小見出しが判り易いので、気軽な参考書と言う感じのエッセイ集です。
言葉遣いに拘るのは、文章に関わる職業に就かれているからだと推察します。包容力を感じる文体から、高校の現代国語の先生では? と勘繰っていますが、真相はどうでしょう。
小中学生の時の自分は、国語が大嫌いでした。現代国語には「習わなくても話してるわ」と反発し、古典には「もう話す事は無いわ」と反発しておりました。不思議と、初老になった今は最も興味深く、この類のエッセイを読んでしまいます。
一旦読了しましたが、連載中なのでフォローを解かずにおきます。更なるエピソードが楽しみです。
私事になるが、大学生の頃、新明解国語辞典にはまった。
国語辞典にはまる、というと妙な感じを覚えるかもしれないけれど、辞書好きだったらきっと、「新明解が好き」と聞いただけで「あー、そうなのね」と頷いてくれるはずだ。そのくらい個性の際立った辞書であり、国語学の授業で幾つかの辞書を比べ読んだ途端、あまりの面白さにどはまりした。
それが何版だったかは覚えていないけれど、「馬鹿」の項を引くと「相手に甘える際の女性語 例 バカバカ」などとあって、それはもう、今までの辞書の概念を変える面白さだったのだ。辞書に喧嘩を売られるなど、ハタチ過ぎるまで経験したことがなかった。
このエッセイを読みながら、久しぶりに、その頃感じていた言葉を突き詰めてみることの高揚感を思い出した。そうそう、言葉って面白い。
一言で説明するのであれば、これは言われてみるとよくわからないまま使っていることの多い日本語表現の「間違い」に関するエッセイだ、ということになる。そして対象が何であるにせよ「間違いの指摘」は極めて難しい作業だ。ましてや相手が言語であればなおさらのこと。死して動かぬものではない。生きており、日々変化していくものが相手だ。一つの集団ではほとんど使われない表現が、ごく普通に他集団で使われている例もあるだろう。
この難しい作業を、絶妙なさじ加減でやってのけているのがこのエッセイ集だ。
言語が生きているものであることを前提として保ちつつ、規範の変化なのか、「誤用」なのかを細心の注意をもって見定めていく。実際に取り上げられる語も興味深いし、知らなかったことも多いのだが、それよりも、何よりも言葉を扱う職人芸のような鮮やかな手つきに惚れ惚れする。とても繊細だ。そして、とても大胆。