番外編その一 ゴブリンの三つ子とホテルの怪物たち

その一


 ある晩、ゴブリンの三つ子であるギギ・ローム、ググ・ローム、ゲゲ・ロームは気付いてしまった。

 ホテルトロイメライの従業員及び常連客が、自分たちの区別が全くついていないのではないのかということに……。







 早速ギギ、ググ、ゲゲは、夕食を終えて、それぞれのテーブルでのんびりと過ごしている面々に次の質問をぶつけてみた。


「見分けがついてる?」「判別出来る?」「誰が誰?」


 普段通りにテーブルを囲んでポーカーに興じていた常連客の三人、ユーシー・ゲネラルプローべ、レン・カフカ・アシュタロト、クレセンチ・レイジアは、驚いてテーブル下の自分たちの膝ほどの大きさのゴブリンたちを見下ろした。


「いきなりどうしたんだ?」


 怪訝そうな顔で、黒いスーツを着た吸血鬼のユーシーが青紫の瞳で彼らを見つめながら尋ねる。

 ポーカーを邪魔されたことに怒っている訳ではなく、単純に何故そんなことを突然聞いてきたのかが気になっていた。


「いいから答えて!」「早く解いて!」「すぐに導いて!」


 ギギとゲゲとググは、怒ったように痩せ細った灰色の両手を上げて、黒い瞳を吊り上げて捲し立てた。

 その剣幕に押されて、ユーシーも「分かった、分かったから」と困ったように濃い茶髪を掻きながら返して、目の前に座るタキシード姿の悪魔のレンと、普段と変わらずに黒いマントを羽織った死神のクレセンチの方に向き直った。


「あまり気にしたことなかったけれど、お前ら分かるか?」

「正直俺も、特に見分けようとはしてなかったな……」

「私も、普段は三人一緒くたに見なしていた」


 目深に被ったフードのお陰で、目元が全く見えないクレセンチも、今は気まずそうにしている。

 無表情を一切崩さないレンも、困惑したように腕を組んで、真っ赤な瞳は虚空を眺めている。


 テーブルの三人のやり取りを見て、ギギ、ググ、ゲゲは「やっぱり」と肩を落とした。

 彼らはそれぞれ名前で呼ばれているが、その時に誰も目線を合わせようとしないために、ふともしやと思ったのだ。残念なことにその疑惑は確信へと変わってしまった。


 しばらく腕を組んで考えていたユーシーは、「とりあえず」と言って一番右のゴブリンを指差した。


「俺は、右からギギ、ググ、ゲゲだと思って話している」

「え、俺は真逆で、左がギギ、ググ、ゲゲだと思ってた」


 すると、今度はクレセンチが驚きの声を上げる。お互いの認識が異なっていることに、ユーシーは目を、クレセンチは口を丸くしていた。


 しかしゴブリン達は、ただただ無念そうに眼を閉じて首を振っている。


「位置は無関係」「場所はよく変わる」「並びは一定しない」

「そ、そうだったんだな」


 長年の勘違いを指摘され、すまなさそうにユーシーは頬を掻いていた。だが、並び順に規則性が無いのなら、ますます見分けがつかなくなってくる。

 今度は、クレセンチの方が「なあ」と三人に話し掛けてきた。


「ちょっと難易度が高いから、確認をしてもいいか?」

「……いいよ」「……仕方ない」「……了解」


 ギギとググとゲゲは、本当に渋々といった様子で、クレセンチの確認に答えることにした。

 本心では、「難易度が高い」という一言には腹が立っていたが、ここまで苦戦されてしまうとこちらが折れなければならないのである。だがやはり理想では、自分たちのことを一発で見分けてほしかった。


「ギギが、一番上だよな?」

「?」「??」「???」


 三人は頭の上に疑問符を浮かべて、顔を見合わせていた。

 今までそのような事など、全く考えたことなかったという表情だ。


「……あれ、もしかして、間違えていた?」

「いや、そもそも誰が一番上なのか知らないんじゃないのか?」


 クレセンチが不安そうに尋ね返すと、ユーシーが三人の様子を読み取って鋭く指摘する。

 ユーシーの言葉に対して、三人は同時に頷いた。


「一番上は分からない」「誰から生まれたのか知らない」「順番がどうなのか聞いていない」

「いつも喋り始めるのが、一番上のギギかと思っていたんだが……。いや、よく考えたら、こっちがギギ、ググ、ゲゲって呼んでいるだけで、それが生まれた順を現しているとは限らないよな」


