小さな娼婦編 第42話

 死にたくないーそんな少女の言葉に雷砂はきょとんと目を丸くした。

 元より殺すつもりはない。

 正確には、最初は殺さねばと思っていたが、今は殺したくないと思っていた。

 だが、言葉に出さねばそんなことが相手に伝わるわけもなく、



 (怖い思い、させたよな)



 そんな風に思いながら突きつけていた拳を解き、驚かせないようにそろそろと少女から離れる。

 涙に濡れた紅い瞳が雷砂をすがるように見上げ、その様子を可愛いなぁと素直に思う。

 これ以上怖がらせないように微笑んで、そっと手を差しだそうとした瞬間、少女の前に二つの影が滑り込んできた。



 「お、おおお、お待ちになって!!この魔物、魔物ですけれども、そんな悪い魔物じゃないんですの!!!!」


 「そっ、そうにゃ!こ、殺すのは、待ってほしいにゃっ」



 割り込んできた二人の人物は、生まれたての子鹿の様に、足をガタブルさせながらも、懸命にそう主張してきた。



 (人間離れした戦いをしておいてなんだけど、そこまで怯えなくても……)



 そんなことを思いながら、困ったように目の前の二人を見る。

 まるでこっちが魔物になった気分だと苦笑を漏らし、次いでその笑みが優しいものに変わっていく。

 二人が心から、少女を守ろうとしていることが伝わって来たから。



 「大丈夫」



 そう言って、雷砂は微笑む。

 その余りに綺麗な微笑みに、ヴェネッサとエメルがカチンと固まり、次いで紅く色づいていく。



 「殺さないよ。約束する。だから、通して?」



 真っ赤な二人の顔を見上げ、小首を傾げる雷砂。

 その仕草が、余りに可愛らしくて、ヴェネッサは反射的に己の鼻を押さえた。鼻血を吹きそうだったのだ。



 「は、はいにゃ」


 「ど、どうぞ、ですわ」



 ささっと道をあける二人に、



 「ありがとう」



 雷砂は再び微笑みかけ、それから二人の横をすり抜けるように前に出た。

 まだ倒れたままの、少女の近くへ行くために。

 そんな雷砂の姿を、ヴェネッサのとろんととろけた眼差しが追いかける。



 「り、理想ですわ。理想の美少年が、私の目の前に……」


 「ヴェネッサ、またかにゃ……」


 「ちっ、違いますわ。今度こそっ、今度こそ本当の運命の恋なのですわ!!」


 「ヴェネッサはいつもそう言って、いつもふられるにゃ。もっと分相応の恋をしたほうがいいと思うのにゃ」


 「分相応とか、そんなこと言ってる場合じゃありませんわよ!あんな美少年、今度はいつお目にかかれるか分かりませんもの!!」


 「ヴェネッサの美少年好きとケモ耳好きは、もう病気のレベルだと思うにゃ……」



 そんな二人の様子を見ていたアリオスは、こっそりと人の悪い笑みを浮かべる。

 どのタイミングで魅惑の美少年の性別を教えるのが一番おもしろい展開になるかねぇ、とそんなことを考えながら。







 雷砂が、近づいてくる。

 少女はその姿を瞬き一つせずに見つめた。


 やはり、殺されるのだろうか、と思う。

 そうだとしても仕方がない。

 雷砂の手に掛かって死ぬのなら、それもいいのかもしれないとは思った。

 本当は死にたくないけど、雷砂じゃない人に死をもたらされるより余程良い。


 だが、もし死ぬのなら、最後の瞬間まで雷砂を見ていたいと思った。

 少しでも長く、魂の最後のかけらが黄泉に旅立つその瞬間まで。


 雷砂が、少女の脇にしゃがみ込む。

 その姿を目で追い、雷砂の手がこちらに向かって伸びて来るのを見て息をのんだ。

 いよいよ死ぬんだと思い、潤んだ瞳で雷砂の色違いの瞳を見上げれば、雷砂は少し困ったように笑っていた。

 困ったような、だがとても優しい笑顔で。


 次いで伝わる優しい感触。

 雷砂の手のひらは少女の頭に置かれ、まるで壊れ物に触るように柔らかく、少女の髪を撫でた。

 びっくりして目を見開くと、その手は今度は少女の頬に伸びてきて、涙で濡れたその場所をぐいぐいと拭った。

 ちょっとだけ乱暴に、けど、どこまでも優しく。



 「なあ。もう、泣くな」



 困ったような声。

 泣かせるつもりなんかなかったのにと、その声が雷砂の心情を少女へ伝えてくれる。



 「殺したりなんか、しないから。な?」


 「殺さ、ないの?」


 「ああ。殺さないよ」


 「雷砂の側にいてもいい?」


 「いいよ。お前が望むなら」


