第5話 お姫様は渋谷に

私は電車に乗り、渋谷を目指す。


なんで渋谷?あかりんが好きなブランドは渋谷に店舗が集中しているからね。でも渋谷って、人が多いし、今はあかりん近づかないんじゃない?うーん、まずあかりんは、そこまで有名じゃないんだ。いや、私にとっては、君あかりんのこと知らないの?って言いたくなるくらい有名なんだけど、それはアニメやアイドルに精通している人の中での話。街を歩いている人にあかりんのこと知っているかアンケートをとってあかりんに突き出したら、あかりん少し困った顔しちゃうと思う。そんなあかりんの顔もちょっと見てみたいね。あ、だから、あかりんが渋谷を歩いていても、「あかりんだ~」とギャルに絡まれる心配はあまりないんだよ。


ましてや、ヲタクさんが渋谷をうろうろしていると思う?とある声優さんが渋谷でオフ会開こうとしたら、渋谷は怖いから無理です、と開催場所の変更を訴えたヲタクさんも過去にはいたくらいだよ?あかりんが服を買うようなお店なら、うろついているヲタクさんはなおさらいないはず。だから、あかりんは今日渋谷で服を買うことに躊躇はしないと思う。まあ、あかりんも、私のような人が待ち構えていることは想定外だろうね。


お、こうもしていられない。中央線快速東京行きに揺られながら私はスマホで過去のあかりんのブログを見直す。アマブロはブログ内の写真だけをパッ、パッと見ることができるから便利。ここ一年くらいのエントリーなら、写真を見るだけで、ブログの内容が頭に浮かんでくる。あー、この日か、確かあかりん、お仕事仲間とカフェランチにいったんだよね、という具合にね。


そんな風にあかりんブログ『あかり姫のおもちゃばこ』の復習をしていたのだけれど、朝の中央線快速東京行きはスマホを持っている手を入れ替えることが困難なほど混んでいて、おじさんの肩の上らへんにポジションをとってスマホをいじっている右手がだんだん疲れてきた。おまけにまだ三月だというのに、車内はなんだかむわっした熱気が漂っている。その熱気によって私の右手の下に位置するおじさんのスーツの下の肌着から発せられるすっぱい汗臭さはさらに強まる。気持ちが悪い。その気持ち悪さと、右腕の疲れと、朝から脳をフル回転してあかりんブログの復習に勤しんでいたのとで、酔ってきた。おえおえ。


そんな状況下でも、あかりんのブログに上がっている写真はいちいちかわいい。本当にお姫様なんだなあ、といちいちびっくりする。それに比べ、私の今の状況はなんだろう。おじさんのすっぱい匂いに包まれながら、身動きが取れず、吐きかけている。まあ、私はお姫様じゃないから仕方が無いんだけれど、あかりん、お姫様じゃなくなるってこういうことなんだよ。はあ、やっと新宿。


山手線はそこまで駅数もないので、スマホは取り出さなかった。その代わりに、私は一瞬で鼻から息を吸ってゆっくりそれを吐き出すという例の方法に集中した。このおかげか、渋谷駅に着くまでの間におえおえすることはなかった。だけどちょっぴり過呼吸気味になって視界がブラックアウトしかけたので、渋谷駅のベンチで休憩を取らざるを得なかった。おばさんが、大丈夫?と声をかけてくれた。私は大丈夫です(少しあっちに行っていて)と言おうとしたが、返答に時間が経っていたためか、おばさんは、もういなかった。親切にしようとするなら最後まで面倒見てよ。


よし、落ち着いた。今何時?スマホを立ち上げる。スマホの背景である、あかりんの上には、8時32分と書かれていた。あ、早く来すぎちゃった。あかりん、こんな朝早くから渋谷来るはずないじゃん。お店も開いてないし。はあ、とため息をつき、私はベンチから離れた。


改札を出る。まだ八時半だと言うのにスクランブル交差点はすごい人。これだけ人がいるのに、お姫様はあかりん一人しかいないんだよなあ。その事実にあかりんは気付いているのだろうか。私は誰と待ち合わせするでもないのに、スクランブル交差点の手前でぼーっと突っ立っていた。この中にあかりんがいるのかもしれないんだよね、と思うと、なんだか目をそらしてはいけない気がしちゃってね。しかし私は、ストーカーまがいなことをしているのかもしれないという罪悪感と、真後ろに交番があるのとで、しぶしぶ場所を移動した。いや、悪いことはしていないんです。


私は例のスタバに移動した。例のスタバってのは外国の方が、スクランブル交差点を写真に収めたり、動画をとったりすることで有名な、SHIBUYA TSUTAYA店のこと。ここだとスクランブル交差点を一望できる。私はたまたま空いていた窓際のカウンターに陣取った。両サイドは外国の方。彼らはどちらもスマホでスクランブル交差点の、人の往来ベストショットを狙っているみたい。私はここで少しだけスクランブル交差点を眺めているだけ。両サイドの人たちとなんらやっていることは変わらない。大丈夫ですよ。


一日中そこであかりんが来ないか見張っていればいいじゃんって?でもそれって、偶然でもなんでもないじゃない。もしこれがセーフなら、あかりんの地元でじーっとあかりんが出かけるのを待っているのもセーフになっちゃう。だから、私はお洋服屋さんが開くまでの間だけこうしているの。


私は、先ほどまで吐き気を催していたことをすっかり忘れながら、何の考えもなしに頼んでしまったドリップコーヒーを口に含め、多くの人が往来するスクランブル交差点を眺める。うう、人がうようよしている、気持ちが悪い。うう、コーヒーなんか頼むんじゃなかった、気持ちが悪い。

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傾いたら倒れるよね あさき まち @asagakurustie

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