第3部 新たな己への旅路

序章

 夢を見た。


 その夢には久しく会っていない友人が出てきて、彼がどれほど会いたいと思っていてもまみえる事の出来ようはずのない相手が、この世界のどこかにいる、とそんな途方もない話をした。

 彼が言う人物は、別の世界にいるはずの人物。会えるはずがなかろうと突っぱねると、友人はひどくまじめな顔をして答えた。


 これは本当の話なのだ、と。


 そして話してくれた。

 己の現状と、そうなった経緯を。


 それでもまだ、疑り深い目で見つめれば、彼は相変わらず疑り深い奴めとあきれたような顔をして、彼が誰よりも会いたいと思っている相手の容貌と名前を教えてくれた。

 その子の名前は雷砂。

 黄金色の髪に色違いの瞳のつい先日、十一歳になったばかりの少女。


 黄金の左目と濃紺の右目。

 誰よりも愛おしい女と自分の色を受け継いだ子供の姿を思い描き、彼は優しく目を細める。

 友人が語るのは途方もない話だ。

 だが、もしそれが本当なのだとしたら、なんとしてもその子供に、雷砂に会いたいと思った。


 そんな彼の心を見透かすように友人が言う。

 雷砂に会いたいなら急げ、と。彼女をねらう存在がいる。助けになってやって欲しい、彼は真摯な眼差しでそう言った。


 そいつは何者だ、と友人に問うと、友人はしばし目を閉じてから答えた。

 恐ろしいほど強大な魔力を持ち、驚くほど無邪気で、震えるほどに残酷な男だ、と。


 更に問いを重ねようとしたが、友人は残念そうな顔で首を振った。もう時間だ、と。

 これ以上無理をすれば、奴に気づかれてしまう、そう言った友人の姿がふっと消え、彼は白い空間にただ取り残された。

 空間が少しずつ明るくなり、いよいよ目が覚めるのかと思ったとき、ふと背後に人の気配を感じた。そして、



 「雷砂がいるのはここより東の地。探すなら東を探して」



 耳元で聞こえたそんな少女の声。

 慌てて振り向くが、そこには誰もいない。

 振り返る瞬間に、薄墨色の髪を視界にとらえた様な気もしたのだが、どうやら気のせいだったようだ。


 彼は釈然としない思いで首を傾げ、瞬きをして次に目を開けた時には、寝所のベッドに横になったまま見慣れた天井を見上げていた。

 唐突に目を覚ました彼は、起き上がり頭を押さえて首を振る。

 何とも突拍子のない夢だった。

 だが、妙に現実感があり、ただの夢だったと言い切る事も出来ずに、彼はそのまましばし考え込む。

 だが、結論の出ないままに時間は過ぎ、いつもの起床の時間を迎えたことに気づいた彼は、小さな吐息を漏らして、侍女を呼ぶための小さなベルを力なく鳴らした。





 心ここにあらずという状態で何とか一日の仕事を終えた彼は、一人の人物を執務室へ呼び出していた。

 少々変わり者ではあるが、彼に対する忠誠心と彼を守るという職務に関しては文句を付けようのないその人物は、部屋に入ってくるなり、



 「今日は一日中情けない顔をしっぱなしでしたが、一体なにがあったんです?」



 開口一番、そんな言葉をぶつけてきた。

 彼は思わず苦笑して、そんなに表情に出していただろうかと、手のひらで己の顔をするりと撫でた。



 「大丈夫ですよ。言うほど顔には出ていませんでした。まあ、私には丸わかりでしたけどね」



 得意そうな声音と表情に微笑んで、お前に隠し事は出来ないなぁとこぼせば、



 「そうですよ。何年のつきあいになると思ってるんですか?」



 そんな言葉を返された。

 彼は再び口元を優しく微笑ませ、そして思う。

 かつて、気まぐれから拾い上げ、側に置くようになったときは、毛並みの悪いひ弱な子供だったのになぁ、と。

 当時の面影を懐かしむように。


 目の前の人物には良くも悪くも、当時の面影は残っていない。

 十数年の歳月は、怯えた瞳の幼子を力強い瞳の若者へと育て上げるには十分だったと言うことなのだろう。

 昔はぼさぼさで艶なんてまるでなかったのに随分化けたものだと、腰まで伸ばされた長く艶やかな黒にも見える深い藍色の髪の毛を眺めるとはなしに眺める。

 そして、その瞳に目を移せば、そこには幼い頃とはまるで違う自信に満ちた、光の加減によっては金色にも見える茶褐色の瞳がまっすぐにこちらを見つめていた。

 赤くてふっくらとした唇はまるで口づけを強請るように官能的で、その肢体は負け知らずの騎士とは思えないほどにほっそりとしてはかなげだ。



 (これで性別が女性なら、なんの問題もないのだろうがなぁ)