 なぜだか、悔しそうに歯噛みしながらクレセンチは言った。

 一方、ローム三兄弟は、三人とも一斉に謎の郷愁に浸っていた。


 考えてみたら、三人同時に生まれてきたという感覚でずっと過ごしてきて、家族も誰か一人だけを特別扱いしたことも無かった。

 改めて尋ねられると、誰から生まれてきたのか非常に気になってくるが、それを訊こうにも彼らの家族はずっと昔に亡くなってしまった。


 もしも突然順番について尋ねてられると、背が低くて腰の曲がった母や、誰よりも料理の上手かった父はどんな顔をしてくるのかを、洞窟の中にあったゴブリンの王国の風景と共に思い描いていた。


 そのように三人がぼんやりとしていると、クレセンチが同じくずっと考え込んでいた者に話し掛けていた。


「なあ、レン、お前は見分けがついているのか?」

「む? ああ、そうだな……」


 はっと我に返ったレンは、ギギ、ググ、ゲゲの方へと視線を下した。


「予想だが、一人称がボクなのが、ギギではないのか?」


 レンからそう言われて、三人は残念そうな顔で首を振る。

 しかし否定されても、再び考え込んで、三人に尋ねる。


「では、オレと言っているのはギギで……」

「一人称は毎回のように変化する」「自分の事は好きなように呼ぶ」「自称は何でもいいように感じる」

「……そうなのか?」


 言葉を遮られた上に、推理も的外れだったレンは、虚を突かれたように目を丸くする。

 そんな彼らのやり取りを横から眺めていたユーシーが、そう言えばと口を出す。


「よくよく考えれば、ギギ、ググ、ゲゲが、わしとか吾輩とかおいらとか、いろいろ言っているんじゃないのか?」

「一人称は、自己統一性を決める要素の一つだと思っていたのだが、それまで変化するとはな……。もしも小説ならば、混乱を招く悪い文章だ」

「まあ、俺たちはあまり混乱してこなかったけどな」


 無表情ながらも不満気にぼやくレンに、クレセンチは苦笑しながら茶々を入れる。

 それから、自然と話は別の方向に流れていく三人を見て、ギギとググとゲゲは溜

め息をついた。


 やはり、この三人は自分たちの事を見分けていなかった。さらに、見分けがつかなくても別にいいという雰囲気さえ漂わせている。


 そのことを敏感に感じ取って、失望感と悲壮感に浸るギギとググとゲゲだったが、この三人は比較的付き合いが浅い常連客だ、まだ一緒に働いているみんながいるじゃないかと、自らを奮い立たせて、別のテーブルへと向かった。






   ☆






「えー、自分たちを見分けてほしいだあ~?」


 テーブルの下で立っているギギとググとゲゲを見て、ラム酒の瓶片手にいつも以上に酔っ払っている狼人間のメイド、ウルル・トロイデが非常に面倒臭そうな様子で言い放った。

 今夜が満月なので、せっかく変身して気持ち良く飲んでいるところに水を差されてしまい、狼の顔の眉間に皺を寄せている。


「うん」「その通り」「お願いします」


 ゴブリン達は彼女の機嫌を損なわないように、丁寧に頭を下げた。

 狼になったウルルの腕力は、普通の人間の何倍もあるので、下手に刺激して暴れられると大変なことになるということを、彼らはよく知っていた。


「まるで挑戦状ねェ。ウルルは分かるかしらァ」


 ウルルの向かいに座っていたのに、ずっと無関係そうな顔でそのやり取りを眺めていた髪が蛇の女、メデューサ・ゴルゴンがねっとりとした声で煽る。

 彼女の目は見た生物を石にしてしまうために目隠しをして、代わりに髪の毛の蛇の頭が忙しなく動いている。


「結構言うな、メデューサ。ま、あたしたちも長い付き合いだからね、これくらい分かって当然でしょ」


 ウルルはメデューサの挑発に乗って、ぺろりと舌で唇を舐めると、品定めするように三人のゴブリンを眺め始めた。


 一瞬だけ見えた彼女の真っ赤な舌と鋭い犬歯の羅列には、見慣れているはずのギギ、ググ、ゲゲも多少ひやりとする。そして身を強張らせながら、肉食獣の目の前に置かれた獲物の気持ちで、ウルルの言葉を待った。


