃんに興味を? 気になる? ちょっと近寄りがたいけど美人さんだもんね、百瀬ちゃん」

 塚田がにやりと笑う。

「……違いますよ。あの、何でも良いんで何か百瀬さんに関すること教えてもらえませんか」

 どうして女子はこの手の話題を好むのか。頭が痛くなるのを感じながら三塚は言葉を重ねるが、この訊き方では余計怪しいということに気づく。

 これでは墓穴を掘ったようなものだ。

「ふうん?」

 塚田がますます笑みを深める。

 三塚の頭の中の傍観者気取りが、それ見たことかとせせら笑う。

「といってもねえ、百瀬ちゃん二年になってから一回も見かけてないんだよね。ガイダンスも来てなかったし、授業でも全然見かけないし。一年の後期まではそんな授業をサボるイメージなかったのに。何かあったのかな?」

 さっきまでにやにやしていたと思ったら、今度は思案顔になっている。塚田は表情のくるくる変わる人だった。

「まあ、あたしもそこまで百瀬ちゃんと仲が良いわけでもないから、特に知っていることはないんだよね」

「そう、ですか。じゃあ誰と仲が良かったかは」

「あ、それなら分かるよ! いっつも一緒だった子がいたから!」

 途端に塚田の表情がぱあっと明るくなる。しかし、それも一瞬だった。

「……うちの、学科で……それで……」

 机の上にのせた自らの指先を塚田が睨みつける。

 ご丁寧に一本ずつ違うパステルカラーに塗られた長い爪。

 明らかに、料理をするには不向きな。

 きっと彼女は自炊なんかしないのだろう。あるいは実家生なのだろうか。

 そんなことを内心で思いながら、三塚もなんとはなしに綺麗に塗られた塚田の爪を見る。

 そういえば百瀬はどうだろう。イメージだが、爪を伸ばすことだけでも嫌がりそうだ。

「……思い出せない」

 蚊の鳴くような声で、泣き出しそうな表情で、ようやく塚田がぽつりと言った。

「あ、それなら名前は良いです。見た目の特徴とか教えてもらえれば」

 安心させるように三塚はぎこちなく笑ってみせるが、塚田の表情は晴れない。

 それどころか、更にその顔は泣き出しそうに歪んだ。


「何も、思い出せないの。確かに居たはずなのに、百瀬ちゃんの隣にいつもいたはずなのに」

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