 そんな彼の容姿を見ながら、しみじみとそんな風に思う。

 見た目は完璧な乙女だが性別は紛れもなく男である目の前の人物の名前はフォルガーナ・イグシアス。

 ガーランディア大陸随一の王国・シェルディールの国王の懐刀とも呼ばれる近衛の連隊長、それが彼だった。



 「お前が女であれば、喜ぶ者も多いだろうになぁ」



 そして、フォルガーナを見つめながら、そんな言葉を真顔でこぼすその人こそ、シェルディール王国の現国王・レイルード・シェルディオ本人だった。

 フォルガーナはその言葉を受けて端正な顔をしかめると、



 「冗談でもやめてくれませんか?こう見えて、私の嗜好は至ってノーマルですので」



 きっぱりはっきり、主に向かってそう告げる。

 王は、そうだったなぁと頷き、



 「しかしなぁ。お前が婚期を逃しそうで、私はそれが心配だよ」



 誰よりも信頼の置ける側近の顔をまじまじと見つめた。



 「私の嗜好がノーマルな事と、婚期が遅れることにどう言った関係が?」


 「いやな?私が考察するに女性という者は、自分よりも美しいものを伴侶に選ぶことに躊躇を覚えるものだと思うんだ。その観点で見ると、絶世の美姫と言っても文句どころか賛同の言葉が返ってくるレベルのお前の容貌だと、女性からは倦厭されるのではなかろうかな、と」


 「た、確かに、恋文の数などは女性からもらうより同姓からもらう方が多いですが、それでも私に恋文をくれる女性だっているんですからね!?」


 「で?その女性からもらう恋文の文面は?」


 「……貴方の活躍を影ながら応援してます、とか、儚げな貴方がマッチョ集団の中で頑張る姿を見るのは励みになります、とか、いつも一緒にいる細マッチョなイケメンとの2ショットは見応えがあります、とか……」


