第16章 新たなる朝8

「あ、そう言えばこれ、頼まれて本よ」


「あ、すいません。ありがとうございます」


 雄介は紗子が持ってきた袋を受け取る。

 中には数冊の文庫本が入っており、雄介は袋から本を取り出し、パラパラとめくる。


「毎回ありがとうございます」


「良いのよ、何もやる事無くて暇なんでしょ?」


「はい、本を読んでいれば、良い時間つぶしになるので……」


 記憶が無いため、自分の趣味もわからない、いつも自分が暇なときに何をやっていたのか、それすらわからない今の雄介は、本を読む事で時間をつぶしていた。


「本当に何も覚えてないの?」


 寂しそうな視線を雄介に向けて、里奈が尋ねる。

 雄介はそんな里奈を見て、申し訳なくなり、雄介の元気まで無くなってしまう。


「すいません……まったく……」


「お姉ちゃんと大人の階段を上った事も?」


「え? えぇ!!」


 里奈のカミングアウトに、雄介は顔を真っ赤にして驚き、思わず叫んでしまう。

 紗子は、直ぐさま里奈の頭を文庫本の角で思いっきり叩いた。


「あんたは、またいい加減な事を……雄介、大丈夫よ貴方はまだ童貞よ」


「最後の一言は要らなかったのでは……」


 他愛もない話をしながら、時間は過ぎていく。

 里奈は雄介に会えた事がうれしかったようで、一向に雄介から離れようとしない。


「え! じゃあ、ユウ君は今、女の子に触れるの?!」


「やっぱり驚くんですね…」


 雄介は里奈に、現在の自分が女性恐怖症ではない事を告げた。

 紗子は、雄介の検査が進む段階で、雄介同様に医師から話を聞いていた為、そのことは知っていた。


「じゃ、じゃあ……今のユウ君は、他の子に触られても気絶しないの?」


「そうですね、さっきも大丈夫でしたし……」


「さっきって何?!」


 里奈は雄介の言葉に激しく動揺し、雄介の方に詰め寄る。

 雄介は里奈の突然の豹変ぶりに驚き、後ずさり、気まずそうに答える。


「さっき、星宮さんと言う方と娘さんがお見舞いに来てくれたんです……その時……」


 雄介はそこで悩んだ、告白された事は、言わない方がいいのではないのかと。

 記憶が無いとは言え、彼女が相当な勇気を振り絞って自分に告白した事を雄介は先ほど見て知っていた。

 それなのに、こんな簡単に他の人間に暴露するのは、なんだか違う気がしていた。


「その時何?!」


 そうこう考えていると、里奈が雄介に激しく詰め寄り、話の続きを今か今かと待ち望んでいた。


「そ、その時……試しに手を握られただけです」


「そ、そっか。それで、体はなんともないの?」


「はい、別に変ったところは無いですが……」


「そ、そう……」


 里奈は雄介の言葉を聞くと、複雑そうな表情で顎に手を当てて考えていた。

 紗子はそんな里奈を見て、同じく何か考えていた。

 そんな中、雄介はいい加減に知りたかった事をこの二人に尋ねる事にした。


「あの、自分も質問良いですか?」


「どうかしたの?」


 雄介は真剣な表情で、二人に向かって話す。


「自分は、一体何が原因で記憶喪失になったのでしょうか?」


「そ、それは……」


 紗子と里奈は、どう応えたら良いのか分からず、雄介から視線を逸らした。

 実際、紗子と里奈が現場を見た訳ではない、だから細かい事は二人にもよくわからず、どう回答して良いか分からないという理由もあったが、本来の理由は別にあった。

 それは、雄介の過去をこのまま喋って、パニックを起こさないかという心配だった。

 奥澤の話では、少しづつ記憶が自然に戻るのを待つのが一番らしく、一気に思い出させようとして、脳に負担が掛かってしまっては元も子もないと言う話だった。


「ごめんなさい、まだ言えないの……」


「そう……ですか……」


 紗子の回答に、雄介は俯く。

 目が覚めた時、雄介は全身に包帯を巻かれ、所々に痛みを覚えながら目を覚ました。

 なぜ、自分があんなにも大きな怪我をしていたのか、記憶を失うほどの大きな衝撃が自分い起こったのなら、知りたかった。


「今は、ゆっくり休んで、体を治すことを考えなさい。記憶はその後、ゆっくり思い出しましょう」


「はい…」


 雄介に優しく語りかける紗子。

 雄介は寂し気な表情で、紗子の提案を受け入れる。

 目が覚めて、既に数日が過ぎ、雄介は日に日に自分の事を知りたくなってきていた。


「それじゃあ、私たちは行くわね。明日もまた来るから」


「え~、お姉ちゃんは今日はここに泊まります。弟が心配なので!」


「バカ言ってないで、行くわよ」


「あ~ユウ君、また来るからね~」


 嫌がる里奈を紗子が引きずっていき、紗子と里奈は病室を後にしていった。

 雄介は一人になった病室で、自分の正体について考えていた。

 財閥の社長に気に入られていて、刑事と知り合いで、血の繋がらない家族が居る。


「……なんだか小説みたいだな」


 雄介は笑いながら、先ほど紗子が持ってきてくれた文庫本の一冊を見てそう思う。

 しかも記憶喪失なんて、本当に小説として出版出来るんじゃないか? なんて考えながら、雄介は口元を緩めて、笑みをこぼす。


「さて、流石にもう誰も来ないだろ……」


 時刻は既に18時を回ろうとしている。

 雄介は、流石にもうお見舞いには誰も来ないだろうと思い、着替えを始める。

 すると、廊下の方から騒がしい声が聞こえて来た。


「なんだ? またお見舞いか? それにしては多いな……」


 雄介は着替えを止め、ベッドに戻る。

 自分のお見舞いとは限らないので、廊下の様子を見ることはせず、ベッドに戻って待つことにしたのだ。

 声を聴く限りでも、4人ほどの人の声が聞こえて来た。


「ホント、今日は来客が多いな……」


 雄介は一人呟き、ため息を一つ吐く。

 今の雄介にとっては、お見舞いに来られても、全員が初対面であり、他人とあまり変わらない。

 正直そんな人とどう会話をしたら良いのか、雄介は分からなかった。

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