 「雷砂の、側に居たい。雷砂と一緒がいいよ」



 再び、少女の白い頬を涙が伝う。



 「そうか。なら、一緒にいよう」



 雷砂は優しくその涙を拭い、柔らかく微笑んだ。



 「ほんとに?」


 「ああ。ほんとだよ」


 「うれしい」



 そう言って、少女は花が綻ぶように笑った。

 幼さの残る、愛らしい笑顔で。

 雷砂はやっと乾いたその頬を撫で、ほっとしたように笑った。

 それからふと思いついたように、



 「あ、そう言えば、名前はなんて言うんだ?」


 「名前?」


 「ああ。オレはお前をなんて呼べばいい?」


 「とーさまは、俺の可愛いちび助って呼んだよ?」


 「あー、それは名前とはちょっと違うな。たとえば、オレが雷砂って呼ばれるように、お前にもそんな呼び名はないか?」


 「んー……」



 雷砂の問いに少女は眉間に小さくしわを寄せ、一生懸命に考えているようだった。

 だが、どれだけ考えても答えは見つからなかったらしく、最後は困ったように雷砂を見上げた。



 「ない」


 「そうか。名前はないのか」


 「うん」


 「じゃあさ」



 言いながら、雷砂は少女に手を差し出す。

 素直にその手を掴んだ少女を軽々と引き起こし、



 「オレが、考えてもいいか?お前の名前」



 そんな提案をした。



 「雷砂が、考えてくれるの?」


 「ああ。イヤか?」


 「イヤじゃない。うれしい」



 頬を淡く染め、少女が笑った。嬉しそうに。

 そんな彼女を見ながら優しく目を細め、雷砂はしばし考える。

 アイデアを求めて周囲を見回し、その目が先程まで少女が纏っていた蜘蛛の体の上で止まった。

 それから再び、目の前でわくわくした表情のまま、雷砂の名付けを待っている少女を眺めた。

 蜘蛛の能力をなんの違和感もなく使いこなしていた彼女は、恐らく蜘蛛に由来する魔物なのだろう。

 ならば。



 「クゥってのはどうかな?」


 「クゥ?」


 「うん。ダメだったら、別のを考えるけど」



 指先で頬をかきながらそう言うと、少女は勢いよく首を横に振った。



 「ダメじゃない!クゥがいい!!」



 叫ぶように、答える少女……クゥの様子に、雷砂は微笑み、



 「うん。じゃあ、お前は今日からクゥだ。よろしくな、クゥ」



 手を伸ばし、その白く艶やかな髪を優しく撫でた。

 クゥはうっとりと目を細め、それから勢いよく雷砂の胸に飛び込んだ。

 ぎゅーっと抱きつき、間近から雷砂の顔をそっと見上げた。

 紅い瞳と、色違いの瞳が交錯する。



 「今日からクゥは雷砂のモノ。雷砂の為に生きて、雷砂の為に死ぬ」


 「嬉しいけど、死ぬのはダメだ。オレがクゥを守るよ。だから、クゥもオレを守ってくれ。一緒に、生きよう。そのほうが、ずっといいだろ?」


 「うん!クゥは雷砂を守る!ずっと一緒にいる!!」



 そんな純粋な誓いを交わし、二人は柔らかく微笑みあった。







 「さて、話がまとまったところで、そろそろ戻るか。あんまり遅いとギルドの連中が捜索隊を出しかねないだろ?」



 アリオスの提案に、心配顔で騒ぐミヤビの顔がぽんっと浮かんだ。

 確かに心配性のミヤビなら、捜索隊の一つや二つ、出しかねないと思い、雷砂は苦笑混じりに頷いた。



 「そうだな。ぼちぼち帰ろうか」


 「しかし、どうするんだい?」


 「ん?」


 「その嬢ちゃんをつれて帰るのは良いとして、だ。このままじゃ報酬は貰えないだろ?」


 「えっと、なんで?」


 「魔物を倒した証明がないと、ギルドだって報酬を出しようがないじゃないか。何かしら倒した証明になる討伐部位を持って帰らないとさ」


 「あー……そっか。そうだった」



 確かにアリオスの言うとおりだった。

 倒すべき対象であるクゥを殺さないと決めた時点でこの依頼は失敗と言うことになる。

 なにしろ、討伐部位というモノは、死んだ魔物の体からはぎ取るものだからだ。



 「討伐、部位?」



 なにそれ、おいしいの?とでも言うように、きょとんとクゥが首を傾げた。

 そのしぐさが何とも可愛い。



 「うーんと、討伐部位って言うのは、魔物を倒した証明に魔物の体からはぎ取る素材とかの事だよ。クゥを倒した証明に討伐部位を持って行かないと報酬は貰えないけど、クゥを倒したりなんか出来ないから、今回は諦めるしかないな」