 早速ウルルは、一番右のゴブリンを指差して、順番に名前を言った。


「こっから、ググ、ゲゲ、ギギだろ」


 三人は驚いた顔を見合わせると、悲しそうに首を振った。


「違う」「残念」「不正解」


 先程まで自信たっぷりだったウルルは、「えっ!」と目を点にする。

 あからさまに動揺しながら、再び、灰色の毛が生えた手の鋭い爪の先で右のゴブリンを指差す。


「じゃ、じゃあ、ギギ、ググ、ゲゲ」

「当たっていない」「間違い」「おしい」

「えーと、じゃあ、」

「そのやり方だと、続けていたら当てちゃうじゃないのォ」


 彼女の空しい健闘を終始眺めていたメデューサは、溜め息をつきながら指摘する。

 すると、むきになったウルルが、きっとメデューサを睨み付けながら言い放った。


「なら、そっちは完璧に見分けられるんだよな?」

「そうねェ」


 ウルルの迫力のある狼の頭に睨まれても全く怯まずに、メデューサは顔をギギたち三人の方へと向けた。


 目元が隠れていても、じっくりと足元からつむじまで見つめられているような感覚がして、ギギ、ググ、ゲゲは知らず知らずに背筋を伸ばして、赤い唇を真一文字に結んだ彼女の言葉を待っていた。


 ただ、視覚に頼らない彼女ならば、もしかすると他の者たちとは違って、別の方法で自分たちを見分けられるのかもしれないという期待が、僅かながらに芽生えていた。

 だがその期待を裏切るように、メデューサは肩を落として首を振った。


「ダメだわァ。雰囲気、匂い、呼吸、体温、心臓の鼓動まで、全部一緒で、見分けなんてつけられないわよォ」


 「見分けがつかない」と言われても、ギギ、ググ、ゲゲは残念がるどころか、段々と恐ろしくなっていき、体中に鳥肌が立っていた。

 目隠しをしていても、メデューサに体の内側まで見透かされているような、気色悪さに支配されていた。


 それは隣に座っていたウルルも同様で、嫌そうな顔をしながら身を引いている。


「えっ、メデューサはそんなことまで分かっているのか?」

「まさかァ。冗談よォ」

「冗談って……どこまでが冗談なんだ?」

「さあ、どこまでかしらねェ」


 ウルルの追及にも、メデューサは頬杖をついて、にやにやと笑うだけである。

 ゴブリンたちもそれに続こうとしたが、「あ、ルーちゃん」とメデューサの後ろに現れた幽霊の少女、ルージクト・カドリールを見つけたウルルに遮られた。


 半透明の体に白いワンピースを着て、いつものようににこやかな表情を浮かべながらふわふわ浮かんで白い髪の毛を揺らすルージクトは、不思議そうに首を傾げる。

 そんな彼女に、ウルルは面倒臭そうに説明した。


「急にギギ、ググ、ゲゲが自分たちを見分けてほしいと言い出してな、二人で見分けようとしていたんだよ」

「ワタシたちじゃあ上手くいかなかったからねェ。ルージクトには分かるかしらァ」


 ウルルの態度が癪に障ったギギとググとゲゲだったが、メデューサがルージクトにも話を振ったので、期待を込めた眼差しを彼女の方に向ける。


 するとルージクトは珍しく、笑顔のままだが困惑したように眉尻を下げた。

 それを見て、あることを思い出したウルルは「あっ」と声を上げた。


「そうだ、ルーちゃん、喋れないから、どれが誰だか言えないんだったけ」

「じゃあ、ワタシが名前を言うから、それだと思った方を指差してみたらァ?」


 霊力が弱くて、声を発しても空気を震わせることが出来ないルージクトの為に、メデューサがそう提案すると、ルージクトはまだ困ったような顔をしながらも、頷いてくれた。


「そうねェ。まずは、ギギはどっちかしらァ」


 どきどきと胸を高鳴らせて、ギギ、ググ、ゲゲはルージクトの方に体を向ける。

 ルージクトの半透明の指先は、頼りなくふよふよと、ギギたち三人の間を行ったり来たりしている。顔も困惑を滲ませた笑顔のままで、ギギを見たりググを見たりゲゲを見たりと、忙しない。


 そんな優柔不断なルージクトの態度に、痺れを切らした三人は、両手を上げてそれぞれ叫んだ。


「急いで!」「早く!」「すぐに!」


 するとルージクトは、追い詰められた生きた人間が脂汗を流すかのように、元々半透明だった体が消えたり現れたりし始めた。


 それに対して最初に反応したのはウルルで、テーブルをばん! と両手で叩いて立ち上がった。


「おい! ちょっと言いすぎじゃないか? 難問なんだからさ!」


 ウルルは凄みを聞かせて、グルルと低い声で唸っている。


 そんな彼女に委縮したギギとググとゲゲは、なんで見分けられるかを尋ねているだけなのにこれほど怒られなければいけないのかという理不尽さを感じつつ、これ以上はルージクトにも悪いし、何よりウルルが暴れ出してしまうので、「ごめんなさい」「すみません」「失礼しました」と頭を下げて、その場を後にした。
















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