星占いの少女編 第13話

 雷砂の目の前で、少女の体が地面へと崩れ落ちる。

 雷砂は彼女に駆け寄ると、その状態をそっと抱き起こした。

 少女は澄みきったまなざしで雷砂を見上げる。

 その傍らで、生命の活動を停止した男は、静かに消えていこうとしていた。



 「どうして……」



 そんな雷砂の問いに、少女は柔らかく微笑む。



 「自分の最後くらい、自分で決めたかった。それだけです。あのまま生にしがみついていても、きっと長くは生きられなかったでしょうし……後悔は、してませんよ?」



 少女はかつて、占いの腕を嘱望されてこの街へやってきた。

 高名な占い師の元へ弟子入りし、師匠からはその才能を認められ、目をかけてもらっていた、と思う。

 だが、それがいけなかった。

 少女より先に師匠の元で学んでいた先輩占い師達には、少女が優遇されていることが面白くなかった。

 彼らはことあるごとに少女の邪魔をし、あること無いこと師匠の耳に吹き込んで、ついには少女を追い出すことに成功したのだった。

 師に見放された後は、驚くほど簡単に人生の階段を転落していった。

 高名だった師に疎まれた彼女を新たに受け入れてくれる者はなく、少女は路頭に迷った。

 それでも、故郷で待っている家族に仕送りをしなければと、辻占い師として日銭を稼ぐ毎日を送った。

 だが、彼女の占いの評判は悪かった。

 もともと、辻占いに来るような客は、真剣に悩んでいると言うよりは、遊び半分で訪れる者の方が多い。

 そんな客を真剣に占って、正しいことではあるが耳に痛い占い結果ばかりを告げる少女は、客からも疎まれた。

 少女は徐々に、その日食べる物すら事欠くようになり、ついふらふらとよろけて飛び出した道を走っていた馬車に運悪くひかれてしまった。

 血を流し倒れ伏した少女を、だれか親切な人が助けてくれると言うこともなく、彼女はあっけなく短い生涯に幕を閉じた。

 その、はずだった。


 しかし、彼女が次に目を開けたとき、目の前にはあの男がいた。

 黒い髪に赤い瞳の、少しだけ寂しそうな目をした男が。


 彼は少女に言ったのだ。命を助けてやったんだから、俺に協力しろ、と。

 協力しなければどうなるのか、と問うた少女に男は答えた。協力しないなら、もう一度死ぬだけだ、と。

 どうしようかと悩んだ。

 だが、死ぬのは嫌だと思った。まだ死ねないとも。

 生きてお金を稼いで、故郷の家族を少しでも助けたい。

 だから、少女は頷いた。生きるためなら何でもしようと心を決めて。


 契約成立だ、と男が笑う。

 これで大丈夫だ、と少女はほっと胸をなで下ろし、だが、なぜか家族の顔を思い出せないことに気付いた。

 それどころか、自分の名前すらも思い出せない。

 しかし、少女はその事実から目を背けた。

 自分が家族を忘れるはずなどないのだ。自分にとって、故郷の家族より大切なものなど、ありはしないのだから。

 そう、自分に言い聞かせ。


 その日から、少女はまた少しずつ少しずつお金を貯め始めた。

 死に戻りをした体は食べ物を求める事が無くなり、浮いた食費の分だけ、わずかではあるが以前よりもお金に余裕はできた。

 一日に一人でも二人でも占って、お金を稼ぐ。いつか、家族の事を思い出し、まとめて仕送りをする、その時の事だけを思いながら。


 そんな出来事を、走馬燈のように思い出しながら、少女は浅く息をつく。

 正直なところ時間は、あまりなさそうだった。

 ならば、その短い時間で、今の自分に出来ることをやらなくては。もう二度と、悔いを残すことが無いように。

 少女は手を伸ばし、雷砂の手を握った。

 そして、重たくなってきた瞼を持ち上げて雷砂の瞳を見上げる。



 「もう一度だけ、占いを、させてもらえませんか?」


 「……それが、君の望み?」


 「はい」



 雷砂は哀しそうに少女を見つめ、そして、黙って少女の額に自分の額を押し当てた。



 「これで、占えるか?」


 「ありがとうございます。十分です」



 細い息の元にそう答え、少女は目を閉じる。

 三度目になる今回の占いは、前の二回よりも時間がかかった。

 そうして時間をかけて占った後、少女はゆっくりと目を開ける。