 「討伐部位、ないと、雷砂、困るの?」


 「そうだなぁ。この依頼の報酬が出ないとなると、ちょっとキツいかもなぁ」



 雷砂は腕を組み唸る。

 今回の依頼さえ達成すれば、アレサを買い戻すための金額が集まるはずだった。

 だが、今回の依頼の報酬が貰えないとなれば、一座が再び旅立つまでに資金を集めるのは難しいかもしれない。

 最悪、雷砂は後から追いかけるという形をとる事も出来るが、出来ればそれは避けたかった。


 セイラやリイン、一座の面々と旅を出来るのも後少し。

 これから先はちょっとでも長く、共に過ごす時間を取りたいと思っていた。

 そんなことを考えていると、ちょいちょいと服を引っ張られる感触。

 そちらを見れば、クゥが雷砂を見上げている。



 「雷砂、アレじゃダメなの?討伐部位」



 そう言ったクゥが指さすのは、彼女が脱ぎ捨てた抜け殻。

 雷砂に容赦なく叩きのめされ、ボロボロになった2体の大きな蜘蛛の体だった。

 それをみた雷砂は、ぽんと手を叩き、それがあったかと目を輝かせる。

 そして、にっこり笑って冒険者二人を招き寄せると、



 「ヴェネッサ、エメル。ちょっと、お願いしても良い?」



 にっこり笑って無邪気に問いかける。



 「な、何かしら。ら、ららら、雷砂」

 (名前を呼び捨てなんて、まるで恋人同士みたいですわ……)


 「内容によっては引き受けない事もないにゃ。雷砂は恩人にゃし」

 (ううう……ヴェネッサが微妙にウザい生き物になりつつあるきがするにゃ……)


 「あの蜘蛛の解体、お願いしてもいいかな?」



 再びにっこり。

 答えはもちろんYESだ。

 ヴェネッサは熱烈に、エメルはそれにつられて仕方なく。


 二人は雷砂のお願いを聞いて、早速2体の蜘蛛の素材をはぎ取りに取りかかる。

 特にヴェネッサの勢いがすさまじい。雷砂に良いところを見せようという魂胆なのだろう。

 時々ちらっ、ちらっとこちらを見るヴェネッサに雷砂はにこにこと手を振った。


 ちなみにこの時点でまだ、ヴェネッサは雷砂が女だとは気づいていない。

 アリオスは最高の取れ高を狙っていた。

 エメルは薄々気づいているようだが、ヴェネッサは雷砂が絶世の美少年と信じ込んでいる。

 知らぬはヴェネッサばかり、である。



 「人使いが上手いじゃないか、雷砂。自分に惚れた女を手足のように使うたぁ恐れ入るよ」


 「人聞きの悪いこというなぁ。二人にはちゃんと分け前を出すよ、もちろん。ただ、オレがやるより二人に頼んだ方が効率がいいかなぁって。冒険者としての経験が違うし。アリオスも、二人を手伝ってくれてもいいんだよ?」


 「やなこった。あんな疲れそうな作業、ごめんだね。それよりさ、雷砂」


 「ん?」


 「その白い嬢ちゃんの名前、なんでクゥってつけたのさ?」


 「蜘蛛の魔物だから、蜘蛛のくでクゥ、だけど?」


 「そんなことだろうと思った」


 「なんだよ。可愛いだろ?」


 「ま、可愛くないとは言わないけどね。その名付け理由、あんまり人に言わない方がいいよ?」


 「なんで?」


 「そりゃ、あんたの感性を疑われるからさ」


 「そう?可愛いと思うんだけどなぁ、クゥって名前」


 「だから、名前自体は可愛いよ。ダメなのは理由」


 「むぅ」


 「雷砂。クゥはクゥって名前、好きだよ?」



 唇をとがらせた雷砂の顔を見上げて、クゥが一生懸命に主張する。

 その様子に目元を和ませ、



 「あー、クゥは可愛いなぁ。癒される……アリオスも見習えばいいのに」



 そう言いながら、自分よりちょっぴり小さいクゥの体を抱きしめて、ほうっと満足げな吐息を漏らす雷砂。



 「アタシがそんなじゃ、気持ち悪いだろ?流石にさ」



 言われて想像してみれば、確かに素直で可愛らしいアリオスなど、それはもうアリオスではない。全く別の生き物だ。



 「うん、確かに。アリオスは今のままがいいな」



 雷砂はクゥを腕に閉じ込めたまま笑う。

 雷砂の周りは彼女より大きい人ばかり。自分より小さな存在を抱きしめるという行為は、何だかすごく新鮮だった。


 そんな雷砂を見つめてアリオスは苦笑し、二人の冒険者は必死になって蜘蛛を解体している。

 この依頼の完了には、もう少し時間がかかりそうだった。

 

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