 「それは、恋文なのか??」


 「さあ。でも、女性からの手紙は手紙です!手紙に貴賤はないでしょう!?」


 「で?いつも一緒にいる細マッチョのイケメンってのは?」


 「三番隊隊長の事かと……あいつは何かと私にちょっかいをかけてくるので」


 「なるほどなぁ」


 「で?私を呼びつけた理由は、こんなくだらない話をするためですか?陛下。でしたらそろそろ失礼させて頂きたいのですが」



 にやにやと口元をゆるめる国王を、むっとした顔で睨んでそう告げれば、王は慌てた様に彼を引き留める。

 まだ彼に出て行かれては困るのだ。

 彼をわざわざここに呼んだ理由の一端すらも、まだ打ち明けてはいないのだから。

 王は表情を引き締めて弟の様にも思っている腹心の青年の顔を見つめる。

 自分の中に育ちつつある、突拍子もない提案につきあってもらう相棒と見定めて。






 夜の王宮を足早に歩み去った若き近衛連隊長のフォルガーナは若き騎士達が寝泊まりをしている宿舎の一室の戸を叩いた。



 「エル、私だ」



 短くそう告げれば、即座に扉は開き、そこから顔を出したのは赤毛を短く刈り上げた美丈夫だった。

 いや、美丈夫という表現は少々語弊があるだろう。

 目の前の、黙っていれば寡黙な美青年にしか見えないであろう存在は、一応は美女と呼ばれてしかるべき分類の人間なのだから。

 つまり、女性、ということだ。

 れっきとした男性であるものの小柄なフォルガーナより頭一つは優に上にある色男然とした顔が、遅い時間の訪問に驚きを浮かべてこちらを見ていた。



 「連隊長?どうしたんです??こんな時間に」



 何かありましたか?と言外に聞いてくる聡い副官の顔を見上げ、フォルガーナは口元を緩めると、



 「いや、なに、大したことじゃない。ちょっと陛下から無理難題をふっかけられただけだから」



 そう答えながら、部下の体を押しのけるように彼女の部屋の中へと入り込む。

 こんな時間に、部下とはいえ女性の部屋に入るのはどうかと思うが、これ以上の話をするならきちんと室内でするべきだという分別は持ち合わせていた。



 「陛下から無理難題?や~、それって十分大したことだと思いますけどねぇ」



 言いながら、彼女はずかずかと部屋に入り込んでくる上司を止めるでもなく中へ通すと、部屋の扉を閉めてしっかりと鍵をかけた。

 話の最中に、うっかり誰かが踏み込んでくることがないように。

 そして、フォルガーナにイスを勧めて茶を出すと、その向かいにどっかりと腰掛けて身を乗り出した。



 「で?連隊長は自分にどんな迷惑をかけに来たんですか?」


 「迷惑ってなぁ……お前」



 仮にも上官に向かってその物言いはどうなんだと、あきれた目を向ければ、エル……近衛連隊長フォルガーナの副官を務めるエリスマ・ルジェンは同じ眼差しを上官に返した。



 「というか、今まで陛下がらみの無茶ぶりで、私がどれだけ迷惑を被ってきたと思ってるんですか?警戒したくもなります」


 「う。まあ、確かに。お前にはいつも迷惑かけて悪いなぁとは思ってるよ、エル。でもなぁ、私も被害者なんだぞ?」



 部下から半眼で見つめられ、フォルガーナはちょっぴり怯んだように身を引きつつ、だがこれではいかんと思い直したように唇を尖らせて言い返した。

 それを受けたエルは平然と頷いて、



 「ええ。それも分かってます。だから、自分だっていつも連隊長に怒ったりしないでしょ?で?今回はなんですか?」



 己の入れた茶を味わうように一口のんでから話の続きを促す。



 「……物わかりのいい副官をもって、私は幸せ者だよ……」



 フォルガーナは吐息混じりにそう返し、気を取り直したように表情を引き締めてエルを見つめた。

 そして、彼女の方へと身を乗り出すと、内緒話をするような小さな声で、



 「実はな、陛下のお子がそう遠くはないどこかにいるらしいんだ。私はそのお方を探してお連れするように、陛下から直接命を受けた」



 そんな驚くべき事をさらりと口にした。

 それを聞いたエルが驚いたように目を見張る。

 そして問うた。



 「陛下のお子。それは、王太子殿下とは、別の方……ということでしょうか?」


 「ああ、そうだ」


 「ということは、王妃様とは別の女に産ませた子供というわけですね?年は?」


 「十一歳」


 「王太子殿下より上、ということですね。やっかいなことです。性別は?」


 「幸いな事に、姫君という話だ」


 「なるほど。男じゃないだけましですね。ですが、いくら姫君とはいえ、王太子殿下より年長のお子がいるということが知れれば、王宮内も乱れるでしょう。王宮を司る方々は、権力欲の強い方達ばかりですからね」


