2.

「……あの、」

「あ、ちょっと待ってくださいね、もう少しで終わりますんで!」

 時間がかかりすぎていると文句でもつけられると思ったのだろうか。言葉の割にはのんびりと作業を進める自転車屋の店員の返事に、三塚は舌先まで出た言葉を飲み込む。

 誰でも良いから、さっき自分の身に起こったことを聞いてもらいたかった。しかしこうも出鼻を挫かれると再び口火を切るタイミングが分からなくなってしまって、結局黙り込むことになる。

 手持ち無沙汰になって、三塚はあてがわれた丸椅子に座ったまま店内をぐるりと見渡した。

 狭く雑然とした店内には、修理待ちであろう自転車や、工具類、それに細々としたもの――自転車用の鍵やチェーン――が所狭しと並べられている。

 そして嗅ぎなれない匂いと共にこの場を満たしているのは、古ぼけたラジカセから流れるラジオの声だ。

 店の隅にひっそりと置かれた、見るからに年季の入ったラジカセからは、ちょうどF市の町中で発見された水死体のニュースが流れていた。

 死因は溺死。しかし、海水を大量に飲み込んだ痕跡があるものの、遺体は全く濡れていないのだという。

 奇妙と言えば奇妙だったが、どうせ犯人は溺れ死んだか、溺れ死なせた人間をよく拭いて服を着替えさせて、それから町中に放置したのだ。

 わざわざそんなことをした犯人の意図はまるで分からなかったが、それでも大して興味を惹かれはしなかった。同じ県内とはいえF市は遠いし、もっと陰惨な事件なんていくらでもある。

 最後に空気圧の調整をして、代金と引き換えに自転車を受け取る。

 前輪のみのパンクで六百円。本来であれば修理費はもう少し高いらしいが、まだ購入して二ヶ月も経っていないからということでまけてもらえた。

 店員に見送られながら、近くのスーパーへ足を向ける。

 もう冷蔵庫の中には何も残っていなかったはずだ。いい加減何か買って帰らなければ。

 思い返せば先月、進学のために上京して入学式を終えた頃に、実家から大量の野菜が送られてきたことがあった。

 一人暮らしなのにそんなに食べきれる訳がない。そう電話口で母親に言うと、お隣さんにでも配れば良いじゃないと楽しそうに返されたのだった。

 簡単に言ってくれる。そもそも、隣には引っ越しを終えてから挨拶など行っていないし、もちろん向こうがきたことだってない。突然野菜を持って挨拶に行ったところで不審に思われるだけだ。

 そう主張しても、母親はまるで取り合わなかった。それどころか『挨拶に行くちょうどいい口実が出来て良かったじゃない』などと声を弾ませる始末。これ以上何を話しても無駄だと思って、そこで電話を切ったのだった。

 結局あの野菜は食べきれなくて大半を傷めて捨ててしまった。勿体ないことをしたと思うが、野菜よりもっと日持ちするものを送ってくれたら良かったのに、と母親を恨む気持ちも多少はある。

 料理なんてそんなに出来る訳でもないのだ。それは母親が一番知っていることだろうに。

 苦い記憶を振り払って自転車に股がる。空気圧の調整をしたばかりの自転車は、驚く程ペダルが軽い。

 何を買って帰ろうか。そんなことを考えながら自転車を走らせているうちに、先ほど見たものの記憶は頭の隅に追いやられてしまった。

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