 そして、間近で自分を心配そうに見つめていた雷砂の色違いの瞳をのぞき込むように見つめた。



 「……雷砂。あなたの道は長く険しい。辛いことも多いでしょう。でも、諦めなければ、その先には大切な人達と共に歩む幸せが待っています」


 「……前の内容と、ずいぶん違うな?」


 「もちろん、あの占いも本当です。幸せな未来は、あなたと、そしてあなたが大切に思う人達が諦めてしまったら、露と消えてしまうでしょう。大変だと思います。でも、諦めたらダメです。あなたには、幸せになる権利がある」


 「幸せになる権利って……オレはそんな大層な人間じゃないと思うけどな」


 「わたしがそうなってほしいと思うんです。あなたは、わたしを助けてくれました。あなたは、素晴らしい人です」


 「……助けられなかったよ。現にこうして君は死んでいこうとしてる」


 「いいんです。これは仕方のないこと。だって、わたしは雷砂に会うずっと前にもう、死んでたんですから。でも、あなたはちゃんと救ってくれましたよ?」



 少女は微笑む。透き通った、柔らかな笑顔で。

 雷砂は泣きたいような気持ちで彼女を見つめた。



 「あなたは、わたしの心を、救ってくれました。これで安心して、神の元へ召されることができます」



 あなたのおかげです、ありがとう、と彼女は感謝の言葉を継げ、深く深く息をついた。

 いよいよ時間が無くなって来たようだ。だが、まだいけない。

 まだ、雷砂に伝えておきたい事があった。



 「ここから先は、あなたへのちょっとしたアドバイスです」



 そう言い置いてから、彼女は大きく息を吸い込んだ。



 「あなたはこれから一人で旅にでる。そうですね?」


 「ああ。その、通りだけど」



 何で分かったんだろうと、不思議な顔をする雷砂を見て、少女はくすくすと笑う。



 「だって、わたしは占い師ですもの。これくらいの事は簡単に分かります。その旅の課程で、あなたは今までよりも強い力を手に入れます。途中、トラブルも舞い込みますが、諦めずに立ち向かって下さい。その事実も、あなたの力になるはずです。そして、力を手に入れた後……その暁には、この国の王都に向かいなさい。そこであなたは、あなたと血の繋がりを持つ存在との出会いを果たすでしょう。その出会いが、あなたが求める存在へ至る道筋を、示してくれるはずです……」



 少女の声は少しずつ少しずつ弱くなっていく。

 だが、なんとか最後まで言い切った少女は、満足そうに笑った。

 そして、その体は徐々に透き通るように色を失っていく。



 「待って!まだ、君の名前を、オレは知らない」



 慌てたように、逝こうとしている少女を引き留めるように雷砂が叫んだ。

 それを受けて少女は困ったように笑う。



 「……困りましたね。わたし、実は自分の名前を……」



 覚えていないんです、と続けようとして、少女ははっと目を見開いた。

 記憶の奥底から、一つの名前が浮かび上がってきたからだ。



 「……サテュラ。どうやらこれが、わたしの名前みたい、です」


 「サテュラ。いい名前だ」


 「ありがとう。ずっと思い出せなかったんです。でも、思い出せた。これもきっと、あなたのおかげですね、雷砂」


 「違うよ。サテュラが頑張ったから。だから、きっと」


 「そう、ですね。そうかもしれません。ねえ、雷砂?」


 「ん?」


 「諦めちゃ、ダメですよ?諦めさえしなければ、道は開けます。わたしが保証しますから……だから、わたしに、あなたが幸せになるところを、見せて下さいね?」


 「……分かった。諦めない。サテュラを、信じるよ」


 「よかった……」



 小さな吐息と共にその言葉を送りだし、サテュラは花がほころぶように可憐な笑顔を見せた。

 そして、ゆっくりとその身は重さを失い、空気に溶けて消えるように、彼女はこの世界から飛び立っていった。

 残されたのは、朽ちかけた、人一人分の古い骨と、古びた硬貨が数枚。

 雷砂はそれらをすべて丁寧に拾い上げ、小さな布にくるんで胸に抱くと、ついさっきまで会話をしいていた薄墨の髪の少女の事を想い、そっと目を閉じた。

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