三山木

綣野緒途

三山木


いつの間にか夜になってしまった。


疲れのせいからか夕方に寝てしまった。


雨が降っていた。


胸に何かつっかかたような、人に伝えるとしたらそれはおそらく悲しい気持ちが心の一面を覆っていた。





外はすっかり夏の夜の匂いだった。


めまいがした。


僕はこれまで何人もの人にこの匂いがいかにいい匂いであるかを伝えてきた。


でもどうやら彼らにとって僕の話す言語は見聞きしたことのない他国の言語のようだった。彼らは一様に僕にそのことが理解できない旨を伝えてくれた。





今日も深夜のコンビニは来ないかもしれない誰かのために開いている。


店員はおつりを渡して深々とお辞儀をした。


「ありがとうございました。またのお越しをお待ちしています。」


そして僕は


「ありがとうございます。」


と言う。



でも僕もこの人もみんな、ありがとうございますなんて微塵も思っていない。


この店員はただこのコンビニのオーナーに雇われて働いているだけなので、ここの売上とは無関係に収入が入ってくる。




客は来ないほうが楽にお金が入るのでお前には二度と来てほしくない。



なあ、そうだろう?そう言ってみろよ。


ありがたい客がくるおかげで打ちたくないレジを打って、言いたくない言葉を発し、面倒くさい品出しをしている。





どうやらこの世界の全ては誰かの取り決めによって定められたある規則に沿って動いているみたいだ。


これが社会というものらしい。


俺はそれを義務教育で教わった。そしておそらくあの店員も気持ちの悪い教師に偉そうに教えられたのだろう。


俺たちはそれをしないと怖い誰かに怒られてしまうので、弱っちいやつらは仕方なくそれをやり続けている。


でも50年後には俺だけしかしていないかもしれない。




誰かが言った。


「お前、気持ち悪いんだよな。」



ねえ、なんで先生。


人には心があるって言ってたじゃないですか。


みんなの笑い声が聞こえてきて、俺は家のディレイを踏み忘れたことを思い出す。


俺は今日も傷ついて、そして一刻も早くこの世界からいなくなりたいのです。





「思ってもいないことを言うね、君は。」


そう言われて俺はケラケラと笑った。


少し頭がぐらついている。こないだ失敗したデートの話をしている。



きっと誰にも分からない。


分かってくれなんて言わない。


でもせめて、少しだけでいい。分かろうとしてくれ。


俺は心から、分かりたいと思っているよ。


伝わってるか。





「最近風が強いよね。嫌になっちゃう。」


かわいいあの子の顔が揺れている。残像がぼやける。何も言ってくれなかったな。


世界が音をたてて歪む。


そのまま大好きな煙に巻かれていく。





気づいたら俺はめまいで潰れていた。


おもむろに起き上がる。


名前を呼ばれた。


ゆっくりと視線をあげる。


その先にヤツが待っている。


「おはよう。大丈夫? そろそろ行く?」



鮮やかな朝だった。






カーキ色は風がどこかへ連れ去ってしまった。どうやったら会えるんだろうか。


憧れた空を飛ぶことは、それは素敵なことだと俺は決して言えなかった。



彼女はポップスを抱いて寝てしまった。


俺はG#マイナーセブンスコードが好きだった。


彼女は野球が好きだった。


俺は野球を知らなかった。


ただそれだけのことだった。





カラスは通りを歩く人を見ながらいかにしてゴミを奪うかを考えている。





烏丸御池の交差点が好きだ。


アスファルトは何もなかったような顔をして、だけどいつかの雨に濡れている。


ニュースは毎日誰かの死を告げる。空は曇天を地面に押しつけている。


俺には分かる。円山公園ではきっとどこかで一輪の花が泣いている。





何気ない事。朝に飲んだコーンスープ。


やつらが好きなジュースは味気ないカルピス。大事そうにいつも持っていた。


誰も知らない火事。いつまで寝てんだ、ジョンレノン。






好きだった。


確かに、好きだった。


人を小ばかにしたようなテレキャスター。


仕方ないねとつぶやいて、笑顔でゴミをつまんだお前はどこへ向かうのだろう。




俺は歩く。殺したいくらい嫌いだけど、死ぬほど守ってやりたい俺の方。





お父さん、今日は家に入れてくれるかな。


「お前のそれは文学でもなんでもない。」


世間が笑っている。


カーキもきっと、誰かと笑っている。


嫌わないで。






校正なんてしない。


俺の22年間。


愛着に埋もれた22年間。


指を指された顔。どこかで誰かが笑っていると怯えている。


笑顔。未亡人が褒めてくれたのさ。


もっとくれよ。


ずっと欲しかった。


そのままの、愛。





母さんは死にたいと言う。


首を振る。


「みんなもうあなたが怖いのよ。」


悲しい顔をしながら手を振っている。


夕方。


誰かが誰かを傷つける。


振り向いてもまだそこに在る。


うつむきがちの長岡京。


一人で出てきた東京。


電話先で聞こえる悲鳴。


涙。


俺はどこかに。


どこかに行きたいです。






青い警官は僕の目をじっと見ている。


僕はこの時、目の前にいるこの警官が自分が生涯でかかわってきた誰よりも僕のことを公平に見てくれているような気がした。



「これは本当に...君がやったのかね?」



僕は黙ったまままっすぐ警官を見た。


言うべきことは何もない。おしまいだ。


これは僕が望んでしたことだ。


これだけが生涯で唯一の僕の責任だ。


喜んで受け入れよう。



ついに僕は正式にみんなと同じではなくなる。


もう普通の扱いを誰にも求めなくていい。


犯罪者という肩書。




俺はやっと、本物の自由を得る。


みんなは楽しそうに歌を歌う。




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三山木 綣野緒途 @oppabuking

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