星占いの少女編 第6話

 その日の興行も終わり、鏡の前で並んで化粧を落としながら、セイラは隣の妹にそっと声をかけた。



 「ねえ、リイン?」


 「なに??」


 「ほら、明日は久しぶりに興行がない日でしょ?ちょっと一緒に街に出て買い物でもしない?」


 「買い物?」


 「そう。何か雷砂にプレゼントでもと思って。いつでも私達の事を思い出して貰えるような何かを、ね」


 「いい考え。そうしよう」


 「じゃあ、決まりね。雷砂には内緒よ?明日はミカが雷砂を連れ出してくれるっていうから」


 「わかった」



 二人はそっくりな顔を見合わせて、その口元に笑みを刻む。

 明日は久しぶりに二人だけで外出する。

 雷砂と出会ってから、どんな時でも雷砂が一緒にいた、そんな気がしていた。

 別々に行動したときだってあったはずなのに、なぜか思い出すのは雷砂と一緒の場面だけ。


 そんなことを思いながらセイラは微笑みを浮かべる。

 明日はリインと二人、雷砂のことを想いながら、あの子にあげたい何かをみつけよう。

 雷砂が、喜んでくれる、その瞬間を楽しみにしながら。


 帰り支度をしながら、雷砂のことを考える。

 今頃、雷砂はなにをしているのだろうか。近頃はまともに言葉も交わしていない。

 ああ、雷砂とゆっくり、なにをするでもなく一日中、のんびりした時間を過ごしたい、そんな風に夢想する。


 けど、今の雷砂は追いつめられたようにいつも何かを探して動き回り、その表情には余裕がない。

 眠る顔は、いつもすごく疲れているように見える。

 頼って欲しいと思うのに、中々口に出せないまま、時間だけが過ぎていく。

 こっちを見てと言いたいのに言えない。

 それが、わがままの様な気がして。

 雷砂が決してそんな風に思うことはないと、分かっていても。



 (なんだか無性にあの子の顔が見たいわ)