 「本当にな。面倒事はごめん被る。とはいえ、私自らがそのお子を探し出して陛下の御前にお連れしなければならないわけだがな」


 「連隊長も大変ですね。同情しますよ。自分は、連隊長が不在の間の代理を受け持てばいいんですね?」


 「話の早い副官で助かるよ、エル」


 「で、何人お連れになりますか?二番隊なら、動かせそうですけど」


 「いや、一人でいく」


 「は?」


 「だから、この任務には私一人で当たると言ったんだ」


 「え?でも、人探しなら、人数がいた方が良いでしょう?」


 「そこがな~。なんというか、今回の任務の難しいところでな。エル相手だから正直に言うが、他言無用で頼む」


 「はい。誓って」


 「今回の事に限っては、人数を動かすに足る理由がひねり出せそうにない」


 「え?でも、庶子とはいえ、王の血筋を探すんでしょう?立派な理由だと思いますが??」


 「題目としての力はあるんだ。だが、情報の出所がなぁ……」


 「……なにかまずい筋からの情報なんですか?」


 「まずい筋というか、言い出した人はすごく信頼できる人なんだ、これが。でも、情報の大本が夢の話となるとなぁ?」


 「はい?夢??」


 「ああ。陛下は今朝、夢を見たそうなんだ。夢とは思えない現実的な内容で、その夢の中で……」


 「ご自身のお子の情報を得た、と」


 「ま、そう言うことだ。こんな情報で踊らされてくれる奴なんて、私しかいないだろ?とても他の奴に頼める事じゃない」


 「あ~、確かに。でも、本当に探しに行くんですか?」


 「そりゃ行くさ。陛下は、まだ見ぬその姫君を、とても愛おしく想われているようだからな。出来る限りの捜索はするつもりだ」


 「ただの夢かもしれないんでしょう?」


 「まあなぁ。でも、ただの夢じゃないかもしれない。一応具体的な情報も少しはあるし」


 「具体的な情報、ですか?」


 「容姿と名前、それからここより東の方にいるはずだって位置情報、かな」


 「手がかりはそれだけ?」


 「ああ。それだけだ。後は東に向かいながら情報を仕入れて行くしかない。無駄足だとしても、それで陛下の心が晴れるなら、それもいいさ。てな訳で、私が不在の間の後任にお前を押しておいたからよろしく頼む。長く留守にするかもしれないが、上手いことやってくれ」


 「なんというか……そんな頼みごとをする陛下も陛下ですが、それを引き受ける貴方も貴方ですね。でも、まあ、分かりました。後のことは任せてください。それなりにやっておきますから。とりあえず、無理はしすぎないで、五体満足で帰って来てくださいね?特に、顔の怪我は厳禁ですから!貴方の顔が崩れたら、近衛全体の志気に関わりますからね!!」



 くれぐれもよろしくお願いしますよ!?とものすごい剣幕で詰め寄られ、フォルガーナは気圧された様にこくこくと頷いた。

 まあ、己の顔一つで近衛部隊の志気が保たれるなら、安いものだと思いながら。



 「とにかく、明日には出立するつもりだ。探し人を見つけたらとりあえず連絡を入れるようにする。一年探しても見つからなければ見切りを付けて戻るつもりではいるが、なにか緊急事態が起きた場合は、フォルの名前で冒険者ギルドに伝言を」


 「分かりました。でも、あれですか?また、あの格好で旅に?」


 「……まあ、ある意味あれが一番目立たないからな」


 「そうですか?逆によからぬ輩を引き付けそうで心配ですけど。でも、まあ、連隊長の趣味にとやかく言うつもりはありませんよ。ただ、くれぐれも貞操にはお気をつけて」


 「うるさい。余計なお世話だ」



 フォルガーナは唇を尖らせて部下の顔を見上げ、それから立ち上がるとさっさと彼女の部屋を後にした。

 その背中を見送ったエルは、何ともいえない顔で腕を組むとうーんとうなり声を上げる。

 どうして自分の上司はいちいちあんなに可愛らしいのだろうか、と。

 性別を知らなければ、妙齢の乙女にしか見えない。

 別段、女物の服を着ているわけでも、女らしい仕草をしているわけでもないのに。


 あれでちゃんと結婚願望はあるのだから驚きだ。

 まあ、相手の女性が見つかるかどうかは微妙なところだというのが、彼の周囲の人物の共通した見解ではあるが。

 すぎた美貌を倦厭する女性は意外に多いものだ。



 (まあ、もし連隊長が嫁き遅れるようなら、自分が貰うとしましょうか。あの美人具合にも耐性はあるつもりだし)



 そんなことを考えつつ、エルは明日からしばらく続くだろうフォルガーナが不在の日々を思った。

 ああ見えて、彼のファンはかなりの数に上る。

 それは近衛隊内部に関しても同じで、彼が居ないとなれば、不満を爆発させる者や、彼の行方を独自に探そうとする者が出てくるのは時間の問題と思えた。



 (ま、そうならないように自分が居るんですけどね。さぁて、どうやって連隊長の不在のストレスを緩和させましょうかねぇ。連中が大人しく待っていられるだけのご褒美を考えないとですね)



 面倒だけど仕方がない。

 どんなわがままや面倒事を押しつけられても許容してしまうくらいには、自分はあのまるで男っぽくない連隊長を敬愛しているのだろうから。

 エルは微笑み、部屋にしつらえられたデスクに向かう。

 もう夜は遅いが、眠るまでの間にもう一仕事、明日からの連隊長代行の段取りを考えておくことにしようと、そんなことを思いながら。





 翌朝。

 朝日もまだ登り切らぬうちに王城をでるほっそりとした人影があった。

 近衛連隊長からの書状を携えた人物は、門番にそれを見せて、堂々と王城を後にした。

 その日の朝、当直だった門番は口をそろえて言った。

 門を通り抜けた人物、それは実に可憐で美しい女性だった、と。


 こうして。

 ただでさえ美しい顔をしているところに、薄化粧を加えて見事なまでに女になりきったフォルガーナは、女冒険者のフォルとして、王都から無事に旅立ったのだった。 。

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