 今日もずいぶん遅くなってしまった。

 急いで帰っても、きっともう眠ってしまっているに違いない。このところずっと、とても疲れている様子だから。

 でも、それでもいいのだ。

 眠っているならその寝顔をそっと眺めているだけでもいい。

 側にいて、その体温を近くに感じられるだけで、それだけで良かった。


 手早く荷物をまとめ、ついでにリインの荷物も一緒にまとめ終えて、セイラはリインの手を引いて控え室を後にする。

 そして、暗い道をリインと二人、宿へと急ぐのだった。

 その後ろ姿を見送る、赤い瞳に気づくことすらなく。






 その小さな生き物は、ずっと物陰からセイラ達を見ていた。

 そして、その目と耳を通して彼女達の会話を見聞きしていた存在は、街外れの今にも崩れ落ちそうな廃屋の中で低い笑い声を漏らしていた。



 「そうか。明日出かけるのか。しかも、雷砂には内緒で。いいぞ。いいタイミングだ。雷砂の心を折るのにちょうどいい……」



 男はぶつぶつと独り言をもらしながら、ふらりと立ち上がる。



 「駒を見つけないとな。乱暴で欲望にまみれた、とびっきりの駒を」



 言いながら、男は廃屋を出て街へと向かう。

 明日の仕掛けのため。

 明日は小さな獣を操るだけでは足りない。

 もっと大きな、欲望にあふれた駒が必要だった。


 そのことに夢中だった男は、不覚にも気づかなかった。

 自分を見つめる一対の瞳に。

 彼を見送るその瞳は、柔らかな薄墨の色をしていた。






 雷砂の心を折るにはちょうどいいー男は確かにそう言った。

 そして、駒を見つけないととぶつぶつ言いながら、街の方へと一人歩いていってしまった。


 明日、何かが起こる。

 あの男がそれを引き起こす。


 少女は、あの男が雷砂を呼ぶ存在の事を思い、そっと目を閉じた。

 冷たい出来事ばかりだったこの街で、あの人だけが少女に暖かさをくれた。

 少女が告げた占いの結果に傷ついた瞳をしてもなお、それでも雷砂は少女を責めなかった。


 優しい、人なのだ。あの人を、苦しめたくない。

 そんな思いが、全てを諦めたはずの少女を突き動かしていた。



 「明日……」



 少女は呟く。今にも消えてしまいそうな儚い声で。

 明日、あの男がおこそうとしていることをなんとしてでも阻まなければ。

 そうしなければ、雷砂は傷つき、心を折られてしまうかもしれない。


 だが、少女が直接あの男を妨害しようとしても上手く行くはずがない。

 ならば、どうすればいいのか。


 簡単なことだ。どうにかして雷砂を探し出して接触し、もう一度占えばいい。

 あの男は間接的にとは言え、雷砂を傷つけようとしているのだ。その事を、占えないはずがない。

 少なくとも、解決や妨害の糸口くらいは見えるはず。


 きっと、雷砂は占いを拒むだろう。

 当然のことだ。あの日、占いの結果とはいえ、酷いことを雷砂に伝えたのだから。

 そして、結果としてその占いの内容はあの男へと伝わり、あの男の目論見に利用されている。雷砂を追いつめるための手段として。


 一度は己の全てを守るために、雷砂という存在を売り渡した。

 だが、もういい。

 自分はもう終わっている。

 心残りも気がかりもあるが、それはもう仕方が無いことなのだ。


 あの日、雷砂に優しい言葉をかけられてから、少女はずっと考えていた。

 そして、心を決めたのだ。雷砂の、力になろうと。


 だから、明日はなんとしても占いを受けてもらう。

 地面に頭をこすりつけ、恥も外聞もなく雷砂にすがりついてでも。


 少女はゆっくりと、街に向かって歩き出す。

 男をつけるようなまねはしない。

 すぐに気づかれて、全てを台無しにしてしまうことは目に見えていたから。

 少女はちゃんと理解していた。

 自分にできることは、ただ占う事だけだということを。


 そして少女は家族の事を思う。

 遠く離れた寒村で、少女の仕送りを頼りに暮らしている、貧しい一家の事を。

 大切だったはずの彼らの顔が、思い浮かべられなくなったのはいつのことだっただろうか。

 きっと深い眠りから目を覚まし、あの男の赤い瞳を見た瞬間から。


 顔はもう、思い出せない。

 ただ、大切だという思いだけは残っている。


 少女はうつむき、小さく呟く。

 ごめんなさい、と。

 すっかりと遠く、遠くなってしまった、何よりも大切だったはずの家族に向けて。





 

 宿に戻ると、やはり雷砂はもう眠ってしまっていた。

 胎児の様に丸くなり眠る、雷砂の横顔を見つめる。

 その寝顔はちょっと辛そうで。

 眉間に少しだけ寄っているしわを、セイラはそっと指先で撫でた。


 リインは自分の部屋に戻り、今、この部屋にいるのは雷砂とセイラだけ。

 ここ数日は、疲れた雷砂を気遣って別のベッドで眠っていた。

 でも今日は。


 すっかり寝る準備を整えてから、セイラは雷砂を起こさないようにそうっと、眠る雷砂の横へと滑り込んだ。

 そして、小さく丸く体を縮こめている雷砂を優しく抱き寄せる。


 起こさないように、でも何度も。

 セイラは雷砂の背中をゆっくりと撫で下ろす。

 その体の緊張をほぐすように。

 その体の中に溜まった疲れや悩みを、押し流してしまおうとするかのように。


 少しずつ、少しずつ。

 雷砂の体から緊張とこわばりが抜けて、その体は引き寄せられるようにセイラの方へとすり寄ってくる。


 その温もりが嬉しくて、愛おしくて。

 セイラは微笑み、雷砂の頭のてっぺんに想いを込めたキスを落とす。

 そしてゆっくりと目を閉じた。


 聞きたいことが沢山ある。話したいことも。

 明日の買い物が終わったら、無理矢理にでも雷砂との時間を作ろう。

 そして話をするのだ。雷砂の悩みを、辛さを、少しでも分かちあえるように。


 まずは、自分の気持ちをしっかりと伝えるところから。

 雷砂に真っ直ぐ伝えよう。

 何かが自分に起こることを、恐れてなどいないという事を。


 そしてもし、何かが起こったとしても、それは決して雷砂のせいなどではあり得ない。

 悪いのはそれを為した人物だけ。

 そして、もし他に責任を負うべき人物がいるのだとしたら、それは雷砂ではなく、雷砂と共にあることを望んだ自分にある。


 なにが起こると分かっていても、雷砂と一緒にいたい。それが自分の幸せなのだと、雷砂にしっかりと伝えなければ。

 今までだって、伝えてきたつもりだった。

 それでも、雷砂が不安に思うのなら言ってあげたい。

 どんな未来が待ち受けていたとしても私の幸せはあなたの側にしかない、そんな単純明快な事実を、いつでも何度でも。

 雷砂の不安が小さくなって消えてしまうまで。


 腕の中の、雷砂の小さな寝息が眠りを誘う。

 セイラは眠りへ引き込まれて行きながら、雷砂の体をもう一度ぎゅうっと優しく、優しく抱きしめた。

 

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